第2話 メニュー・ステーキ

 まずは下拵えだ。

 普通のヤギ肉は独特の臭みがあるがその原因のほとんどはちゃんと血抜きが出来ていないことにある。だから、しっかりと血抜きをしていて、それに加えて秘境島のヤギは良い草を食べているから嫌な臭みが少ない。

 パックから出した肉を切り分けてトレーに置き、採取してきた香草類を上に載せて軽くラップをかけて常温で放置しておく。

 その間に付け合わせの準備だ。

 今回、秘境島から採ってきたじゃがいもはでんぷん質が少ないからマッシュポテトなどには相応しくないが、風味は強いから今回は敢えてマッシュにする。鍋にたっぷりと水を入れてじゃがいもを沈めて火にかける。普通ならここで塩を入れるが、このじゃがいもは味が濃いから今の段階で味付けはしない。

 じゃがいもを茹でている間に次はほうれん草を使う。

 水洗いで土を落としたら、鍋に入れた水を沸騰直前まで火にかけて、煮え滾る前のお湯に葉の先から十秒だけ湯掻く。お湯から上げたほうれん草を軽く水切りしてミキサーへ。固形物が無くなり完全に液化すれば完成だ。本来なら牛乳などを入れてなめらかにするが、このほうれん草は熱することで爆発的に糖分を増やして粘度も増すから、そこに塩コショウを少々するだけで充分に味が整う。しかも、他のものと混ぜているわけでは無いから冷めても分離することが無い。これを冷蔵庫で冷ませばほうれん草の冷製ポタージュの完成だ。

 あとはワガラニヘビの肉に下味を付けておくか。

 真空パックから取り出した肉から、まずは硬い鱗の皮を剥いで大きめのぶつ切りに。しょう油・酒・しょうが・にんにく・少々のごま油と片栗粉を混ぜた液体に川辺で見つけたパセリをこま切れにして肉を入れて揉み込む。剥ぎ取った皮は真空パックに入れて再び保存しておく。大体こんなものか。

「てんちょ~、あと十分でお客さんくるよ~」

「料理の準備は出来てる。店のほうは?」

「めっちゃ綺麗にした。テーブルセッティングも完璧。今日のお客って一人だよね?」

「そうだ。予約は男性一名、ご要望はヤギ肉のステーキ。その他はお任せコース。とりあえず美味い肉が食いたいって言っていたからワガラニヘビを仕留めたのはお手柄だったな」

「そう、私は優秀!」

「じゃあ、その調子で客を迎えてくれ」

 冷製ポタージュはギリギリまで冷やしておくとして、揉み込んだ肉を揚げていこう。

 鍋をオリーブオイルで満たして火にかける。ヘビは全身が筋肉で一般的に弾力が強いと言われているが、この肉はコラーゲンが豊富で高温で揚げると溶け出してしまうから低温でじっくりじわじわと揚げる。

 油に肉を放り込んでから揚がるまでの間に、お湯から出したじゃがいもをよく水切りしてマッシャーで潰す。そこにバターを加えて馴染ませるようによく潰す。本来なら温めた牛乳や生クリームなどを足すが今回は加えずに、これでもかというくらいに潰す。滑らかになったら、塩コショウを少々と、先程使って余ったパセリを混ぜ込んでマッシュポテトの完成だ。

 ジュワ―と広がっていた油の音がパチパチと弾けるように変わったのを聞き逃さずに素早く上げた肉を網に載せて、余分な油が切れれば唐揚げの完成だ。

 これで三品――そして、丁度お客さんが来た。

「いらっしゃいませ~、ご予約のお客様ですね?」

「はい。今日はよろしくお願いします」

「ではでは、こちらへどうぞ~」

 席へと案内する声を聞いて冷蔵庫の中から取り出した冷製ポタージュの上に、湯掻いた後に切っておいたほうれん草の先を飾り付けた。ヘビの唐揚げは網目の広い木ザルに天ぷらなどの油を取る対油天紙を敷いて盛り付けた。

