三、Tiger lily—たいがーりりぃ—
ギャルというのはガールから転じた俗語であり、広義で言えば若い女性ということである。狭義で言うところのギャルは、独自のファッションや文化を持つ一部の若い女性を指す。派手で言葉は乱暴、礼儀もなっていない、勉学は苦手ときている。わたしのような古い考えの人間から見ると非常に好ましくない部類の若者たちと言える。だが、独自の文化・言語を形成していくという点は民俗学者としては無視できない。黴の生えた文献を漁ったり年寄りの話を聞いたり曰くのある土地を巡るだけが民俗研究ではない。現代に発生した文化も充分に研究対象になる。
いや、詭弁が過ぎた。実際のところそれほど興味はない。わたしは黴の生えた文献と方言で語られる年寄りの話を聞くことと摩訶不思議な伝承の残る土地が大好物である。これは珍しく依頼があっての仕事だ。懇意にしている大学教授から頼まれたのだ。代わりに取材に行ってくれと。相手は女子高生だ。流行語・現代用語の研究に必要なのだそうだ。女子高生。なんと縁のない人種だろう。だが人脈は大切にせねばならない。権威のある人物であるならば特に。こちらから教授に協力を仰ぐ日もくるであろう。
ここは異文化交流と割り切って話を聞こう。そう思って指定された場所にやってきた。カフェの奥の席では、若い女性が二人座っている。特におしゃべりするでもなく、一人はスマートフォンをいじり、一人はファッション誌をペラペラとめくっていた。『あっ、おじさんが宝角さん?』一人が気づいて、肩を竦めるような感じで会釈する。短いスカートに臍やら肩が露出するブラウスを着ていた。もう一人は室内だというのにキャップを被り、穴だらけのジーンズを履いていた。メイクは二人とも一様に濃い。そして目の周りは黒い。度重なる染髪のせいか、毛先は痛みごわごわしてそうだった。わたしは好かぬ。好かぬがファッションというのは自己表現なので、安易に否定すべきではない。
ミニスカートがココ、キャップがリリナと名乗った。わたしはメニューを差し出し、スイーツも頼むように勧める。ココはダイエット中だからと断り、リリナはパンケーキを頼んだ。『それでぇ、何を訊きたいの、おじさん』君たち独特の言語について教えて欲しい。『げんごぉ?』ココが素っ頓狂な声を上げる。そして意味なく笑いながら、思いつく流行言葉を羅列していく。わたしはボイスレコーダーで録音しながら、一応メモも取る。下調べもしてきたはずなのに、知らぬ言葉が多くて絶句する。流行は瞬く間に去って行くものだと改めて知る。彼女らの言語には、意外にも社会情勢や時事ネタから派生したもの、授業で聞いた言葉をもじったものもある。勉学は苦手であろうという先入観は間違っていた。少なくともココは、敬語ではないものの敬意を払ってくれていると感じるし、系統立ててこちらの求めることを言えるし、質問にもきちんと答えてくれる。教養は欠いているが地頭は悪くない。一方、リリナはずいぶんと大人しい子のようで、名前を教えてくれたきり、何も話さない。パンケーキを食べながらときどき頷くだけだ。
そうだ。これを聞いておきたかったのだった。君たちは「すごい」と表現するときに「オニ」と言うよね。今まで黙ってにこにこと話を聞いていたリリナが少し目を丸くしてわたしを見た。ココは少し首を捻ってから言う。『オニうまいとか、オニ可愛いとかってこと?』そうそう。さっきの話には出てこなかったけど「オニ」は流行というよりもう定番? 「超」みたいな感じで使う?『んー。オニかぁ。うちらは最近言わないかも。「超」もあんまり言わないよ』再び絶句する。マジか。ああ「マジ」ももう古いのか? 空恐ろしくなり、わたしはコーヒーを一口啜る。『おじさん、面白いね』ココがそう言ってカラカラと笑う。リリナはくすくすと肩を竦めている。わたしは面白いことを言っただろうか。
話を戻そう。「オニ」は従来は「硬いもの」「ごつごつしているもの」「強いもの」「大きいもの」の名前につく。「オニアザミ」や「オニヒトデ」「オニヤンマ」とか。そこから転じて「すごい」の意味で使っていると推察するが、以前はそういうふうに使っていたのか。また、ココが頷きながらケラケラと笑う。『あ、オニユリはどうなの? オニユリは強くもごつごつもしてないよ、綺麗な花だよ』オニユリなんてよく知ってるね。『ばあちゃんちに植わってるから。根っこは食べられるんだよ。茶碗蒸しに入れてくれる』そう言って微笑んだ顔は少し幼げに見えた。『オニユリは、花の色が鬼を連想することから名づけられたらしいよ』ふぅん、と少し不服そうにココが唇を尖らせる。彼女にとっては、祖母との優しい交流の象徴に、オニと名がつくことに納得がいかないのだろう。『ごめん、おじさん。そろそろバイト行かなきゃ』ココがスマートフォンを見る。存外に楽しい時間が過ごせていたのに、それは残念だ。わたしは預かっていた謝礼の封筒と名刺を差し出した。もしよかったら、また話を聞かせてくれないか。『いいよ。名刺なくしちゃうかもしれないし、LINE交換しよ』LINEか。あまり使わないから連絡先の交換がわからない。まごまごしていると、ココはわたしのスマートフォンを取り上げ、手慣れた様子で操作する。あっという間にわたしの「友だち」にJKが加わる。驚異的な出来事である。『じゃ、またね』と手を振るココを慌てて呼び止める。友だちを置いていっていいのか、と。『え。わたし、一人できたんだけど?』言ってから改めてテーブルの上を不審そうに見た。三人分の水のグラス、それからわたしのコーヒーカップと彼女たちの飲み物のグラスが二つ。パンケーキの皿はもう下げられた後だ。ココは何か言いかけたが、時間が差し迫っているのだろう、バタバタと店を出て行った。引き留めて申し訳なかった。
では、リリナは一体。彼女に目を向けると、悪戯っぽく目をくるくるとさせている。君はココさんの友だちではないのか。肯定とも否定とも取れるような笑みが返ってくる。言葉は発しない。困惑しているわたしを眺めてくすくすと笑う。君は一体、何者なんだ。
リリナはそろりとキャップを脱ぎ、チロリと舌を出した。茶色に染められた髪の隙間から、虎のような縞模様の角が二本、にょきりと生えていた。彼女は立ち上がると、ぺこりと頭を下げて、キャップを被り直し、店を出て行った。おそらく、ココの後を追うのだろう。
なるほど。鬼百合。英名はタイガーリリィ。リリナ、か。この話は教授には教えず、わたしのものとしてもよかろう。
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