【短編】ボタン・プッシュ・シンドローム
たはしかよきあし
〜押したくなかった!!〜
押してはいけないと思っているものに、どうしても触らなくてはいられない性分だった。
最初に押したのは小学校の非常ベルだった。校庭に避難した全校生徒がずらっとならんでいるのを見たときに、言い得ない感動に震えた。
「俺が、俺がこれをやったんだ。上級生も下級生も生徒会長も先生も、みんな俺のこの指が動かしたんだ」
担任にこっぴどく叱られながら、そんな風に考えた。
それからは、ボタンと言えば押さずにはいられなかった。
学校の帰り道には、道並ぶ家々のインターホンを友人達と押して回った。押して逃げると家の中から人が顔を出してきょろきょろする。愉快だった。友人達が飽きてやらなくなっても、ひとりでやりつづけた。何度も見つかっては日がくれるまで怒られた。
バスの停車ボタンもよく押した。「お降りの際は、こちらのボタンを押してください」降りる用事などなくてもバス停のたびに容赦なく押した。無意味にバスが止まるのは、まるでハンドルを握っているようで心地良かった。そのうちに乗車拒否されるようになった。
押すもののない学校生活は退屈だった。長年押し続けてきた非常ベルは皆もう慣れてしまって、新入生以外は誰もおどろかなくなっていた。勉強にうちこんだ。
高校入試のとき、リスニング用の機械の側面に「試験中は触れないこと」と書かれたボタンがあるのに気付いた。無音のヘッドホンにくすくす笑った。
英語の成績は悪かったが、何とか志望校にすべり込む。
高校では遊びに勉強にほどほどに青春を謳歌した。
先輩の家でゲームをしていた。セーブ画面がテレビに映っている。「電源ボタンに触れないでください」緑色に点灯している電源ボタンを押す。先輩の七百時間におよぶやりこみデータが消し飛んだ。ぼこぼこに殴られた。
所属していたロボット研究会が、ロボット競技会で地区大会を勝ち抜いて全国に進出した。一回戦の真っ最中にがまんできなくなって、本来はゴール間際にしか使ってはいけないボタンを、スタート直後に押した。アルミフレームのロボットが上下に分離して倒れた。あえなく敗退。大会からの道すがら、ファミレスで惨敗にむせび泣く他の部員をよそに、テーブルのボタンで用も無いのに店員を何度も呼んだ。
ボタンを押せば、何かが起きる。誰かが怒る。
楽しくてしかたがなかった。
しかし、そんな男も社会に出る時が来る。
やっとこ入った小さな会社。気分も新たに家を出る。パリっとしたスーツ姿で満員電車に乗る。目の前に同じように新入社員らしい若い女性の姿があった。ブラウスの胸の「ボタン」に目が留まる。押した。痴漢だと叫ばれた。出社初日から逮捕などされてはたまらない。必死に逃げた。
仕事をはじめるようになってしばらくたった。少しずつだが使える金も増えてきた。同僚にインターネットショッピングを薦められた。物も金も持たずに買い物できるのが良いのだと言う。「ご購入の方はこちらのボタンを押して下さい」押した。見る商品すべての購入ボタンを押して回った。部屋は物であふれ、金は見る間に底をついた。ワンクリック詐欺にも五回引っかかった。
ある時気付いた。部長の額の左に、そら豆ほどの大きさのおできがある。休憩室で女子社員たちが部長のことを「スイッチ」とあだなで呼んでいるのを聞いた。たまらなくなって押しに行った。しこたま怒られた。それでもめげずに何度も押した。四度目についにクビを言い渡された。
仕事がなくなって、時間が有り余るようになった。金はそれほどなかったが、旅に出ることにした。少ない荷物を背負って駅の改札を通る。ホームに入ったところでふと見上げると、注意書きがある。「緊急時以外はボタンに触れないで下さい」押した。もうホームの近くまで来ていた電車が急停車する。駅員が駆け寄ってきた。男はあわてて逃げ出した。
旅先のホテルで、男は自分の手のひらを見つめて考えた。
どうして自分はこうなのだろう。どうしていけないと分かっているのに、止める事ができないのだろう。
男は自分がイヤになりそうだった。世界を壊すボタンがあれば、今すぐにでも押してしまいたかった。そんなボタンが、どこかにないだろうか。どこかに、どこかに……。男は、考えるのをやめて首を振った。
