最終話 危機を救うもうひとつの方法
朝の教室は静かで、誰もいないのではないかと俺は感じそうになった。
だが、中を見れば、ひとり、ぽつんと席に座るクラスメイトがいる。
「よお。その、おはよう」
「珍しいわね」
挨拶の返事をしてきた佐々倉は、机の上に何も広げずにいた。ただぼんやりとしていたようだ。
俺は学校の鞄を肩に提げたまま、佐々倉のそばまで足を進める。
「とりあえず、生きてるな」
「当たり前のことを言うのね」
「ああ。そう言わずにはいられないほど、今ここにいるのが奇跡だなって思うんだよな」
「浅井さんと寺井さんが引き分けに終わったからかしら?」
「そうだな」
俺は言うなり、数日前に河原であった浅井と寺井の戦いを思い返す。
二人の勝負は結局つかず、どちらとも、地球からいなくなってしまった。後数週間で宇宙が滅亡してしまうことは俺に押し付けたまま。
「といってもさ、綾乃はこの世界からいなくなったしな……。多分、また、過去に戻って、俺と付き合えるかどうか、やり直してるんだろうな……」
「長倉くんは後を追って死ぬとか、そういうことは考えないのかしら?」
「考えないな。第一、俺は死にたくない」
かぶりを振る俺に対して、「それはそうね」と佐々倉は声をこぼす。
綾乃はやはりというべきか、死んでしまった。前と同じで、自宅のマンションから飛び降りて。いや、過去に戻ったと言い換えるのが正しいかもしれない。
「で、俺は取り残されたような感じだな」
「寂しいのかしら?」
「いや、そこまでは感じないな。黒木とかいるしな」
「そしたら、わたしは兄さんがいるっていうことになるわね」
口にする佐々倉の表情は寂しげだった。
「長倉くんは、兄さんの呪縛をいつ解いてくれるのかしら?」
「それは色々と難しいな……。地球、いや、宇宙全体が滅亡するまでには無理だろうな……」
「それは残念ね」
佐々倉は言葉を漏らすと、おもむろに立ち上がり、俺と向かい合った。
「なら、その滅亡の時は、わたしと兄さん、そして、長倉くんの三人で迎えることになるわね」
「死んだ兄のことは生きてる俺と同じ扱いってわけか」
「それは仕方ないわ。わたしは、兄さんの死をどこかで受け入れることができていないのだから」
胸元に手のひらを当てて、佐々倉は言う。
「それとも……」
「何だ?」
「わたしと一緒に、この世からいなくなるというのはどうかしら?」
「それはパスだ」
俺は軽く片手を上げて、佐々倉の提案を拒む。
「さっきも言ったけどさ、俺は死にたくない」
「でも、それは今死ぬか、数週間後に死ぬか、の違いでしかないわね」
「それはそうだけどさ……。俺は少しでも長く生きたいって思ってるんだよな」
「おもしろいわね」
「そうか?」
「ええ。わたしは別に今死んでもいいと思ってるから」
「それは、兄に会えるからってことか?」
「そうね」
佐々倉はおもむろに席から離れ、窓際まで歩み寄っていった。
俺も遅れて後についていく。
「もし、わたしがここから飛び降りると言ったら、長倉くんはどうするかしら?」
「それは、もちろん、助けるに決まってる」
「正義感が強いのね」
「逆に見過ごしたら、色々と後悔しそうだからな」
俺が言うと、佐々倉は片手で髪を耳にかける仕草をしつつ、振り返ってきた。丁度太陽の光が彼女の背を照らし、正面が陰になる。
「そしたら、そうね。この世界が終わるまでの間、長倉くんと過ごすのも悪くないわね」
「それは、俺と付き合ってくれるとかか?」
「そうじゃないわ」
佐々倉は何がおかしいのか、口元に手を当てて、笑いを堪えるかのような動きをする。
「本当に、長倉くんはわたしのことが好きなのね」
「まあな」
「正直、嬉しいわ」
佐々倉の言葉に、俺はつい喜びたくなってしまう。だが、すぐにフラれていることを思い出し、へこんでしまった。
