六、白刃鬼の嘆く声は未だ止まず―はくじんきのなげくこえはいまだやまず―【一】

 美しかった。その鬼は、一目見ただけで総毛立つほどに美しかった。

 結わずに流したままの髪は水簾のごとく輝き、双眸は僅かに藍を含んだ常夜の色。瓜実顔にはまだ幼さが残り、可憐に綻ぶ唇は山茱萸の実に似て瑞々しく色香を放つ。

 更紗模様の着物、金糸銀糸で織られた紐を幾重にも細腰に巻きつけてあり、その一本には小さな鈴がいくつも縫いつけられていた。歩くたびに、しゃん、しゃんと涼やかな音が響く。

 そしてその額には冴え冴えと光る一対の角。

 女人の美貌に目を奪われることなど滅多にないわたしでも、この鬼の花顔には瞬きを忘れた。

 それほどに、美しかった。

 そして、これまで遭遇した鬼のうちでも五指に入るほど、恐ろしい鬼だった。



 わたしはその日、仄暗い道を歩いていた。まだ午前十時を回ったばかりであるのに、太陽の光はさほど届かず、下草は湿り気を帯び朽ち葉を踏むたびにくしゃりと鈍い音がする。ぬかるみや腐った木の葉で足を滑らせないように神経を尖らせた。足元に注意する以外は、山道はさほど険しくはなく歩くのに難儀することはなかった。景勝地でもなく生活道としても廃れた山道は単調で、どれほど歩いたのかあまり実感が持てないが、物見遊山ではないのでそこに不服はない。

 心静かに歩いていれば、ひんやりとした空気の中に生物の息吹を感じ取れた。見渡しても姿は見えない。まだ雪の気配はないが、後に訪れる眠りの季節のために働く山鼠か何かだろうか。念のため、ポケットラジオを取り出しボリュームを上げた。熊との接触を避けるためだ。

 ラジオは交通情報と天気予報のあと、演歌を流した。どうやら駆け出しの若い演歌歌手らしく、道ならぬ恋の重苦しい詞と幼さの残る声がどうにも噛み合わず、それがかえって憐れみを誘い不思議な情緒を生み出していた。

 本当は郷土資料室の職員が同行してくれる手筈であった。しかし当日になって高熱を出してしまい、やむなく一人で出かけることになったのだ。彼からこの地における伝承を聞けると楽しみにしていたが、致し方ない。村にたった一軒の鄙びた宿を営む老夫婦は非常に気を揉んで、日延べはできないものか、代わりの案内をあたってみるかと何度も訊ねてくれた。ありがたいことだが、職業柄、山道にも単独行動にも慣れている。何も問題ない。そう宥めて早朝、出立した。

 この地を訪れたのは、山中にあったとされるたたら場跡を調査するためだ。無論、わたしがこうして足を運ぶからには、鬼に縁がある土地であることを読者諸氏はすでにお気づきであろう。

 昔、この地ではたたら製鉄が盛んだった。たたら製鉄というのは日本古来の製鉄法で、古墳時代から存在し、明治中期まで現存していた。たたら場というと、有名なアニメ映画を思い起こす読者諸氏も多いことだろう。簡単に説明すると、粘土で作った風呂桶のような炉に砂鉄と炭を入れ、ふいごで風を送り続けると純度の高い鉄の塊が取れるという具合だ。いや、この説明では簡単過ぎるのだが、たたら製鉄について詳しく書くとなると脱線どころの話ではなくなるので、ここは割愛したい。

 特にこの地域で産出される鋼は上質であったという。中でも稀少な玉鋼は極めて純度が高く粘り強い。この玉鋼から生まれた刀は、その切っ先は帷子を切り裂き、刃こぼれはせず、切れ味は落ちず、しかもどれほど血を浴びようと錆びなかったという。

 刃こぼれもせず血を浴びても錆びない刀。確かに上質な和鋼は錆びにくく丈夫であるが、いくら上質な玉鋼と刀工の腕を以てしてもそのようなものが果たして実在したのかどうか甚だ疑問ではあるが、伝説とは得てして信じ難いものである。

 ともかく良質な鋼を作り続けていた集落であったが、あるとき、忽然とそこに住む人々が姿を消した。江戸中期の文献では、鬼の仕業ではないかと締めくくられていた。

 鬼の仕業か。わたしにとってはあまり好ましい言葉ではない。この言いようの裏にあるのは大抵、人間の醜い所業であることが多いからだ。

 流行病でもあって集落ごと焼き払われたか、理不尽に惨殺されたか。それともこのたたらの技術者たちこそが鬼と呼ばれ迫害されていた者たちであったか。日本の歴史にはそうして闇に葬られた者たちが多くいる。古くは神話の時代、まつろわぬ民を土蜘蛛と呼び賤しい怪異として討伐した。鬼と呼ばれる者たちの正体が、どこからか漂流した西洋人であるといった通説は皆さんもよく知るところだろう。

 そうした差別や迫害は近代、いや現代においても未だ根強く残っている。嘆かわしいことであるが、そうした迫害から生まれた民間伝承は、わたしのような学者にとっては好奇心のくすぐられるものである。まこと、学者こそ人非人であるとそしりを受けても致し方ない。ことにわたしなどは、鬼と名がつく民間伝承ならばどんなものでもとりあえずは食いついてみる。浅ましいことこの上ない。

 これほどに鬼に惹かれるのは、宝角家の血か。育ちか。

 それにしても、この山には一体、どのような鬼が棲むのか。非業の死を遂げたたたら場の者たちの亡霊か、それとも彼らを死に追いやった悪鬼が未だ跋扈するのか。

 思いを巡らせているとふと、腰あたりでジリジリと濁った音が聞こえて、意識を現実に引き戻された。ラジオの音声が途切れ、耳障りな雑音が空気を震わす。さすがにこのような山奥では電波も入りづらいかと、チューニングのつまみをいじってみる。途中、外国語のような音声が聞こえ、今一度、さきほどのラジオ局へと収まった。演歌の時間は終わり、緩やかなイージーリスニングが流れてくる。

 さて、そろそろ件のたたら場跡が近いはずだ。鬼の伝承とは別に、たいそう見目麗しく嫋やかな女神がたたら場を守護していたという話も残っている。たたら場の神ならば火の神か。それとも炉の神か。我が国日本では、何にでも神が宿る。割れた茶碗にさえ宿るのだ。先達の豊かなアニミズムにはいつも感服させられる。鍛冶の神としては金屋子神が有名だが、それとはまた別の、この地域だけに根づく信仰のようだった。

 女神ならば足を運んだ甲斐がないな……などと不敬なことを思っていると、しゃん、しゃん……と涼やかな音が耳をくすぐる。どこから聞こえたのかと首を巡らすと、つい、と鋭い風が頬を掠めた。次の瞬間、熱を感じた。触れるとぬるりと温かい液体が指に触れ、それが血だと悟って痛みが走る。裂傷が走ったのがあまりに速く、気がつかなかった。

 何ごとかと思惑を巡らせる暇もなく、今度は首筋にひやりとしたものを感じた。この感触は刃物か。振り返ることはできない。わたしは息を呑み、相手の出方を待った。命を奪う気ならとうにそうしていただろう。しかしそれはわたしの希望的観測であったと次の瞬間に思い知らされる。

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