第6話 メニュー・スープ

 チキンボール――料理人の中では弾丸バードと呼ばれているが、正式な名前は無い。というか、秘境島の大半には正式な名前が付いておらず、あくまで身内での呼称として名付けられたのがほとんどだ。そもそもが一般人には無関係の島だから、名前など必要ないってことだな。

 それじゃあ、料理を始めよう。

 弾丸バードのトゲは包丁が入らないほど硬くて、ハンマーでも砕けない。だからこそ、なんでもかんでも弾き飛ばして転がれるわけだが、その代わりに腹側は柔らかい。今回はトゲの付いた皮も内側の身も使うが、そのためにはどちらにしろ皮を剥がなければならない。

 方法は簡単だ。すでに首の付け根から包丁の刃を入れて絞めてある鶏の羽を広げて、その時に出来る脇の弛んだ部分に刃先を入れて皮に沿ってサッと切り込みを入れる。指一本分でも入れば、そこから一気にズルリと皮を剥がせる。もちろん、この時はトゲに注意だ。

 外側からでは傷一つ付けられない皮も内側からなら切れるので、羽部分、胴体部分、首部分と四つに切り分けて、深くて大きい鍋に張った水に沈めて弱火に掛ける。沸騰させると灰汁が出るから、沸騰させずに出汁を取っていく。

 次に柔らかい身だが、ここからは普通の鶏の解体と同じだ。腹を切り開いて内臓を取り出し、よく水洗いをする。それでとりあえずは鶏ガラの出来上がりだ。

 約一時間ほど皮で出汁を取ったら、キッチンペーパーを敷いたザルでスープを濾して、そのスープを再び鍋に戻したらそこに鶏ガラを入れて再び沸騰させずに煮込んでいく。

 それから約一時間後、再び濾したスープを鍋に戻す。ホロホロに崩れた肉は取り分けて、残った骨を包丁で大きめに割って鍋に入れ、普通のネギとスライスした生姜、それと潰したニンニクを二から三欠片ほど入れて、また弱火に掛けて煮込む。

「あれ? それは島のものじゃなくていいの?」

「このスープに秘境島産のものを二つも三つも加えれば雑味が増えて鶏の旨味が損なわれる。だから、鶏以外はシンプルで良いんだ。注文は美味い鶏出汁スープだしな。それよりも、言っておいた時間よりも早く来たな、リリ」

「あ、うん。気になったことがあってね~。ほら、今日って二食だけじゃない? でもチキンボールしか捕まえなかったな~と思って」

「好物は事前に聞いてある。カボチャ、だそうだ。ちょうど今から調理し始めるところだよ」

「この間採ってきたやつか。なに作るの? グラタン? シチュー? プリン?」

「丸ごと使うってのはその通りだが、あくまでもミニカボチャだからな。まぁ、レシピは考えてある。ほら、早く来たなら店内の掃除に行って来い」

「りょーかい」

 冷蔵庫から取り出したミニカボチャは三つ。このカボチャは柔らかいからそのままでも切れるが、普通のかぼちゃの場合はレンジで一~二分ほど温めるといい。その内の二つを蓋のように上部を切って、一つは中央の種部分だけをくり抜き、もう一つは皮から少しだけ身を残してあとは全部くり抜く。蓋を戻したら、蒸し器に入れて柔らかくなるまで放置する。

 その間に、くり抜いた身の部分と残していた一つを使う。そのままのカボチャは切り分けて種を抜き、皮を剥いておく。そうしたら二つ分の身を耐熱容器に入れ、ラップをしてレンジへ。柔らかくなったらてペースト状になるようによくすり潰す。潰している間に、鍋に水と寒天、砂糖を入れて火にかける。沸騰して寒天が完全に溶けたら、ペースト状にしたカボチャと塩少々を入れて、よく混ぜ合わせる。ひと煮立ちしたら火を止めて、蒸して柔らかくした皮と少しの身を残していたほうのカボチャの容器に流し込んで、粗熱が取れたら冷蔵庫へ。そのまま蒸したカボチャのほうは、冷やしても良いが今回は二つあるうちの一つを冷やすから、こちらは常温で置いておこう。

