「おはよう」


隣で柔らかく笑う君。目覚めは穏やか。

すこし安心して、ほっと息を吐いた。





「朝ごはん、何にしようか」

「んー、目玉焼がいいなぁ」

「よしっ、じゃあ準備するから待ってて」

「うんっ」


元気だ。今日も元気。

明日も元気でいてくれたらいいなぁと思いながら、冷蔵庫から卵を取り出す。


僕は一個、君は二個。卵を割る。

トースターに食パンを入れて、タイマーをセットする。


生活感溢れるキッチンにいる僕。

カーテンの隙間から射す朝日に包まれたソファでくつろぐ君。

いつもの光景。

ほっとする。



「りんご食べる?」

「んんー。プリンは?」

「ふふっ、あるよ」

「私が持ってくる! 恭一も食べるよね?」

「食べる食べる」


パタパタとスリッパを鳴らし、冷蔵庫に駆け寄る君。

元気そう。

いちいちほっとする自分に呆れるけれど、そのひとつひとつが嬉しいのだからしょうがない。



準備が整い、朝の匂いが部屋を満たす。

二人同時にお腹が鳴り、笑い合う。

幸せ。小さいけれど、これが僕らの幸せ。







「……余命、半年です」


照明が点いているというのに、とても暗く感じられた部屋で、僕はそれを聞いた。

肩を震わせる君の両親。


君自身はというと、とても落ち着いているようだった。


「ここからは、遥さんの自由です。結果を信じて治療を受け続けるか、自宅に帰り、ゆっくり過ごすか」


医師の表情は、なにもかもを諦めていた。

きっとそういうことなのだろう。

その様子が、まるで別世界のことのようだった余命宣告に、現実味を帯びさせる。


「帰ります。……お世話になりました」


にこりと、笑う。

僕でさえ涙が滲みそうになったというのに、君は最後まで泣かなかった。




病室に戻る。君のお母さんは耐えられずに出て行ってしまい、お父さんもそれを追って行ってしまった。


「私ね、なんとなくだけどね、わかるんだ」


ぽつりと呟く君。

語尾が震えたのを、僕は聴き逃さなかった。


「家、帰ろう」


痩せ細った手を、これ以上小さくならないように、そっと、そっと包む。


「……っうん」


我慢しないで。

呟くと、君は涙でいっぱいにした目をぱちくりさせた。

溢れた涙を拭いながら、僕は続ける。


「一緒に住もう。今度こそ、一緒に」


病気が発覚する前、僕は彼女にプロポーズしていた。返事をもらい、挙式の準備を進めていた矢先、彼女が倒れ、そのまま入院という流れだった。


……二人で探したマンションには、僕の住み跡しかない。まだ、君はあの部屋で生活していない。


「君と生きたい」


生きた証を、なんて言いたくない。

まだ受け止めきれていない自分の心が現れているようで情けないけれど。

……それでもまだ、認めたくない。


彼女のために認めようなんて綺麗事は言わない。

僕は僕のタイミングで、今日の宣告を受け入れる。


そう決めて、彼女の両親に相談し、週一回は顔を見せるという条件で、許しを得た。





そうして始まった君と僕の最後の時間は、緩く、確実に時を刻んで行く。








「美味しかったー」


満足そうに手を合わせる君。僕も満たされたお腹をさする。


一緒に住み始めた最初の頃は、お互いの荒んだ心を癒し合うような雰囲気があった。

そこにはきっと、辛さしかなかった。


でも今は違う。


今は、どんな小さなこともひとつひとつ拾い上げて、集めて、大切に包み込んで、幸せを育てる。

そんな生活を送ることができるようになった。


逃避ではない。受け入れた上での、幸せ。


お互いに望んだ最高の幸せだろう。



君の鼓動が動いているうちは、僕はその幸せを守ると決めた。

あと三ヶ月したら、宣告から半年経つ。


とくとく、とくとく。リズムを刻む君の鼓動が止まる。

まだ想像はつかない。

照れたらはやくなる鼓動が、瞬間、全く動かなくなってしまうところなんか想像しない。



今を大切にするしかないから。




「今日は何しようか」

「家でゆっくりしようじゃあないか~」


片付けをしながら楽しそうに話す君。僕はそれだけで幸せになれる。


君の本心からの笑顔、病院にいた頃は一度も見ることができなかった。


苦しいだけの延命措置。

君をどれだけ苦しめたのか僕には想像もつかないけれど。


そのぶん幸せをあげることは、きっと僕にしか出来ないことだ。




「ねぇ、恭一はさ、私が死んだら、他の人を好きになるのかな」


ソファでくつろぐ昼下がり。君がやっと聴き取れるくらい小さな声で言った。


時々暗い話もする。

幸せな瞬間ばかりでないことも確かだが、そんな時間だって大切にすると決めた。

何もかもから目を逸らしていた三ヶ月前とは違うから。


「そんなの、想像出来ないなぁ」

「でもいつか、素敵な人と出会うかもよ?」

「今の僕の一番の素敵は遥だからなぁ」

「嬉しいこと言ってくれるね」


君は照れるとわかりやすく鼓動が早くなる。可愛い。


「私が死んじゃっても、病んじゃ駄目だよ?」

「嫌われるぐらい元気でいてあげようか」

「それもそれで癪だし、ちょっとぐらい落ち込んでね」


落ち込まないわけはない。きっと今の僕には想像も出来ないぐらい、暗く、病むことになるだろうけれど。


「君のこと、忘れられないだろうなっていうのはわかるよ」


僕の考えてることなんてお見通しだとでも言うように、君が笑う。


つられて僕も笑う。



この幸せを、君と二人で。

最後の願い、どうか、叶えてください。



こんな時にだけ祈るなんて、と小言でも聞こえてきそうだが、そこには耳を塞いで、僕は祈る。


どうかこの幸せで彼女を包んで、最後まで守ってください。最後の瞬間まで、幸せでいられるように。



いつのまにか眠ってしまった君の寝顔を眺めながら、まだ死なないでね、と呟く。


どんなに幸せでも怖いものは怖い。

君が急にいなくなってしまわないように、僕はそっと君の手を握った。



二人で幸せになろう。



君が言ってくれた言葉を、大切に大切に心に刻んで、僕は今日も幸せを育てる。



fin.

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一文字タイトルシリーズ 藍雨 @haru_unknown

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