天気のいい日の話

錯羅 翔夜

【短編】天気のいい日の話

 大人になってから分かったことがたくさんあった。


 天気のいい日に外で遊ぶのは楽しい。


 ただの公園が楽しくて仕方なかったくらいの子供だった頃の私は、心配事をいくつも持っていた。

 そのうちの1つが「親は楽しいと思っているだろうか」というものだった。


 ただ地面にシートを敷いて座り、何をするでもなく、幼い私がただ駆け回る様を眺めていた母の事を覚えている。

 何度も、幼い私は彼女を振り返り、その所在を確かめ、その注目と庇護を確認していた。


 そしてもう一つ、確かめていたことがあった。


 私が楽しい様を見て、ちゃんと幸福でいてくれているかを見ていた。

 彼女が楽しいそうにしているのなら、私の「楽しい」が安心したものへと変わった。

 そして笑顔の母を見て、私は確かに嬉しかった。

 その目元が記憶に残っている。


 きっと母自身は、楽しくも、幸福でもなかった。

 幼いころの私が、楽しそうであったこと。それを見ているのが、彼女の幸福だったのだ。


 きっとそれはそれで楽しくて、幸せだったんだろうと思う。

 今の私も、きっと何をするでもなく、犬だろうが子供だろうが、走り回るのを日光の下で眺めるのは心満たされる光景だと感じる。


 しかし、なんともったいないことだろう、とも思う。

 私の目の前で、見知ったものが幸福そうにしていなかったとしても、今の私なら、ただ太陽の下で、何をするわけでもなく座ることでさえも最高に幸せな事の1つになる。

 母にはそれがなかった。

「わが子だけが全てだ」といえば、それは立派な「美談」になると思う。

 それでも私は、彼女には、彼女だけの幸福があってほしかった。



 オフィスの小さな窓から、さらに狭い空に目を向けた。

 日に日に夕暮れが遅くなり、これから春に向かっていく時間を見た。

 もう少ししたら、私も夕暮れの中を家路につく様になるのだろう。

 それを楽しみにしている。 

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天気のいい日の話 錯羅 翔夜 @minekeko222

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