伊織先輩との一時

 夕暮れ。すでに日は傾き、もう30分もすれば完全な夜がやってくるだろう。そんな時間帯だというのに女性、傍らに男性がいたとしても、が出歩くのは様々な意味で危険だというものだ。

「それでねー、小さい頃はよく見えたりしたんだぁ、幽霊とか、妖怪とか言うもの」

「そうだったんですか」

 絶妙な相槌を打ちながら、暗くなっていく夜道を歩く二人組。傍から見ればカップルに見えそうな二人だが、よくよく会話の内容と話し方、両者の歩幅を確認すればまったくもって見当違いなことが伺える。

 学校指定の鞄を両手前に持ち、楽し気な表情を浮かべながら左側に顔を傾ける少女。学校指定の鞄を左手に持ち、上から見下ろす形で右側に顔を傾けて少々やりずらそうにする青年。

 図書委員長の西城伊織と白狼の転校生、赤井小葉の姿が地元の商店街にあった。

「神社とかお寺とか行くと結構見えちゃってね、怖かったよー」

「でも、今は見えないんですよね?」

「そうだお?」

「(……)じゃ、じゃあ良かったじゃないですか」

 小葉は伊織の時々挟んでくる変な返しに一々動揺してしまい、少しずつ疲労が溜まっていたが、そんな彼の様子を見て逆に日頃のストレスを解消する彼女は本当に楽しそうだった。なお、青年は自分がからかわれていることに一切気づいていない。

「そうなんだけどね…」

 伊織が一転して暗い顔を作った。

「昨日、あかは君に探してって言われた『妖霊歩歴』から色々連想しちゃってね、小さい頃の怖い記憶が夢に出てきたの」

 小葉はその話を聞いた直後、動揺による疲れなどは一瞬で消え去った。

『妖霊歩歴』

 それは小葉が図書室で探していた本の名前だった。端的に言うと、日本に関する妖怪や幽霊などの伝承を纏め上げた一冊の古い本。作者の名前は記載されておらず、いつ発行されたのかも分からない謎めいた本だった。

「あの……なんか、すみませんでした。やはり、最初から自分で調べるべきでしたね」

 小葉は立ち止まって、伊織に頭を下げた。

「いいの、いいの気にしないで。私こう見えて結構心強いんだから」

 伊織は沈んだ顔から一転し、小葉を安心させるように無理の無い笑顔を見せた。

「そう…なんですか?」

 小葉は顔を上げ、伊織の目を見つめる。

「うん、でもね……喧嘩は強くないから、襲われたら抵抗出来ないかも」

 伊織は急にもじもじとし、顔を俯かせた。

「えっ……」

 小葉の心が揺れる。そして、伊織は顔を上げて続けて言った。

「だから、その時は……よろしくね?」

 夕焼けに照らされる先輩の表情は影で良く見えなかった。

 だけど、僕はこの時芽生えた心の雑音に従って、コクリとうなずいたのだった。



 ♥%×%♥



「さあ、着いたよー」

 船山高校から現在位置までの徒歩距離およそ20分。伊織にお願いして松島先生が言っていた『あそこ』に案内してもらった小葉はおそらく久しぶりに冷や汗というものをかいていた。

「あのー伊織先輩?場所間違ってません?」

「間違ってないよ」

「冗談ですよね?」

「本気と書いてマジと読むって、あかは君は知ってる?」

「それは知りませんでした。勉強になりました」

「いきなりマジにならないで」

 小葉の目の前にある一つの建物。いや、建物と言っても良いのかも分からないぐらいの廃れた館はあまりにも悲惨な状態だった。窓は割れ、草木は生い茂り、いたるところに蜘蛛の巣が張り巡らされている。まさに、幽霊屋敷という言葉が世界で一番似合う所だ。

「あの、ほんとにここにあるんですか?ただの不気味な館ですよね?ここ」

「何を言ってるの?そこの折れかけの板に『船山市立第一図書館』って書いてあるでしょ?」

 小葉は入口門の横に外して置きかけてある完全に真ん中横線で折れている板を見て、「うわ、ほんとだ」と素でこぼした。

「昔は街の皆に毎日のように使われていたらしいけど、今は駅の方に新しく建てられた第二図書館があるからね。老兵はただ消え去るのみっていつの間にか人々の記憶から忘れられちゃったんだよ」

「そうなんですか……」

「まあ、一応こんなでも市の方はいまだにこの図書館を認知しているから、敷地に入っても文句は言われないはず……だよ?」

 小葉は底知れぬ不安感を覚えたが、あえてここでは言わないでおこうと思った。

「そうですか、分かりました……」

 小葉はいったんここで頭の中をクリアにし、今やるべき物事に優先順位を付ける。

「では、もう今日は遅いのでまた明日にでもここに来ることにします」

「うん、それがいいね」

 太陽はすでに半分以上が地平線に埋まっており、いまや月の光の方が夜空を照らしていた。こんな時間帯から、暗くて気味の悪い館を散策するのは骨がいる。それに、一人の女の子を夜中に連れまわす、もしくは一人で家まで帰らせるという行為は小葉的にも非常識な考えだった。

「家まで送りますよ、伊織先輩」

「え、本当?助かるよーあかはくーん」

「いえいえ、気にしないでください」

 あなたとの約束もありますからねと心の中で続けた小葉は歩いていく伊織先輩の隣に付いていった。

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未来改変執行機関 二葉マキナ @futabax

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