「どちらにしても、この世界はもうすぐ終りなのね」
「俺にはどうすることもできないな」
「諦めが早いわね」
「なら、佐々倉さんは何かいい方法とか、あったりするのか?」
「特にないわ」
佐々倉はかぶりを振って答える。
「あったら、すぐに実行してるわ」
「だよな」
俺は口にしつつ、どうにかできないかと頭を巡らそうとした。
「諦めるのはまだ早いです」
突然、教室内に第三者の声が響く。
俺は耳にした方、廊下側へ顔を動かした。
見れば、開いている扉から、ひとりの女子生徒が入ってくる。小柄で、かけているメガネは片方が割れていた。
「って、お前、どうしたんだ、それ」
「大丈夫です。見た目はひどいですが、特に調子は悪くありません」
淡々と話す彼女、地球からいなくなったはずの浅井はズタボロな制服姿をしていた。顔や腕には至る所に傷跡があり、袖とかは半分近く破れている。他の生徒が目にしたら、思わず振り向いてしまうだろう。
「何か大変な目に遭っていたみたいね」
「そうですね。あれを追い出すのに色々と大変でしたから」
浅井は佐々倉の質問に答えると、俺らの方へ足を進ませてきた。あれとは、寺井のことだろう。
「今から、過去に戻ります」
「そうか」
「あなたもついてきてください」
「俺もか?」
「はい」
数メートルの距離まで近づいてきたところで、浅井はうなずく。
「過去に戻って、どうするんだ?」
「宇宙滅亡の危機を救います」
「それは、無理なのではないかしら?」
「いいえ。実はひとつだけ、可能な方法がありました」
浅井の言葉に俺は、「どういう方法だ?」と問いかける。
「佐々倉さんの兄を救うことです」
「わたしの兄さんを?」
「はい」
浅井は躊躇せずに返事をする。
つまりは、どういうことだ。
「簡単です。まずはじめに、あなたは佐々倉さんのことが好きです。それだから、舘林さんの告白を断ります。そしたら、舘林さんはそれを何とかしようと、死ぬ度に過去へ戻る力を使って、何回も同じ時を繰り返します。そうしますと、それにより、宇宙が滅亡してしまいます」
「いや、それはわかってるけどさ、その宇宙滅亡を防ぐためには」
「あなたが舘林さんの告白をオッケーすればいいだけです。ですけど、あなたはそれを拒んでいます。なぜなら、今言ったように、佐々倉さんのことが好きだからです。フラれてもです」
「浅井さんは何が言いたいのかしら?」
「それを何とかするためには、過去へ戻り、佐々倉さんの兄が死ぬことを防げばいいんです」
「いや、何でそういう話になるのか、イマイチわからないんだが……」
「あなたは、佐々倉さんから聞きましたよね? 彼女の兄が亡くなったことにより、両親が離婚したことを。それにより、苗字は変わり、外面も変わったことを」
「確かに聞いたけどさ……」
「もし、佐々倉さんの兄が生きていた場合、佐々倉さんは酒井さんのままでした。そんな彼女をあなたは好きになったりしますか?」
「あっ……」
俺は浅井が何を言いたいのか、今さらながら気づいた。
中学三年の時、同じクラスメイトでありながらも、影が薄い存在だった酒井。
佐々倉の兄が生きていたら、酒井は酒井のままで、今の佐々倉はいなかったかもしれない。
「佐々倉さんは」
「何かしら?」
「もし、兄が生きていたら、どうなっていた?」
「そうね」
佐々倉は人差し指で唇近くを撫でつつ、考えるような仕草を取り。
「わからないわ。だけれども、今のわたしみたいにはならなかったと思うわね」
「俺が好きになるような佐々倉さんにか?」
「そうね。けども、両親は兄さんが生きていても、いずれは離婚していたかもしれないわね。ただ、その時が早くやってくるか、遅くやってくるかの違いだけね」
「そうか……」
