第三章 4 (完)





「どこから話せばいいか……。そうだな、結論から言ってしまいますね。鈴村さん、あなたと片岡照之とのラブデュエルは完全なインチキです」


「い、インチキ!? でも、そんなはずない。不可能ですよ、そんなこと」


「そう、普通は不可能です。現在世界中で使われているラブデュエルシステムは人間の感情判定という重大な役目を果たしています。それゆえシステム管理は徹底されていて世界最高レベルのセキュリティによって守られている。だからこそラブデュエルの正当性は誰も疑わない。そうですよね?」


「そうですよ。だからこそ私みたいな商売も成り立つんです」


「その強固なセキュリティを突破して自分の思うがままにラブデュエルを操作出来るようにシステムをいじったんですよ、片岡は」


「そ、そんな馬鹿な! あの、ちゃらちゃらした男が?」

 

 まさかとは思ったがそれが事実なら説明できることは確かに多かった。初めて会った自分を調査員と見抜いたことも訳の分からないポイントを取られたこともシステム自体を改竄してしまえば容易に出来る。


「でも、信じられない。一般人にそんなことが出来るんでしょうか?」


「……話は変わりますが昔話をしましょう。それを聞けばあなたも納得すると思います。私が昔システムエンジニアをしていたという話はしましたよね? その時に同僚だった男がいました。私と彼は尊敬する上司の元で競うように仕事をしていた。上司の信頼を得て、二人とも会社内でそれなりの立場にもなった。ところが彼は出世欲が強すぎてチームワークを乱すこともしばしばでした。やがて彼は仲間から疎まれるようになり喧嘩別れするように会社を辞めて行った。その男の名こそ片岡なのです」


「片岡! それじゃあ……」


「おそらく照之という方は息子さんでしょうね。本人はもう亡くなったと風の噂で聞きましたから」


 こんな形で私と鉾本さんが繋がるなんて……。


 珠代は驚きを禁じ得なかった。


「でも、そんなにすごい技術を持っていた方なんですか? 片岡さんって」


「私と彼が働いていたのはヘンク研究所という場所でね。上司というのはもちろんスルート・ヘンクその人なのです。彼の一番弟子であった片岡の息子ならラブデュエルシステムを弄ることも不可能ではないでしょう」


「ちょ、ちょっと待って下さい! ヘンクってあのヘンク博士ですか! それって、つまり……」


「私と片岡はラブデュエルシステムの初期開発メンバーなんですよ」

 

 珠代はおそらくこれまで生きてきた中で一番驚いた。しかしそれと同時に腑に落ちた部分もあった。鉾本がラブデュエルを「おもちゃ」と吐き捨てた理由がこれでわかった気がした。


「片岡はとにかく金儲けのためにラブデュエルを使おうという考え方でした。まあ、私だってその時の特許関係で今もお金を頂いているんですから非難できる立場ではないかも知れないがね。それに引き換えヘンク博士は良くも悪くも研究者でシステムの完成度ばかり気にしていて世俗的なことには興味がないという人間だった。このシステムが人間に与えるマイナスの面を憂慮して次第に否定的な意見を持った私も次第に師とは気持ちが合わなくなっていった。それで結局三人は別々の道に進んだわけです」


「まさか、あなたがラブデュエルの開発者の一人だったなんて」


「黙っていてすいません。あっ、でも、私はラブデュエルに対してインチキはしてませんよ? 信じてもらえるかわからないが、私がラブデュエルを身に付けているのは利用するためではなく、自分が産み出したものをこの目で監視していたかったからです。確かに私が去った後のラブデュエルの進化はすごかった。でも感情をポイントにするという考え方自体、私は当初から反対だった。人間の恋愛に於ける心の動きはあまりに複雑だ。個人差も大き過ぎる。『好き』という言葉が同じものを指しているとは限らないんです。それに点数を付けて一喜一憂するのはどうも違う気がする。人間はいつから数字に頼り過ぎるようになったんでしょうね? 測れないはずのものまで無理やり数字で測り出して」


「後悔しているんですか? ラブデュエルの開発に参加していたことを」


「今のは個人的な主張に過ぎません。私が何を思おうと世間一般が受け入れたのならラブデュエルは人類にとって必要なものだったのでしょう。大多数の人間がイエスと言っている物に意地を張ってノーと言ってもしょうがない。ただ過信は禁物だということを言いたいだけです。片岡のような奴がいれば尚更にね」


