エピローグ:とある虚無の片隅にて

異界管理官

 ここからは〈世界セカイ〉の瞬きがよく見える。


 久瀬くせじゅんは安っぽい合皮のソファに寝転がって、〈無〉に浮かぶ世界たちを眺めていた。

 ――あの後、遅れて到着した〈修復能力〉持ちの管理官によって滅茶苦茶になった現場は元通りに直された。監督官が運転する軽トラで家まで送ってもらったじゅんは、風呂に入って人心地つけてから、監督官と一緒にこちら側に帰還した。

 ブレスレットは、あっちの世界に置いてきた。


 戻ってきた巡とテトは背任罪を問われることとなったが、審議員から嫌味な小言をねちねち言われただけで話は終わった。普段の監督官のお説教のほうがよっぽどキツいと巡は思う。

 これで正真正銘の札付きとなり、転属の望みは完全に絶たれたわけだが、当の二人はどこ吹く風といった感じである。


 あの嵐の夜以来、大きな事件は何一つない。


 日常を取り戻した〈飛沫世界係ひまつせかいかかり〉は以前と同じように、退屈と無為だけが積み重なる落ちこぼれの吹き溜まりとして、界隈に名を馳せている。

「はぁ……」

 何度目かわからないため息をこぼす。

 死ぬほど暇だった。とはいえ未だに事件を引きずっている巡は世界観光に行く気も起きず、こうして暇に殺されたゾンビのように、ソファでごろごろしているのだった。

「なんだ、まだごろごろしてるの」

 そこにテト・グロウラー・シャプトゥスが戻ってきた。

 あの夜のテトの顛末について言えば、完全なる『負け』であった。能力を振り絞って渦瑠コールに立ち向かったテトだったが、片腕のハンディに加えて怒りからくる視野狭窄が裏目に出てしまい、巡がわあわあと泣きわめいていた頃にはすっかりいた。

 あれ以来テトは『打倒渦瑠コール』を掲げて白兵戦の訓練に明け暮れ、「僕より強いやつを探しに行く」と言ってあちこちの世界の猛者を相手に武者修行もとい憂さ晴らしをふっかける日々を過ごしている。

「ぬっふふー」

 テトはニヤケ顔でソファに腰を下ろした。またぞろどこかの世界で千人斬りとかやって遊んできたに違いない。そんな暇があったら渦瑠に再戦でも申し込みにいけよと巡は思う。

「やけに機嫌がいいわね」と一応は尋ねてみる。

 テトはまってましたとばかりに顔を輝かせた。

「教導官の知り合いに頼まれて戦闘訓練の助手をしてきたんだあ」

「へぇー。楽しかった?」

「いやぁー、まだまだだね。ヒヨッコだね。所詮は僕の相手じゃないね」

 優越を誇る相手が教育課程のド素人だと思うと、聞いてるこっちがいたたまれなくなってくる。

「それでさあ、その新しい管理官ってのが女の子だったんだよねえ」

「へぇー。強かったの?」

「いいや全然! ありゃ全く戦闘向きじゃないね。きっと研究部か観測部行きだよ」

「へぇー。そういう人材って久しぶりじゃない」

 なおもテトは耳をへにゃりと伏せて、笑い上戸の酔っぱらいみたいに頬を緩めている。

「巡は興味ない?」

 あるわけない。

「じゃあ、これでも?」

 テトは、今まで巡から見えない位置に隠していた腕を持ち上げてみせた。


 その手首には、宝石を散りばめたようなビーズのブレスレットが巻かれていた。


 巡はバネ仕掛けの人形のように飛び起きた。

「それって!」

「そういうこと! でも残念ながら、だったけどねえ」

「そっか――」

 残念ではないといえば、嘘になる。あの二人を引き離す〈高位虚事象創発定理群こういきょじしょうそうはつていりぐん〉の理不尽さに腹も立つし、一人だけ選ばれた彼女の事を思うだけで、胸が締め付けられる。

 しかしそれ以上に、この巡り合わせは奇跡と呼ぶしか無かった。

 報われた、なんて思わない。

 自分たちがしたことはどこまでも独善的であり、それは決して肯定されるべきでない。

 でも救われた、と巡は思う。

 自分たちが背負った罪に、ほんの僅かであれ意味が与えられたのだから。

 だから今だけは、視界をにじませる涙の暖かさを、素直に受け止めたかった。

「でも、よかった。……本当に、よかった」

 彼女が教育課程を終えたら、折を見て遊びに連れて行ってあげようと思う。

 そして語ってあげるのだ。


 飛沫世界群ひまつせかいぐんの歴史に残る、大逃走劇のことを。

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異界管理官 結城わんこ @sobercat

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