 飲み物の注文を訊いて厨房までやって来たリリが冷蔵庫を開けた姿を見て、取り出すのを待っていると数秒ほど悩んでから恐る恐るこちらに視線を送ってきた。

「店長……ペリエ、ってなんだっけ?」

 ああ、なるほど。たしかに、うちの店でシャンパンやワインなどの酒以外を頼む客は珍しいな。

「ペリエってのは炭酸水のことだ。ほら、このペットボトルを持っていってグラスに注げ。半分くらい注いだらそのままテーブルに置いておくんでいいから」

「りょーかい!」

 そう言って厨房から出ていったリリを見て、一息ついてから皿とザルを持って店内へと歩みを進めた。

「いらっしゃいませ。挨拶が遅れても申し訳ありません。私がシェフの綾里匠あやりたくみです。以後お見知りおきを」

「おお、貴方が天命の料理人の若き天才――お会いできて光栄です」

「いえいえ、とんでもありません。早速ですがオードブルをお持ち致しました。秘境島で採れたほうれん草の冷製ポタージュと、同じく秘境島で捕らえたヘビの唐揚げです。唐揚げのほうは中からコラーゲンと合わさった肉汁が溢れ出すので気を付けてお召し上がりください。食材について詳しいことがお聞きになりたいようでしたら、こちらに居る冒険家兼ウェイトレスのリリのご質問ください。新人ゆえに至らぬ部分もあるかと思いますが、よろしくお願い致します」

「ほう! 若き天才だけでなく、稀代の天才冒険家にまで会えるとは! そんなお二人の作った料理が美味しくないはずが無い!」

「まぁまぁ、百聞は一見に如かずですよ~」

 何故だか、この店に来る客層はリリの緩い接客を気に入る者が多い。まぁ、下手に教え込んでガチガチに緊張するよりかは良いと放置していた俺のせいでもあるんだが。

 お辞儀をして厨房に下がると、店内から興奮したような声が聞こえてきた。コラーゲンたっぷりの旨味の肉汁爆弾が弾けたか。わかる。大抵の人間は初体験だろうからな。

 さて、メインディッシュの仕上げといこう。

 まずは燻らせていた炭火に空気を送り込んで熱を上げていく。そこにゴートの腹に詰めたとき、余分に取ってきた血脈の木の枝を手で握ってバラバラにして炭の上に掛けていく。血脈の木とはその名の通り、生物と同じ血が通っている木のことだ。それを生物の傷口などに入れておくと血脈には血が巡り、木の幹は肉へと変化して傷口を塞ぐ。つまり、この木自体も調理の仕方次第では食べられるわけだが、今回はバラバラにして火にかけて肉を燻すために使う。サクラチップならぬ血脈チップというわけだ。肉の代わりにもなる木だから、肉そのものの風味を失わせずにじっくりと燻製したような豊満な香りを付けることができるわけだ。

 煙が出てくるまで少しだけ時間が掛かるのを利用して、皿としても使える鉄板を火にかけた。同時にバターを入れて溶かしている間に、秘境島で採ってきた玉ねぎを分厚めな輪切りにして鉄板に載せた。

 そうしている間に煙を出し始めた炭火を見て、常温で置いといたヤギ肉をトングで掴んだ。最高温になっている鉄網の上に肉を置けば煙に包まれながら一気に燻し焼かれていく。表面がこんがりと焼ければ、今度は裏面を。ただし、裏面はこんがりと焼き上がる前に良い具合に焼き目の付いた玉ねぎが載っている鉄板へと移し変えた。あとは作っておいたマッシュポテトを輪切りの玉ねぎの上に盛り付けて完成だ。

 鉄板を木の器へと移し替えて店内へ。テーブルの前では食べ終えたポタージュの皿と空のザルをリリが片付けているところだった。

「お待たせ致しました。本日のメインディッシュ――ヤギ肉のステーキです。ご賞味ください」

 香草で僅かに残っていた嫌な臭みを取って、血脈の木で香り付けをしたヤギ肉に無駄なソースなどは必要ない。一口食べるたびに広がるヤギ肉の肉汁と豊満な香りを味わって、合間の口直しに程よい辛みを持つ玉ねぎと暴力的な甘さを持つマッシュポテトを口に含めば、自然と再びヤギ肉を口に運んでしまう。

 そうして食事を終えた客は満足そうに背を反らして笑みを浮かべていた。

「ああ――本当にありがとう。こんなにも美味しいものを食べられて、その上で孫の入学まで見届けられるなんて……本当に、言葉にならないよ」

「複雑な言葉など必要ありません。私共はただ一言『美味しかった』とそう言ってもらえれば、それ以上に求めるものはありません」

 とはいえ、もちろん代金は支払ってもらうわけだが。

 客が帰った後、厨房の片付けをしていると、何もせずにただこちらを見ていたリリが首を傾げながら口を開いた。

「ねぇ、店長。ヤギ肉って五年だっけ?」

「いや、ヤギ肉は三年だ。お前がずっと間違えていた羊のほうが五年だな」

「あ~、わかり辛いよね?」

 ともかく。

 秘境レストラン――本日の営業は終了いたしました。

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