「それなら、私、片岡照之を告発します。彼のインチキに騙された女性はたくさんいるんです。これ以上犠牲者を出さないためにも……」


「いや、待ってください。それは少し考えた方がいい」


「なぜですか! このまま彼の不正を許すわけには……」


「混乱するからです、世界中の人間が。歴史を揺るがすほど大変なことになってしまう」


「混乱? あっ、そうか!」


「今や世界中でラブデュエルシステムが使われています。もしシステムを改竄できた人間がいるというニュースが世の中に広まったらどうなります? みんな疑い出すはずだ、自分のラブデュエル判定は本当に大丈夫なのか、と」


「世界中の夫婦、恋人たちが一斉に疑心暗鬼になってしまうということですね?」


「点数によってはっきり示されていたものが信用できないとわかれば人は何を信じたらいいかわからなくなる。自分を信じてくれない相手を無償で信じられる人間などそうはいない。別れるカップルが続出するでしょうね。人間社会は立て直せないほどグチャグチャになる可能性もある」


「そんな。じゃあ、どうすればいいんでしょう? 見過ごすしかないんですか?」


「私に考えがあります。今夜一晩あなたのスマホを貸してください。片岡照之が施した不正プログラムを解析できればあるいは……」


「わかりました。私も出来る限り協力します」


「それでは私は早速作業に取り掛かります。鈴村さんは向こうの部屋で休んでいて下さい。出来るだけ急いでやりますから」


「いえ、あの、後ろで見ていてはいけませんか?」


「えっ、まあ、構いませんけど。でも面白いものではないですよ?」

 

「いいんです。私は何も出来ませんけどせめて見守らせてください


 珠代は椅子を借り、キーを打つ鉾本を見守った。画面を見つめながらキーを必死に奏でる頭の薄いおじさんの背中はとてつもなくかっこ良かった。






 次の日。


 再び見上げたマンション。ふうっと息を吐いた珠代はインターフォンを鳴らした。男の声がぶっきらぼうに「誰?」と答える。珠代が自分の名を告げるとその声のトーンが明らかに変わった。


「おお、たまちゃーん。やっぱりまた会いに来てくれたんだね」


「ちょっとお話ししたいことがあるので会ってもらえますか?」


「いいよぉー」

 

 オートロックが開いた。珠代はもう一度ふうっと息を吐くとヒールをカツカツ鳴らし廊下を歩いた。エレベーターを降りて奥に進むと、もう部屋のドアが開き片岡が顔を覗かせていた。


「やあ、いらっしゃい。昨日の今日とは、こんなに早く俺に会いたくなったのかい?」


「会いたくはなかったけど話したいことはあるの」


「強がり言っちゃって。俺のこと気になって仕方が無くなったんだろう? 入りなよ」

 

 大きく開けられたドアから中に入ると、昨日とは打って変わってだらしなく髪の乱れた明日香が薄ら笑いを浮かべながら迎えてくれた。どうやらこっちが普段の姿らしい。昨日は最初から騙すつもりで身だしなみをきちんと整えていたのだろう。


「さて、話って何かな? やっと自分の気持ちに気付いたのかい?」


「あなたが不正なシステム改竄をしたことはわかっているんです」

 

 ピクッと片岡の顔が引き攣ったのを珠代は見逃さなかった。


「改竄ってなんだい? システムとかよくわからないことを……」


「あなたの父親がラブデュエルシステムの開発者の一人ってことは掴んでいるのよ」

 

 珠代がそう言うと明らかに片岡の表情に動揺が見られた。それを見た明日香の顔も不安気に変わった。


「照之、どういうこと? 開発者って何のこと?」


「し、知らねえよ。この女、頭おかしいんじゃねえの?」


「明日香さん、こいつはラブデュエルのシステムを自分の都合が良くなるように改竄したんです。彼には父親から受け継いだ悪しき技術があるのよ。あなたが信じていたラブデュエルの判定は全部インチキなの」


「そ、そんな、だって私、彼を愛しているわ。そう、ラブデュエルとか関係なく!」


「吊り橋効果って知ってる? 異性とスリルを覚える場所に行くと恐怖心による胸のドキドキを恋愛によるドキドキと勘違いしてしまい自分は相手を好きなのだと錯覚してしまう。つまりあなたはインチキのラブデュエルで出ていた判定に惑わされて自分の感情を勘違いしているだけなの。あなたは洗脳されているだけ」


