第14話 食材・魚

 秘境島の地区割りは厳密に決められているわけではなく、ヘリの着陸ポイントが作れた場所からの割り振りになっている。一桁台は基本的に行きやすく、もちろん獰猛な獣もいるし、気候的に厳しいところもあるが比較的危険は少ない。だが、二桁になると途端に様相を変える。

 周囲には獣の一匹すらいないのに、一分一秒――常に危険が肌に纏わりついてくるような感覚を味わう。常人では一時間と持たずに発狂すると言われている場所だが、俺たち料理人や冒険家は平然と一日中でも歩き回ることが出来る。

 変人だから、と言われればリリのことも知っているし否定できないのは確かだが、性格というよりは性質の問題もあるだろう。普通の人と違うところがあるとすれば、俺たちは自然と一体化する方法を知っている。いや、方法――というほど大逸れてはいないが、要は感覚だ。島の空気に逆らうことなく受け入れる。空気と一体になる、という感じだな。簡単に言えば、存在感を消す、みたいな。大勢の集まりで『あれ、お前いつから居たの?』みたいな存在になるのだ。

 秘境島にとっての異物では無く、順応することが二桁に這入る第一条件だ。

 そんなこんなで今日は第十二地区にある逆さ川に来ている。英語名ではリバースリバー。まぁ、単純に下から上へ流れる川と言うだけで、特別なことは無い。

 ピアノ線の釣り糸を垂らして早二時間弱――数匹の魚は釣れたが、あまり見通しは良くない。

「てんちょ~、今日の獲物なんだっけ?」

「サケ……っていうかマスだな」

「あ~、あれだ。でっかいやつだよね? 滅多に釣れないんじゃなかったっけ?」

「レアものと言えばレアものだな。だが、方法を知っていれば難しくない。まずは餌になる魚を取らないとな」

「ほう。その餌って?」

「魚っつーか、カニだ」

「……カニって釣れるの?」

「場所にもよるが、意外とな。とりあえずは待ちだ」

 海老で鯛を釣るように、カニでマスを釣る。ならカニを持ってきて餌にすればいいじゃないか、とも思えるがそれでは意味が無い。そもそも秘境島に外の生き物をを持ち込むことは禁止されているし、秘境島のカニでなければ秘境島のマスは釣れない。

 張り詰めた空気の間を縫うように吹くそよ風は、こんな場所なのに気持ちがいい。すぐ近くでリリが巨大なクマと睨み合っているピリついた殺気さえなければ、もっと気持ちいいのだろうが。

 ……それにしても釣れない。

 釣り糸を垂らしている川の底には岩が組み重なっているしカニが潜んでいると思ったが、読みが外れたらしい。

 場所を変えるかどうするか。釣りの極意は我慢だ。諦めずに釣り糸を垂らしておけばいずれは釣れるかもしれないが――ここは移動しよう。ビギナーズラックが起こるほど初めてってわけでもないし、ポイントはいくつか知っているからな。

「おい、リリ。移動する――」

 釣り糸を回収して、振り返りながら言い掛けると目の前を通り過ぎていく巨大な石に目を取られた。大きな弧を描いた石は川と面している対岸の大きな岩にぶつかると、派手な音を立てて地面を揺らした。

「ごめん、店長! 力比べに熱が入り過ぎちゃった」

「ちゃった、じゃねぇよ。……やり方は褒められたものじゃないが、まぁお咎めは無しだ」

 原始的な古いやり方だし、確実に魚を取れるという保証も無いが、川と面している岩や、そうでなければ水面に石を落とし、その振動で魚を気絶させて浮いてきたところを捕獲するって方法も無いことは無い。このやり方の良くないところは、一度の挑戦で魚が取れればいいが、取れなかった場合は悲惨だ。この場所に危険があると察知した魚がしばらく近寄らなくなるからな。

