透
ここに来れば、あなたはいつもいた。
いつも変わらない、笑顔で。
○
柚野小春は、学校裏が好きだった。
そこには、傾斜がかった坂道のような場所があり、芝生になっている。
昼休みには友達と昼食をとったあと、必ず此処に来ることにしている。
その日もいつものようにして、此処にやって来た。
――――――僕は彼女とお喋りしてみたかった。
だから……。
○
「こんにちはっ」
「へっ!?」
なに、なに!?
驚いて、勢いで起き上がった。
「こんにちはっ」
にこっと眩しいくらいの笑顔が向けられている。誰……?
「えっと……こんにちは?」
「うん、こんにちはっ」
「あの……どちら様でしょう?」
外見は同い年に見えるけれど、それだけで判断してはいけない、と思って、私は敬語を使っていた。
「僕、ハルっていうんだ」
「ハル……」
「太陽の陽って漢字なんだよ!!」
自慢げに語る彼は、私の隣に座って、にこにこしている。
「君は? 君の名前は?」
「あ、私は、柚野小春っていいます……」
「小さい春?」
「そう、です」
「あ、敬語じゃなくていいよ! 年、同じくらいでしょ」
「そ、そう、だね……」
「小春は、此処、好きなの?」
「うん、晴れの日は、あったかくて、好き」
「僕もだよ! 安心するよねぇ……」
そう言って少年は、ドサッと芝生に倒れこむ。
「ふっかふか~」
無邪気……。同い年とは思えない不思議な感覚だ。
「あの、陽君はどうして此処に……」
「ねぇ小春は、学校楽しい?」
私の質問に被せるように、そう尋ねてくる。
「あっ、うん、楽しいよ」
友達ともうまくいっているし、勉強はそこそこだけれど、毎日充実しているように思う。
特に、此処に来るようになってから、もっと楽しくなったような気さえする。
「ねぇ、陽君は……」
「陽でいいよ~」
「あ、わかった。陽、あの……」
「今日はいつもよりあったかいなぁ。まだ一月なのに」
質問されたくないのかもしれない。そう思って、私は口を閉じた。
「あのね、僕も此処好きだから、たまに来ることにしてるんだ~」
「え、でも、今まで会ったことないよね……?」
「最近来てなかったからねぇ……。でね、これから此処で会ったら、僕とお喋りしてほしいなぁなんて」
「いいよっ、此処、誰にも教えてなかったんだけど、好きって言う人に会えて嬉しい」
「本当!? やったっ」
陽は、不思議な人だった。
冬なのに薄着なのは気になったけれど、寒そうな素振りはまったく見せない。
まるで、陽の周りだけ暖かい空気に包まれているような……そんな雰囲気。
「あ、僕、そろそろ行かなきゃ。またね、小春!」
「うん、ばいばいっ」
素敵な出会いがあった日、誰かに教えたいような、でも隠していたいような、そんなくすぐったい気持ちになった。
○
「小春~!!」
「あ、陽っ」
陽に初めて会った日から一週間経つ今日は、少し寒い日。
でも、陽は薄着のままだ。
「寒くないの?その恰好……」
「あぁ、大丈夫だよー。僕、暑がりなの」
納得出来てしまい、思わず笑ってしまった。
「え、なんで笑うの!?」
「なんでもない」
「変なの~」
この一週間で、随分親しくなった。
だから、と魔が差した。
「ねぇ、陽、何処から来ているの……?」
いつも気になっていたことを、口にする。
「……やっぱり、不審だよねぇ」
「あ、いや、そういう意味じゃなくて!」
後悔した。口にしてしまった言葉は戻らないけれど、戻れ戻れと願ってしまう。
陽の様子が変わったような気がした。
「知ってるよ、小春はそんな人じゃないからさ~」
「ごめん……」
「謝らない謝らない」
「ううん、私、つい気になっちゃって。そんな、踏み込んじゃいけないよね……」
そう言った途端、陽の表情がふっと寂しげに変わった。
「いやぁ、僕の方こそ、ごめんね。もう、来ないほうがいいかなぁ……?」
「そんなことない!」
「小春、優しいね」
「優しいのは、陽だよ……」
「いやいや、小春だね」
「違うから……」
「ううん、って、もう、堂々巡りだね」
「あ、ほんとだ……」
「なんか変なの~。小春と喧嘩した気分。焦った~」
同じだ、と思った。
私も焦っていた。
もう、陽が此処に来なくなるような気分になって、焦っていた。
……でも、陽がいつ此処に来なくなるか、分からないんだ。
何の保証もないことに気付いて、私は悲しくなった。
「小春?どうしたの……?」
心配げに首をかしげる陽。
「あっ、なんでもないよ!」
「そう? それなら良かった」
いつものように、他愛のない話をする。
いつものように、陽が笑顔になる。
私もつられる。
いつの間にか、此処に来ることではなく、此処で、陽と話すことが、好きになっていた。
○
今日は、陽が先に来ている。