もうやめよう。こんな事はもうやめて、他の人のように普通に生きよう。
用事もないフロントの番号に電話しながら、男は心に強く誓った。十数回目の無言電話に、受付のお姉さんも電話の向こうでさすがに少しいらだっているようだった。
話は少々それるが、このとき急停車した電車にはある重要人物が乗っていた。北の某国に向かう外交官であった。電車の停車したのがとにかく最悪なタイミングだったようで、他の車両との整合性を保つために再出発までかなりの時間を要した。外交官が空港にたどり着いたときには、もう予定していた便は出発していた。次の便でなんとか飛び立つも、飛行機は今度は嵐の影響で大いに遅れた。彼は予定されていた国際会議に出席することができなかった。
相手国のこの不始末をどうするか、北の某国で話し合いが行われた。多くの者は小さなことでもゆすり上げて、有利な外交を行おうと考えていた。そんな中、独裁者たる将軍が立った。
もはや体にガタがきて、そろそろ後継者に地位を明け渡す噂の絶えなかった将軍は、かねてからこう思っていた。
最後に大きな花火をあげたい。
将軍は手のひらをかかげ、言った。
「よし、発射ボタンを押しなさい」
北からミサイルが飛んできた。誰かが発射ボタンを押したのだ。
旅先で男は思った。「向こうにも、俺みたいな馬鹿がいるのか」まさかたった一本の電車の遅れが引き起こしたことだとは、夢にも思わなかった。
戦争が始まった。
物量的に差のありすぎる戦争は、すぐに終わると思われた。しかし、北はレーダーを麻痺させる謎の粒子と、新たに開発した人型ロボットを投入し、戦果をあげた。ロボットの威力は驚異的だった。本土にみるみる侵攻の手が伸びた。
男の住んでいる街にも火の手が上がる。避難命令が出されてシェルターにすし詰めにされる。拡声器を持った誘導員が叫んだ。
「みなさん落ち着いて、危険ですから前の人の背中を押さないで下さい」
その言葉がいけなかった。押してはいけない。そう思うといてもたってもいられなくなった。気がつくと、誰かの背中をドンと突いていた。将棋のように人が倒れて、人々はパニックになった。男は自分の手のひらを見てため息をついた。
シェルターの中に入っても、男は落ち着かなかった。目の前に小さな扉とドアコックがあるのだ。「関係者以外の立ち入りを固く禁ず」わざわざそんな事を書かなくてもいいだろうに。我慢できなくなってドアを押し開けて、その向こうにもぐり込んだ。
通気口のように狭い通路を抜けると、広い場所にたどり着いた。打ちっぱなしのコンクリートは、倉庫のようだった。いくつかの机に、コンピューターが光っている。その中に一人、白衣を着た老人が腹から血を流して倒れていた。駆け寄った。まだ息がある。老人は息も絶え絶えに言った。
「うう、我々はここで兵器を開発していたのだ。だが、敵にこの場所をかぎつけられてしまった。パイロットも皆殺しにされてしまった。……他にもう人がいないのだ。頼む、あれに乗ってくれ。あれは我々の最後の希望なのだ」
老人は息をひきとった。男は倉庫の奥へ向かった。大きな人型のものが横たわっていた。コクピットと思しきところに乗りこんだ。ロボットは立ち上がり、敵国のロボットが破壊を続ける市街地に向かった。
操作の方法などまるで分からない。しかし、男の前には無数のボタンが用意してあった。ボタンを押すのは得意だ。
ロボットの頭から弾丸が発射され、敵のロボットは爆発四散した。
次から次へと襲ってくる敵の人型ロボットたち。男はそれらを剣で切り、バズーカで撃ち、ドロップキックで破壊した。たった一体のロボットに手も足も出ない敵軍は、血相を変えて逃げて行った。
股間から吹き出す消火用スプリンクラーで市街地の火災を鎮火すると、街の人々は男に限りない感謝の言葉を投げかけた。
その後も男は非正規軍人としてロボットに乗せられた。東に敵あれば飛んでそれを迎撃し、西にミサイルが飛べば空中で投げ返した。男はいつも的確にボタンを押した。そんな才能が彼にはあった。気まぐれに時々押すべきでないボタンも押した。しかしそれは戦場では意外な奇襲となって、男は更なる戦果をあげた。仲間からは「ここぞという時の発想には恐れ入る」と言われ、軍からも功績をたたえて表彰された。
