第24話 メニュー・パイ

 この店には基本的に常連客というのが存在していない。寿命とは関係なく監査という名目で食事に来る秘境島管理委員会の会長は例外として、一度寿命を延ばした者が再び店に訪れることは無い。死ぬことがわかっている状況で、最後にこれだけは、と望むことが出来るだけの寿命が延びる。つまり、それ以上を求める者は多くないってことだな。

 今回の客は常連とは言えないまでも、珍しく二度目の来店になる。俺は知らないが、親父の頃の予約表に名前があった。その上で、昔食べたメニューをもう一度食べたいとの要望だ。叶えないわけにはいかないだろう。

 それでは、まず生地作りだ。

 使う材料は強力粉・薄力粉・無塩バター・水だ。とはいえ、秘境島の麦で作った小麦粉を使うから無塩バターと水を合わせて三つかな。

 とりあえずバターは一センチの角切りにして冷蔵庫で一時間ほど冷やしておく。あと、使う分の水も冷やしておくこと。パン作りとは違って冷水であることが重要になる。

 強力粉と薄力粉を使う場合は振るって混ぜ合わせる。そこにバターを入れて、ボロボロになるように混ぜていくが、バターを潰すのではなく崩していくような感覚だ。手でやる場合は両掌でこすり合わせるように。ポロポロになったら、そこに冷水を加える。ヘラでさっくりと混ぜて、それなりに混ざり合えば大丈夫だ。そぼろ状の生地をラップに出して一纏めにしながら包み、形を整えたら冷蔵庫で一時間ほど冷やす。

 取り出した生地を麺棒で縦長に伸ばし三つ折りに。今度は生地の方向を変えて、再び縦長に伸ばして三つ折りにする。同様の作業をもう一度行ったらラップに包み直して冷蔵庫で一時間ほど冷やしたら、伸ばして三つ折りにする作業をまた三回繰り返して厚さが均等になるように伸ばし、好きな大きさに切り分けて冷凍しておけばいつでも使えるパイシートの完成だ。

 次にカスタードクリームを作る。

 まずは卵黄に砂糖を入れて白っぽくなるまで混ぜる。そこに薄力粉を加えて軽く混ぜたら温めた牛乳を少しずつ加えながら混ぜていく。牛乳を全部入れたらザルなどで濾しながら鍋に移して火にかける。バニラオイルを二、三滴入れれば香りが良くなるが今回は入れない。

 掻き混ぜながらもったりとした状態になれば、ラップを敷いた平皿やパットに広げて粗熱を取り、冷蔵庫で冷やしたらカスタードクリームの完成だ。

 では、過去のレシピに従って料理を進めていこう。

 パイ型にパイシートを敷いて、底にカスタードクリームを広げていく。その上に斜めに切ったバナナを並べていく。出来るだけ隙間なく置いたほうが良いが、量や置き方に関しては好みで良いだろう。ただ、熟れたバナナのほうが熱を通した時に甘みが増すので買ってから数日置いたバナナを使うと良い。

 敷き詰めたバナナの上に小匙一杯の純ココアパウダーを万遍なく振り掛ける。シナモン好きならシナモンを掛けてもいい。今回のがココアなのには意味があるのだ。

 あとは細長く切っておいたパイシートを交互に置いて網目を作ったら、二百度に予熱したオーブンで二十分焼き、バナナパイの完成だ。付け合わせはホイップクリームで。

「店長、お客さん来たよ。飲み物は前回と同じ物を、って言われたんだけど、なに?」

「ノンカフェインのアールグレイだ。パックはそこに出してある。作り方わかるか?」

「だいじょーぶ。任せて」

 店内に戻るリリを見送って、切り分けたバナナパイの一つを皿に移してホイップクリームを盛り付けた。まぁ、残ったほうも持っていくのだが。

「お待たせいたしました。ご要望の通り、二十年前のレシピを再現したバナナパイです。どうぞ、お召し上がりください」

「っ……ありがとうございます」

 料理を見た瞬間に驚いた表情を見せたのは五十歳間近の淑女だ。

 フォークで切り分けたパイに、掬い上げたクリームを乗せて口に運ぶとサクサクと良い音が聞こえてきた。本来ならばこちらから訊くことでは無いのだが、注文が注文だ。確認しないわけにいかない。

「お味は如何でしょうか?」

 紅茶を一口飲んだ淑女は、ゆっくりと鼻息を漏らしながら静かに瞼を閉じた。

「……本当に、あの時のままの味だわ。今は息子さんが料理を作っていると聞いたから同じ物が出てくるとは思わなかったのだけれど……これは本当に――美味しいわ」

「左様でございますか。では、私は席を外します。どうぞ、お気の召すままご賞味ください」

 それは、二十年も前のことだと言う。

 当時、二十代後半で体調の優れなかった彼女が病院に行くと妊娠していることがわかった。しかし、それと同時に病気であることと――あと半年も生きられないことを知った。妊娠の喜びよりも絶望のほうが大きく圧し掛かっていたが、一縷の希望があった。それこそが秘境レストランだった。妻であり母になる女性は、せめて自分の命と引き換えにでも子供を産みたいと懇願し、夫であり父になる男は愛しい人のためならばと方々から金を掻き集めて、なんとか秘境レストランに予約を取った。

 その頃の親父が夫婦の話を聞いて委員会を通して料金を減らしたのかどうかはわからないが、料理はなんでもいいから出産までの約十か月ほど寿命を延ばしてほしい、との要望に応えて出したのがバナナパイだった。妊娠中には良くないと言われるシナモンでは無く、カフェイン含有量の少ない純ココアを使って、場合によっては匂いのキツいバニラオイルも使わず、ホイップクリームにも砂糖は使わずに、優しい甘さだけで一つの料理としてパイを作り上げた。

「……純ココアか」

 料理を作ることは容易いが、思い出を作ることは容易くない。親父のそういう気配りが今の彼女に繋がったのだろう。

 そして、第一子となる娘を出産した彼女は――奇跡的に病に打ち勝った。理由は不明だが、医師曰く『娘のために生き続けたいと思う彼女の強さが病に勝ったのだろう』と。詰まる所、医師でさえ原因がわからないということだ。それから二十年が経ち、彼女の病気は再発し、時を同じくして一人娘の結婚が決まった。

 彼女は今日――十か月後に行われる結婚式のためにこの店に来た。

 パイを頬張りながら、リリと談笑する織女がこの先どうなるのかなんて誰にもわからない。少なくとも俺にわかるのは、結婚式には確実に出席できるということだけだ。

「無理を言ってしまってごめんなさいね。本当に美味しかったわ」

 そう言って通常の料金を支払い、淑女は帰っていった。

 状況は違っても同じ料理を食べて、同じ分だけ寿命を延ばした――娘のために。普通なら、その先の希望を求めてしまうのだろうが、眼を見てわかった。本当にこれが最後だと思っている眼だ。

 人のために、娘のために。今の淑女は――昔の彼女だ。そして、今の俺は昔の親父、か。

「ま、俺ならもっと美味い料理を作れたけどな」

 などと呟いたところで。

「え、じゃあ、私に作って! 店長のパイ食べたい!」

「……良いだろう。とびきり美味いのを食わせてやる」

 じゃあ、腕によりをかけるとしようか。

 秘境レストラン――本日の営業は終了いたしました。

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