俺は声をこぼし、正面に立つ浅井と目を合わせる。
「もし、佐々倉さんの兄を助けたら、俺は綾乃と付き合うことになるのか?」
「そうですね。ですけど、もしかしたら、あなたは気持ちが変わらずに、兄が生きたままの佐々倉さんを好きになるかもしれません」
「なるほどな」
俺はじっとするなり、どうしようかと悩み始める。佐々倉の兄を助けるために過去へ戻るか。または、今の時間にとどまり、佐々倉とともに滅亡の時を迎えるか。
「長倉くんはどうしたいのかしら?」
「俺は、佐々倉さんの兄を助ける」
自然とこぼれた言葉は、あまりにも正直すぎる気持ちだった。
「決まりですね」
「そうみたいね」
佐々倉のうなずきが合図みたいに、浅井が俺の腕を掴んでくる。
「善は急げです」
「わかった」
「ここでお別れみたいね」
おもむろに口にした佐々倉に対して、俺は、「そうだな」と言うだけだった。どう反応をすればいいかわからなかったという感じだ。
「そんな別れ方でいいのですか?」
見れば、浅井が背を向け、不満げな調子でつぶやく。
さっさと立ち去るわけにはいかないようだ。
「佐々倉さん」
「何かしら?」
彼女が尋ねてきたと同時に、俺の体は勝手に動き。
気づけば、お互いの唇を重ね合わせていた。
「長倉くん?」
「やっぱ、その、好きだからさ……。何だ、我慢できなかった」
「大胆なのね」
佐々倉はまだ感触が残っているであろう唇を触り、微笑む。
一方で俺は、キスをした恥ずかしさで、顔が火照ってしまった。
「用件は済みましたか?」
浅井が視線を移してくるので、俺は、「あ、ああ」とぎこちなく応じる。
「それでは行きます」
「佐々倉さん、それじゃあ、その」
「ここでお別れね。いえ、また、会えるのよね。ただ、その時は、『窓際の酒井』としてかしら?」
「そうだな」
俺は名残惜しさを今さらながら感じつつも、浅井に連れられ、歩き始める。
「キスはどうでしたか?」
「何で、宇宙人のお前に聞かれないといけないんだ?」
「参考に聞きたいだけです」
「参考にすることでもないだろ?」
「言いたくないのなら、いいです。無理に答えてもらう必要はないので」
浅井は口にすると、俺から目を逸らし、廊下へ向かっていく。
腕を掴まれたままの俺は、途中、振り返り、教室にひとり残る佐々倉の姿を視界に映す。
と、佐々倉は手を振ってきたので、俺も同じことをして返した。
そして、周りは真っ暗闇に包まれる。
「キスは一瞬だったから、何だろうな、ふっくらとした、佐々倉さんの唇の感触だけだな」
「それがキスの感想ですか?」
「ああ」
「つまらない感想ですね」
「悪かったな」
「とりあえず、目を閉じていてください」
「しないと、どうなるんだ?」
「嫌でもすると思います。というより、前にも同じことを言ったような気がします」
浅井の声に、俺は前に過去へ行った時のことを思い出す。だが、今回も同じように意地でも瞼を開けていようという変なプライドを抱いてしまった。
やがて、前方から光が発してきて、あたりは照らされ、真っ白になり。
「ダメだ、今回も眩しすぎる」
「だから、目を閉じた方がいいです」
口にする浅井はいつの間にか横にいて、目はしっかりと瞑っていた。
しばらくすると、光はさらに強くなってきて、俺は抵抗及ばず、まぶたを閉じてしまう。
人生二回目のタイムトラベルで宇宙の危機を救えるのかどうか。
そんな未来のことは現在わからなくても、最悪の結末は避けたいところだ。
過去へ向かう俺はそう内心で抱いていた。
幼馴染の告白が宇宙を滅ぼすと言われても、俺には正直ピンとこない。 青見銀縁 @aomi_ginbuchi
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