 そうこうしている間に客が来店する時間になって、リリが接客している声を聞き、最後の仕上げを始めた。

 骨の髄まで染み出たスープをお玉で掬い上げて、直接お皿に濾していく。この時の量配分が重要になるから、最も緊張する瞬間だ。

「っ――よし」

 あとは黄金色の澄んだスープの真ん中に黒コショウを少しだけ落として、完成だ。

 店内に向かい、いつも通りの挨拶をして、テーブルに皿を置いた。

「それでは、こちらが鶏ガラのスープです」

「ほう、これが……これを、飲めば――」

「その通りです。ただ、一つだけお願いがございます。このスープ、最後の一口だけを残してお待ちください」

「ああ――ああ、問題ない。ここまで待ったのだ。あと少し伸びるくらいなんてことは無い」

「ありがとうございます。では、失礼します」

 厨房に戻り、冷やしていたカボチャを取り出して食べやすい大きさに切って、再び元の形に戻していると、声が聞こえてきた。

「これは……これほどのものが最後の食事とは、実に筆舌に尽し難い。あっさりとしているのに濃厚で、体の奥にまで染み渡る。ああ――本当に、今まで生きてきて良かったと思える味だ」

「なら良かった~。店長も喜ぶと思います」

 いつもよりリリの口数が少ないのは気のせいでは無い。まぁ、俺も人のことは言えないが。

 タイミングを見計らって二つのカボチャを並べた皿を持って店内へと向かった。そこにはスプーン一杯分だけを残して待つ客が居た。

「お待たせ致しました。事前に大の好物がカボチャだと伺っておりましたので、こちらがガボチャの姿蒸し、隣がカボチャの羊羹です。皮のままお召し上がりになれます。是非ともご賞味ください」

「なるほど。そのために好物を訊いたわけか。粋な計らいだ。もちろん、いただこう」

 好物を頬張った男性は愉悦に浸ったような恍惚の表情を浮かべていた。

 カボチャを食べ終えて、スープの入ったスプーンに手を伸ばしたのを見て、遮るように口を開いた。

「お客様、最後の一口をお召し上がりになる前に確認させてください。本当に――よろしいのですね?」

「決意が揺らぐことは無い。もう充分なのだ。妻子はいない。仕事も満足するほどできた。未練があるとすれば世界一美味いものを食いたいという思いはあったが……それも叶った。楽しみにしていた最後の食事の、最後の一口だ。いただくよ」

 そう言って、最後のスープを口に運ぶ姿を見て、静かに鼻息を漏らした。

「では、これより三時間後です。完食してから三時間です。お間違いの無いように」

「ああ、ありがとう。美味しかったよ。……済まない。損な役回りだな」

「いえ、仕事です」

 そう、仕事だ。料理人は料理を作って提供する。それが仕事なのだ。

 食器類の片付けをしていても、こういう日だけはリリも突っかかることを言ってくることは無い。

 天命の料理人――寿命を司る料理人。寿命を延ばすことができるということは、つまりその逆も可能だということ。今日の客は不治の病で余命があと数年だと宣告されて、この店に来た。要望は、余命よりも早く死ぬことはできないか、ということだった。もちろん、出来る。し、それをしても自殺幇助にも殺人にもならないと法が定めている。というのも、そもそも寿命が延びる原理さえわかっていないのだ。食事をしたからといって、それが早く死ぬことが出来たという断定にはならないのだ。

 死が近付くにつれて症状が進行していく病気だから、元気なままで死にたい、と。最後まで足掻くことが出来るのではないか? と思ったこともある。だが、赤の他人に何が言える? たかだか料理人に――いったい何が言えるんだ?

 それにわかってしまうんだ。寿命を延ばした客も、もちろん笑顔で帰っていく。だがそれよりも、今回のように寿命を短くしに来た客のほうが、もっと――もっと、満足気で肩の荷が下りたようなすっきりとした笑顔で帰っていくことを知っているから。だから、この意義を理解できる。

 それでは、秘境レストラン――本日の営業は終了いたしました。

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