第10話 食材・いちご

 秘境島ルールブックの最後には行方不明者についての文言がある。

 ――島への渡航後、三年間音信不通だった者は死んだものとする――と。まぁ、実際は英語で書かれているから、もう少し柔らかい表現だと思うが要約するとそうなる。

 結果的に俺の父親は三年間音信不通の行方不明になり死亡扱いになった。あれだけの生き物が闊歩する島だ。たしかに一週間を生き延びるのも難しいし、一か月では無謀、一年では奇跡、三年なら死んでいると考えるのが正しいと思うが、親父のことだ。島のどこかでしぶとく生き残っているんじゃないかと思っている。

「ああ、くそっ……寒ぃな」

 この秘境島では自分の命を守ることすらギリギリなのに、他人の心配をしている場合ではない。

 本日訪れているのは第九地区の雪山だ。今回ばかりはリリも防寒のためにコートを着込んでいるが、それはつまりそれだけ寒いということを表してる。いや、もう吹雪いていないことだけが救いだと思えるくらいの寒さだ。見渡す限り銀世界で、息をするたびに体の芯まで凍るような冷たい空気が入ってくるし、サングラスを掛けていなければ日の照り返しのせいで目を開けておくことも出来なかっただろう。

「てんちょ~、今日の獲物なんだっけ?」

 言い忘れていたが、リリの防寒はコートだ。俺のように、帽子にネックウォーマー、防寒ブーツにインナーウェアなんて着込んでいない。……馬鹿じゃないのか?

「今日は肉食植物の実だ。山頂付近にある」

「ほう! 久々の戦いだ~!」

 その声が山に木霊した瞬間、雪崩を警戒したが何も起きなくて助かった。

「あんまり大きな声出すなよ。それに、地面を揺らす様なことも禁止だ」

「はいはい、りょ~かい。ボス」

 わかっているのか怪しい返事だが、いつものことだし良しとしよう。体力を温存したいし、構うだけ無駄だからな。

 現状ではただの雪山登山なわけだが、第九地区は見ての通りな気候のため基本的には動物が生息していない。おかげで変に警戒する必要も無いが、寒さで殺されそうなのは言うまでも無いので、まだ獰猛な獣のほうが楽だなと思ってしまう俺が居る。とはいえ、戦うのは俺ではないが。

 目的地は山頂だが、そこに辿り着くまでに手に入れなければならない食材もある。

 まずは雪の被った林の中を進み、その先に流れている川で一つ目だ。

「リリ、この水筒に汲んでくれ」

「いっぱい?」

「いっぱいに」

「……ちょっと飲んでもいい?」

「別にいいけど生クリームだぞ? こっちのコップを使え」

 ここは生クリームの川だ。加えて、この雪山の雪自体が砂糖並みに甘いから流れている生クリームにも雪が溶け込んで程よい甘さになっている。だからといってリリのように原液を飲もうとは思わないが。

 橋の無い川に、リリが倒した木の立て掛けて渡り、再び登山に戻る。

 しばらく登っていくと雪で白いはずの地面が茶色くなっている場所が見えてきた。色が濃くなっているほうに進んでいくと、地面からマグマのように噴き出す黒い液体を見付けた。これが地面を黒から茶色に染めている原因だ。

「ねぇ、店長。これなんだっけ?」

「チョコだよ。無限に湧き出るチョコのマグマだ。熱くはないけどな。飲むならコップを使え」

「やった~」

 俺が水筒にチョコを流し込んでいる横で、コップに注ぎ込んだリリが笑顔で口に運ぶと、不思議そうに首を傾げた。

「味はどうだ?」

「ん~……苦い? でも美味しい!」

「ここのはコーヒー風味のビターチョコだからな。今回のレシピには丁度いいんだ」

「じゃあ、あとは山頂?」

「だな。行こう」

 生クリームとチョコを合わせて水筒四つ分は、普通に肉や野菜を運ぶよりも重いように感じる。登山や寒さによる影響もあるだろうが、やはり固形物よりも液体のほうが間違いなく重い。

 足並みを乱しつつも登っていくと山頂が近付いてきた。遠目からでもわかるほど巨大なハエトリグサのような捕虫器の葉の植物が群を成している。周りにいくつもの赤い実が生っているが、そう簡単に取らせてはくれないだろう。本物のハエトリグサと違って近付いたものに自ら食い付いていくのが秘境島の肉食植物の特徴だ。

「店長、倒してオッケー?」

「ああ。だが、一匹? でいい。倒し方わかるか?」

「わかる!」

 そう言って駆け出したリリは捲り上げたコートの中からナイフを取り出した。

 動くものに気が付いたハエトリグサが捕虫器を開いてリリに襲い掛かったが、難なくそれを避けた。次いで襲ってきた二本目の捕虫器を避けて跳びかかったが、横から襲ってきた三本目に叩き落とされた。

 ボスンッ、と雪に倒れ込んだリリに近付くと驚いたように大きく目を見開いて瞬きを繰り返していた。

「一つの根から三本の頭だ。ものによって違うし、二本の奴を狙うか?」

「ううん。なんかムカつくからアレにする」

「……そうか。なら、頑張れ」

「がんばる!」

 頭が多い奴のほうが実の量が多いからこちらとしては有り難い。

 地面にナイフを突き立てたリリは、雪を四角にくり抜いてそれも持ち上げて再び突っ込んでいった。

 先程と同じように一本目の頭を避け、次に襲ってきた二本目の口に雪を突っ込むと、今度は跳び上がることなく三本目を悠々と避け、根元の茎に向かってナイフを振り抜いた。

 倒れていく捕虫器を見ながら思う――最初の時に何故跳び上がったのか、と。

「まぁ、倒せたんなら良いんだが」

「楽勝だった」

「嘘吐け。とはいえ、無事で何よりだ。じゃあ、収穫を手伝ってくれ」

「りょーかい!」

 今回の目的だった赤い実とはいちごのことだ。大小様々だが、糖度の高さも去ることながら、程よい酸味も持ち合わせているという最高級品で、大きさに関わらず味に差が無いのが特徴だな。

「一通り回収できたな。さぁ、来た道を帰るとするか」

 ヘリは着陸ポイントにしか来ないから山下りをするしかない。……キツいよな。

 背中の重さを感じながら下りていると、前を行くリリが歩きながら振り返ってきた。

「ねぇ、店長。明日って私の仕事ないんだよね?」

「ん? ああ、何も無いな。俺は仕事だが、お前は休みだ」

「じゃあ、ちょっと出掛けてもいい? この間、口座を確認してみたら結構入ってたんだ~」

「別に俺に確認する必要は無いだろう。休日なんだ。好きに使えよ」

「ふふん、は~い」

 鼻歌混じりのリリとは対照的に、こちらは歩くのすらしんどくなってきたが頭の中では明日のレシピをなぞっていた。

 作るのは久し振りのメニューだ。楽しんで作るとしよう。

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