「せ、洗脳……」


「騙されるな、明日香! こいつは俺に惚れちまって、それを認めたくないから話を作っているだけだ。見ていろ、今、ラブデュエルが正しいことを……」


「ああ、それはもう使わない方がいいわよ。あなたに近づいた段階で修正プログラムを発動させたから」


「はっ? な、なんだよ、それ?」


「あなたが不正なプログラムを使うとあなたのラブデュエルシステムは停止し、二度とあなたはそれを使えなくなる。その機械だけ、という意味じゃないわ。どんな機器を使ってもあなたのアカウントは全世界のラブデュエルシステムから認識されなくなるということ。それがどういう意味か、あなたならわかるわよね? 今の時代、人間社会に複雑に組み込まれたラブデュエルシステムから仲間外れにされれば、まともに生活できなくなるわ」


「なんだと!? そんな事が出来るわけがない! そんなことが出来るのは……」


「ラブデュエルシステムを一括管理しているヘンク研究所の協力は既に得られています」


「なっ……、馬鹿な……。おまえみたいな小さい探偵事務所の調査員の言うことをあの世界的大企業が信じるわけがない。あそこは今や各国政府も絡んでいる組織なんだぞ?」


「ヘンク研究所の現代表はラブデュエルを開発したヘンク博士の息子であるアレン・ヘンク氏。彼は若い頃『ある人』の弟子だったそうなの。その『ある人』が一晩で修正プログラムを作りアレンに連絡を入れてくれた。システムが改竄されていた事実を発表されて世界が混乱するより、あなたをブラックリストに入れてしまうというアイデアを彼は受け入れてくれたそうよ」


「あ、ありえない……。たった一晩で修正を? 待てよ、アレンの師匠! 聞いたことがある! 確か、『鉾本』とかいう親父のライバルだった男だな? 欲がないくせに技術だけは飛び抜けていてムカつく奴だって、親父がよく愚痴を零していた。まさか、こんなに早くそいつを味方に引き入れたっていうのか?」


「偶然なのよ、彼と出会ったのは。でも運命かもしれない。私たちは結局何かに引き会わされているような気がするわ。出会うことでそれぞれが自分を考え直す切っ掛けを与えられているんじゃないかしら? あなたもそうよ。いい機会だから反省しなさい」


「馬鹿を言え! 運命なんてあるものか。みんな、偶然出会った相手に無理やり意味を付けているだけだ。運命という付加価値を付けることで飽きやすい心を誤魔化しているんだよ。俺は自分の心に真っ正直に生きてきた。狂っているのはラブデュエルシステムを信じている奴らの方だ。あんな馬鹿げたゲームで何が分かる?」


「あなたがどう思おうと勝手よ。でもひょっとしたらあなただって気付いていたんじゃないの? インチキで女性たちを洗脳しても自分が虚しいだけだって。あなたがやっていたことは馬鹿げたゲームですら無いただの一人相撲よ。これ以上あなたの駄々に女性を巻き込まないで」

 

「一人相撲……」


 片岡は力なくガクッとうなだれた。もう彼は戦う気も失せたようだった。今度は明日香の番だ。


「明日香さん、あなたも目を覚ましなさい。自分の心にちゃんと聞くの。目の前の相手が本当に運命の相手なのか。何があっても信じられる、いえ、信じたい人間なのか」


「わ、わからないよ! そんなの、わからない! 今までのラブデュエルがインチキだったのなら私の『愛している』って何だったの? 私は愛されていなかったの? わかんないよぉ!」

 

 明日香は泣き崩れた。でも珠代は助け起こそうとはしなかった。これは明日香が自分で考え結論に至らなくてはならない問題だ。自分で立ち上がらなくては意味がなくなるのだ。


「……じゃあ、二人共、もう会うことはないでしょうけど。さようなら」

 

 泣き続ける明日香と立ち尽くしそれを見つめるだけの片岡。そんな二人を部屋に残し珠代は外へ出た。昨日泣き崩れたエレベーターに乗り込み下に降りる。建物の外に出ると鉾本が待っていた。


「来なくていいって言われたのに心配で来てしまいました。すいません」

 

