第20話 食材・小麦

 基本的に植物も動物も自然のまま手を加えないのが秘境島の暗黙の了解なのだが、第二十三地区だけは例外的に保護されている。

 正式には――第二十三特別保護地区。

 その山の切り出されたような山頂に保護されている地区があるのだが、特に管理者が居るわけでは無い。しかし、そこにあるものを持ち帰るには管理委員会に量を申告して承諾を得る必要がある。つまり、乱獲を防ぐための保護地区というわけだ。

 とはいえ、そもそもそこに辿り着くまでが遠くて冒険家が行くことはあっても料理人が出向くことは滅多にない。のだが、例に倣って俺も同行している。

「ねぇ、てんちょ~。今日って私、必要?」

「そりゃあ、必要だろう。目的地に辿り着くには三つの関門を突破しないといけないし、そのためにはお前がいないと俺が死ぬ」

「あ~、アレか。確かに店長だけじゃあキツいかもね」

「頼りなくて悪いね。そんなわけでお前が必要なんだよ。頼りにしているからな」

「は~い」

「いや、マジで頼むぞ?」

 この数十年の間に秘境島では行方不明での死亡扱い以外の死者は出ていないが、それでも危険であることに違いは無い。

 とりあえず一時間ほど緩い山歩きをした先に、第一関門が見えてきた。

「わ~、沼だね~……汚れそう」

「しかも底無し沼だ。汚れる前に気を付けることがあるだろう。ほら、こっちに来て靴を出せ」

 差し出された足の靴裏に、いわゆるカンジキと呼ばれる雪上を沈まずに歩くための道具の改良版を取り付けることで、問題なく歩いていくことが出来る。

「たしか、なんか動物いたよね?」

「ワニだな。特殊な鱗を持っていて沼の中を縦横無尽に泳ぎ回っているから落ちないように気を――つけるのは俺のほうだな。慎重に進もう」

 わかりやすい境目があるわけでないが、足を踏み入れるとそこが沼だとわかる。一歩ずつ慎重に、それでも体重を掛け過ぎないようにして進んでいくと、前を行くリリが立ち止まって振り返ってきた。

「ねぇ、店長? そのワニって食べられる?」

「食えるには食えるが美味くは無いな。というか、不味い」

「じゃあ殺さないほうがいい?」

「それは姿を現した時にでも考えればいいが、奴らは共食いをするから別に殺しても問題は無いと思うが……」

 だからと言って、むやみやたらと殺すのは違うだろう。あくまでも正当防衛としてなら問題ない、ということだ。

「あはっ――店長はそこから動かないで」

 そう言って拳を構えたリリの数メートル先で、沼の泥が撥ねたと思った次の瞬間――沼の中から巨大なワニが大口を開けて跳び出してきた。

 しかし、物怖じしないリリは飛び込んでくるワニの懐に潜り込んで、その拳を腹に減り込ませた。すると、ワニは開いた口を閉じぬまま地面に落ちて、そのまま沼の中へと沈んでいった。

「……よし、今のうちに沼地を抜けよう」

「りょーかい!」

 まぁ、もう今更驚きはしない。

 沼地を抜けると、今度は二メートルほどの雑草群を進むことになる。木では無く、雑草だ。故に茎も細く、折ったり切ったりすることは簡単だが、自然の破壊は避けたいので掻き分けながら進んでいく。

 ここが第二関門――巨大ナナフシの巣だ。

 小枝の振りをして森林に潜んでいることが多いナナフシの秘境島版だ。この雑草群並みに大きくて直立しているから……正直、虫嫌いの人間にとっては恐怖でしかないだろう。そして案の定、草とは違う感触に触れた。

「あ、くそっ。リリ!」

「はいはい」

 そう言うと、腰から抜いたナイフでナナフシの体を切り裂いた。無駄な殺しを避けると言ってきた俺だが、秘境島のナナフシは触れてから三秒以内に対処しないと、触れたものに毒針を向けてくる。

「ふぅ……助かったよ」

「ふふん。ま、良いってことよ」

 助けてもらったから、ドヤ顔は許そう。

 雑草群を抜けて、しばらく枯れ木の森を進んでいくと視線の先に黄砂のような黄色い粒子が蔓延している場所を捉えた。これが最後の第三関門――キノコの森だ。とはいえ普通のキノコでは無く、常に毒の菌を周囲に撒き散らしている毒キノコの森だ。この場所だけは若干窪みになっていて、仮に強風が吹いたとしてもここから菌が移動することは無い。言うなれば毒溜りだな。

「リリ、これを。ガスマスクだ」

 頭から被って顔面を覆うガスマスク。吸い込まなければ良い、というわけでは無い。菌が目に入るだけでも失明する可能性があるし、耳に入れば聞こえなくなる可能性もあるほど危険な菌なのだ。

「オッケー。マイクは?」

「正常だ。行こう」

 特に会話する必要が無かったとしても、耳まで覆うガスマスクを付けていては何かが起きた時に対応が出来ないため、イヤホンとマイクが内蔵されている。

 地面に生えているキノコに足先が触れるだけ噴き出すように菌を吐く。そもそも先人たちがどうしてこんなところを進んでいこうとしたのかが謎だが、そのおかげで食材に有り付けていることを思えば感謝しかない。

「店長ストップ! 動かないで息を止めて」

 言われたとおりに息を止めれば、目の前にのしのしと現れたラーテルが毒キノコをガツガツと食べると、そのまま再びのしのしと去っていった。

「っ――はぁ。危なかったな」

 ラーテルは地上で最も狂暴とさえ言われている獣で、もしこの場で戦いになったとしてもリリなら勝てただろうがガスマスクを付けて酸素の薄い状況に加えて傷一つでも負えばそこから菌が入ってきてしまう。苦戦を強いられていたのは間違いないだろう。

 何はともあれ。毒キノコの森を出た直後に体に付いた菌を払い落とせば、勝手にキノコの森へと帰っていく。原理は不明だが、おそらくは磁石が引かれ合うようなものだろうと推測している。

 そうして、ようやく辿り着いたのがここ――麦畑だ。

「やっと着いた~。五時間くらい?」

「いや、三時間。それだけ大変だったってことだ。俺は麦を採ってくるからお前は休んでろ」

「は~い」

 秘境島の全貌を知っているわけでは無いが、いくつかの場所で確認されている稲とは違い、今のところ麦が自生しているのはここだけだ。それに来るまでには危険な獣がそれなりにいるが、この場所には何もいない。比喩でもなんでもなく、虫の一匹すらいないのだ。土の中にさえ、これといった生き物を見つけたことは無いし、どうやって芽を生やし成長しているのかはわからないが――ここは秘境島だ。考える者が馬鹿を見る。

 申告した分の麦を回収して、あとは戻るだけだ。

 そう。あの三つの関門を、一つずつね。

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