珍しいな、と思いながら声をかける。
「あっ、小春、遅かったねぇ」
「今日、日直なの」
「あ、なるほどなるほど」
私たちの定位置は、傾斜に不安定そうに立っている木の下だ。
葉が散っていて寂しいけれど、出会って二週間過ぎたころには、この木にもたれて話すようになっていた。
「今日はねぇ、道端でたんぽぽが咲いててびっくりしてねぇ……」
陽の穏やかな声に、私はいつも安心する。
「たんぽぽなんて、寒いのに、すごいねぇ」
「だよねぇ、たんぽぽって、いつもはみつけたら綿毛を飛ばすために取っちゃうんだけど、今日はみるだけにしておいたんだぁ」
今日は、風のない日。暖かくはないけれど、寒くもない中途半端な日。
「あっ、おーい小春~!!」
「えっ!?」
急な呼びかけに、声を上げてしまう。
「こんなところにいた~。先生が、日直に仕事させるから探してこいって。でも、小春全然みつからないから、びっくりしたよ~」
「あ、そうなんだ、わざわざありがとう。此処、よくわかったねぇ」
「すっごい探したんだよー」
「ごめんごめん、早く行かなきゃね。あ、陽、今日はちょっと早いけど、また明日ね!」
陽の方を振り返る。
そこには、呆然と固まっている陽がいた。
「ハル? え、なに、小春? どうしたの?」
「え? あ、あのね、この人、陽っていって……」
「……ねぇ、小春、そこには誰もいないよね?」
「……なに、言ってるの?」
「小春こそ、どうしちゃったの」
陽が、突然走り出した。
「あ、待って!!」
追いかける。後ろから、「小春!?」と呼ぶ声がかかったけれど、陽を追いかけなきゃ、という気持ちでいっぱいになり、全力疾走した。
「陽、待って、陽……!!」
学校からだいぶ離れた。
体力の限界が来て、立ち止まる。
「陽、ねぇ、さっきの、友達なんだけど……」
「うん、知ってるよ」
ようやく振り返ってくれた陽は――――――――
――――――いまにも泣きそうに歪んだ顔で、笑っていた。
「潮時だね、小春」
「え……?」
「話さなきゃ、僕のこと」
「陽……?」
「……あのね、僕、実は死んでるんだ」
「死んで、る……って、え、どういうこと?」
「僕、秋に事故に遭って。死んじゃったんだ」
陽が、死んでいる……?
「僕は、だから、本当は、あの場所には行けないはずだったんだけど……。どういうわけか、成仏しきれなくて。彷徨ってたら、たどり着いちゃって。その時ね、初めて小春を見つけたんだ」
最初は話しかける勇気がわかなくて、おどおどしていたんだ。
でも、僕は自分が死んでいることを思い出して、話しかけられるわけないや、って諦めて、でもあの場所は好きだったから、あそこに留まるようになったんだ。
小春はいつも此処に来ていたよね、気になって、僕、幽霊なのをいいことに、学校をふらふら彷徨ったりしてて。ごめんね、怖いよね。
小春がどんな人なのか知ってから、やっぱりお喋りしたい、って思って。
だから、話しかけたんだ。
「僕ね、小春に出会えて本当に楽しかったんだ。幽霊になったばっかりの頃は、事故の恐怖とか、いろいろ覚えてたんだけど、小春を見つけてから、それもなくなって」
私は、気付いたら泣いていた。こんなに泣いたことはない。たくさんたくさん涙が出て、止まらなかった。
「小春には感謝してる。本当にありがとう」
何故、そんな、最後みたいな顔をしているの……?
「でもね、どうやら僕、成仏できそうなんだぁ。というかね、幽霊ってばれちゃったら、もう、ここにいられないみたいなの」
「え、なんで、嫌だ……」
「みて、足、消え始めてる……」
「いや、いやだ……。陽、待って、行かないで……」
「ごめんね小春、ずっとお喋りしてたかったな」
「私もだよ、だから、いかないで!!」
「ごめんね小春……。ありがとう、これからも、あの場所、好きでいてね」
かじかむ手で、涙を拭う。
拭いきれない涙が、頬を伝って、首にひんやりと流れる。
「陽……」
だから、何も言わなかったんだね。
時々、寂しそうだったんだね。
気付いてあげられなかった。でも、気付いていたら消えていたんだね……。
辛かっただろうな、陽。
でも、毎日毎日笑っていた。暖かくて、幽霊だなんて、信じられない。
「陽、成仏できた……? もう会えないけど、あの場所に、私、これからも通うよ。だから、陽も、たまには来てね……」
学校に、戻らなきゃ。
立ち上がって、涙をとにかく拭った。
置いてきちゃった友達は、あの後どうしただろうか。
歩き出す。
その時、たんぽぽの綿毛がふわっと空から飛んできた。
陽が元気を出して、と言っているような気がして、私は思わず笑っていた。
fin.
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