 謝ることではないのにまた頭を下げる。そんな彼を見ても不思議と情けないという感じはしなかった。優しさだけを珠代は素直に受け取れた。


「何とか終わりました。彼女が片岡と別れるかどうかは彼女自身に委ねましたけど」


「そうですか。でも、意外と別れないかも知れませんね」


「どうしてです? あんなに酷い目にあったんですよ?」


「酷い目にあわせた相手だからといって憎めるとは限らない。それも愛じゃないですか?」


「……なるほど。ラブデュエルを使わない昔の恋愛ならそんなことが起きても全然不思議じゃなかったのかもしれませんね。万が一、この後あの二人が立ち直ってうまくいっちゃったりしたら、私、今度こそプロ失格になっちゃいます。完全に任務失敗ですもの。依頼人の頑固じいさんに何言われるか。今から頭が痛いです」


「その時は私も事情を話して謝りますよ」

 

 そう言って笑った彼の笑顔はとても暖かかった。珠代は胸が動いたのを感じた。


 ざしゅっ!

 

 それは上着のポケットに入れていた珠代のスマホの音だった。


 また、鉾本にポイントを取られたのだ。


「あれ? す、すいません。私、今、何かしましたか?」


「……本当に鉾本さんは不正なことしてないんですよね?」


「も、もちろんですよ! ひどいなあ、やっぱり信じてくれないんですか?」

 

 珠代はくすくす笑いながら自分のポケットの中のスマホの表示を想像した。


 (プレイヤーは鉾本由男の笑顔に……)

 

 実際に見てしまえばいい。そうすれば自分の気持ちがわかる。今までなら何の疑いもなくそう思っただろう。でも、今はそんなものはどうでもいい気分だった。


「……ねえ、鉾本さん、それ、ちょっと貸してくれませんか?」

 

 そう言って珠代は鉾本が腕にしている腕時計型デバイスを指差した。


「これを? ええ、まあ、別に構いませんけど?」

 

 彼が腕から外して渡してくれたデバイスとポケットから取り出した自分のスマホを珠代は一緒に持った。


「あの、何を? えっ、うわっ、待ってくだ……」

 

 鉾本が慌てて悲鳴を上げた。珠代が突然持っていた二つの機械をパッと離し、下に落としたのだ。鉾本が止める間もなくそれらはアスファルトに叩き付けられた。


 そしてなんと今度は拾う間もなく珠代の足がその上にガンと振り下ろされた。ハイヒールに潰された二つの機械が「ガシャッ!」という断末魔を上げるのをただ呆然と鉾本は見守った。


「あ、ああ、うわあ、壊れてしまったじゃないですか! 鈴村さん、一体何を考えて……」


「これから飲みにでも行きましょうよ、鉾本さん」

 

 慌てふためく鉾本とは対照的に何事もなかったかのように珠代は声を弾ませた。


「どうして、こんなことを?」

 

 そこまで言って鉾本は息を呑んだ。珠代が潤んだ瞳でじっとこちらを見つめていた。


「鉾本さんに対してだけは、これからの私たちの間ではこんなものを使いたくなかったんです」


「す、鈴村さん……」


「いつか、きっと私を『珠代』って呼ばせてみせますから。こんなものには頼らずにあなたの心を動かしてみせます。もちろん仕事は抜きで」


「えっ、えっ? こ、こんなおじさんですよ? 私なんか若い女房から逃げられた禿のメタボな中年親父じゃないですか。しかも過去の自分から逃げ出して知らぬ存ぜぬを決め込んでいた卑怯者なんだ。そんな私を?」

 

 彼は自虐的に自分の欠点を上げていた。しかし珠代にとってそれは重要なことではなかった。欠点など遥かに上回るものを彼は持っている、そのことにもう気付いていた。


「自分でもなぜかはわからないけど好意を覚えちゃう。それが『好き』ってことでしょ?」


「で、でもね、まだ私は妻と別れたばかりだしね……」

 

 慌てふためく狸は思わずキュンとするほど愛らしかった。片岡なんかより彼の方が女性にとってずっと危険じゃないか? 冗談交じりに珠代はそう思った。やはりこの人は私が監視していなくては。


「あまり深く考えないでください。今はただ鉾本さんと飲みながら話をしたいだけですよ。その後のことなんか私にもわかりません。ねえ、早く行きましょう! 今日は私が奢りますから」


「はあ、まあ、そういうことなら……」


「よし、決まり!」

 

 渋々頷いた狸の腕に抱きついた猫は嬉しそうに微笑んだ。


 機械では測れない猫と狸のデュエルはこれからもゆっくりと続いていく。





                  (了)





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

猫と狸のラブデュエル 蟹井克巳 @kaniikatsumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