 今回はカニが数匹と魚も何匹か浮いてきたから良しとしよう。

「結果オーライ?」

「結果だけを見ればな。クマはどうした?」

「ん? もう逃げたよ」

 本来のクマは臆病な性格だ。おそらくはリリと遊んでいるつもりだったのだろうが、さすがにあれだけの巨大な石を投げるゴリラからは逃げる。俺だって逃げる。

 餌の付けていない釣り針で浮いているカニを回収して、川下に移動する。下から上に川が流れているってことは、つまり上流だ。秘境島のマスは水が綺麗な川の上流に居ることが多い。

 逆さ川の上流には規格外に巨大な木が組み合わさっているから、その枝に一人や二人乗ったくらいではビクともしない。だから、ここではせり出た枝の上に腰を据えて釣りをするのがマストになる。まぁ、要は一歩間違えば川まで真っ逆さまというわけだ。逆さ川だけに。

 魚が居ることが多いのは、岩場の陰や極端に流れがゆっくりになっているところだ。注意深く観察していれば水中を優雅に泳ぐ魚影が見えてくるはずだ。そうしたら、慌てず静かに竿の準備をして、針に餌をつけて水面に投げ込む。今回の餌はカニだから、さすがに静かにってのは難しいが、ここは秘境島だ。むしろ、活きが良過ぎるくらいが釣れやすい。

 竿の先でカニが動き回るのを感じながら神経を尖らせているとクイックイッと引かれるのがわかった。だが、まだ我慢だ。少し引っ張られても、まだもう少し待つ。そして――大きく水が撥ねた瞬間に思い切り竿を引いた。

「おっも――っ!」

「てんちょ~、手伝う?」

「いや、釣った後に備えろ!」

「りょーかい!」

 ここは川だが、使っているのは秘境島専用のリール竿で、良く撓り良く伸びる。故に折れない。それに使っている糸を一口でピアノ線と言っていたが、これも数本のピアノ線を編み込んでいる特殊な糸だ。故に切れない。俺の体重は約六十キロで、糸を引く魚の重さは百キロは超えないだろうが、おそらく八十から九十で、暴れて引っ張る力を込みすれば百キロ近い。つまり――いや、面倒な計算は無しにして、時には勘と勢いだけで突っ込むのも大事だろう。

「リリ! 行くぞ!」

 魚の引きが弱くなった瞬間に体ごと枝の反対側へと倒れ込むと、釣り糸が枝を軸にして俺の重さで魚を引き揚げた。体長およそ二メートルのマスだが、問題は釣った後だ。枝の上から飛び出したリリは、マスを狙って上空より滑空してきた巨大な秘境大鷲に向かって拳を振り抜いた。

 ドンッ――と鈍い音と共にバランスを崩した大鷲はリリと共に対岸まで吹き飛んだ。

「よし、ワンパン! 店長、手ぇ貸そうか?」

「いや、大丈夫だ。お前は次に警戒しろ」

 体を振り子にして魚を落とさないように注意しながら一回転して枝に着地した。あとは釣り糸を手繰り寄せて、マス釣りは完了だ。

 魚を担いだまま枝の伸びる対岸まで飛び降りてリリと合流したら、肉の血抜きと同じで魚も血抜きをしなければ身が使いものにならなくなってしまう。さすがにこの大きさの魚を水に入れて持ち帰るわけにはいかないからな。

 いわゆる活け締めというやつだ。エラの裏に特注の包丁を刺し込んで、一気に中骨を折る。秘境島の魚は規格外に大きいから力が必要だが、普通の魚ならそれほど力は使わない。だが、コツを覚えないと無駄に魚を苦しませることになるから一度できる人から教えてもらうのが良いかもしれない。

 次に血抜きだが、さすがにこの辺りの川の水でやるわけにはいかない。魚が多いってことは、その分微生物も多いってことだからな。たしか近くに湧水があったはずだから、その流水で血抜きをしよう。

 さぁ、久し振りの魚だ。二桁入りのリハビリにもなったし、足掛かりにしては丁度いい。

「ねぇ、てんちょ~。大鷲はどうする? 食べる?」

「あ~、ちょっと待て。考える」

 ともあれ。食材調達は完了だ。大鷲に関しては死んでないし、放置しておけば帰っていくだろう。食べられないことはないが……今日はバッグが一杯だ。

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