気がつけば、男は英雄になっていた。
だが、彼にはそんなことはどうだって良かった。
ここなら好きなだけボタンが押せる。
ここなら好きなだけボタンが押せる。
それでも男はたったひとつ、そのボタンだけは決して押そうとはしなかった。
戦争に終わりが近づいた。連合軍は北に侵攻した。最高司令官たる将軍が殺害され、戦争は終結した、かに見えた。
しかし、その後に信じられない事実が発覚した。
北の亡国は、エイリアンの植民地だったのである。そんな馬鹿なと思うかもしれないが、実際そうだったのだから笑えない。
同胞を殺されたうらみから、宇宙人達は地球に攻撃を開始した。
宇宙戦争が始まった。
あまりにも大きな科学力の差。人類の希望は、各国が総力を結集して作ったわずか十数体のロボットに預けられた。
男は、そのパイロットに選ばれていた。
ロボットに乗り、宇宙空間を戦地に向けて移動する途中、同じくパイロットに選ばれた各国のエースたちが通信をしてきた。
「お前の乗る機体が一番性能がいいんだってな。HAHA、まったく、うらやましいぜ!」
「我々の作戦のカギは、君が握っている。くれぐれもミスの無いように頼むぞ」
「ねえねえ、私とどっちが宇宙人を多く倒せるか、勝負しようよ。まあ、もちろん私が勝つんだろうけどね」
「えっ? この写真ですか? いやあ、これは地球で待ってる彼女の写真なんです。無事帰れたら、僕達結婚するんです」
人種も、言葉も、まるで違う。しかし彼らは皆、ひとつの同じ目標に向かっている。
彼らの足元には、地球が青く輝いている。
地上では、数十億の人々が、彼らの勝利を祈っている。もはや、地球に国境などはない。人種を超え、言葉の壁を超え、誰もが人類の勝利を願っている。地球は今、ついにひとつとなったのだ。
「さあ、みんな。最後の戦いなんだ。気合を入れよう」
男はそう言ってうながし、ロボットたちはお互いの肩をとり合い、円陣を組んだ。
ずっと、こんな日が来るのを待ち続けていた。
そして男はゆっくりと、コクピットの隅にある透明なプラスチックカバーを開けた。男が、ついに今まで押すことのなかったそのボタンは、黒と黄色のストライプに囲まれている。
俗に言う、自爆ボタンである。
押せば高エネルギーエンジンが暴走して、数十キロ四方が吹き飛ぶ爆発が起きる。いま、この肩を寄せ合う至近距離で爆発したなら、人類の叡智と言えどもただではすまないだろう。人類の希望は、宇宙の屑と成り果てる。
絶対に、押してはいけないボタン。まるで美しい宝石を扱うようにボタンに触れ、その感触に恍惚とする。
初めて非常ベルを押したときのことを思い出す。数百人の生徒を自由に動かしたような支配感。今、数十億の人間の命を自由にできるボタンが手の中にある。
この指に力を込めるだけで、人類は……。
男はにやりと笑い、そしてプラスチックカバーを閉じた。
かつての自分だったら間違いなく押していたのだろう。世界を壊すボタンがあれば。そう思っていたあの日の自分だったなら。
だが、今は違う。今の自分は、六十億の希望を背負っているのだ。男はもう、あのころのように弱くもなければちっぽけでもない。
押したくなかった。このボタンだけは、決して。
「さあみんな、行こう。人類の未来のために」
オー! という威勢のいい声が、無線越しに返ってきた。
そして彼らは戦場に向かう。
人類の平和を守るために。
美しい地球を守るために。
けたたましい音が鳴った。思わず飛び起きて音を止めた。
適当に朝飯をすませ、いそいそとスーツに着替える。憂鬱な気分にため息が出る。
「くそ、あんなボタンさえ押さなけりゃ、ずっとヒーローでいられたのに」
ネクタイをきつく締めながら、男は枕元にある目覚まし時計を忌々しくにらみつけた。
【終】
【短編】ボタン・プッシュ・シンドローム たはしかよきあし @ikaaki118
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