One day in the Sky : FarHaven

佐久間コウ

day One :

Two cups of coffee in the morning .



 高度12万

 見渡す限り全周の空。

 東からゆっくりと登る太陽に照らされ、全てが青く染まり始める時間帯。


 巨大さに比例して、縦に引き延ばされた大気圏を持つ惑星『ファーヘイヴン』。

 そのただでさえ希薄な高層大気を、鋭い翼の縁でさらに薄く削り落とすように急降下する二羽の鳥WarBirds


 他に何者の気配もないこの場所で、聞こえるのは切り裂かれた空の断末魔だけ。


 銀色に輝くフルモノコックの流麗なボディーに、細長い主翼を広げてエレメント二機編隊を組むのはFE社製の新型高速強襲単座戦闘機ラオプフォーゲル

 

 ほぼ垂直に近い角度で真っ逆さまに高度を落とした二機は、三千メートルほど降下したところで徐々に機首を上げ始めた。

 直線だった軌道が緩やかな弧を描く。

 すると、前を行く機体の翼の先端から、急減圧により凝結した水蒸気が白い雲となって細長く尾を引いた。

 

 それはさながら、黎明にきらめく彗星の様で――。




『翼端からヴェイパーが出てる。機首を起こし過ぎだよ、千鳥ちどり

 

 1番機の様子を後方から俯瞰して、2番機のパイロットが身も蓋もなく指摘する。

 

 継ぎ目のない滑らかなアクリルガラスの風防で外界と隔てられたコクピット。

 その狭苦しい空間に窮屈そうに収まっているのは、洗練された機体の外見とは裏腹な着膨れして不恰好とも言える姿の人物だ。

 膨張した与圧服に身を包み、首元まですっぽりと覆うヘルメットを被って、更にその上遮光性のバイザーを降ろして。

 まるでからタイムスリップした宇宙飛行士のような見た目のせいで、その素顔はようとして知れない。

 けれど、先ほど発した声は歳若い女性――、

 むしろ少女と言っても良いほどのそれだった。


『大丈夫だって。相変わらず百舌もずは心配性だね。仮に見つかったとしても、この距離じゃ彼奴あいつはもう逃げられないから』


 千鳥と呼ばれた1番機のパイロットが、やはりこちらも少女の声で応答する。

 2番機のパイロット――、百舌よりも若干高く明るい声音。


『…………』


 ――そういう事を言っているんじゃないんだけどな、と百舌は思う。

 

 時々、どうして彼女がまだ生き永らえているのか、良くわからなくなる。

 確かに腕は良い。でもそれ以外の部分が致命的に欠けていると思うのだ。


 それはさておき――、

 百舌が半ば無駄だとは思いつつも、メイト僚機として最低限の義務を果たすべく指摘したのには理由が二つある。

 

 第一に、今みたいな高速で急に引き起こせば、いくら軽量で強度の高い製の機体とは言え、耐え切れずに主翼が折れるかもしれないということ。

 第二に、遮るもののないこの青い空の上では、翼から伸びた白いラインは教会に紛れ込んだ坊主の様にとても目立つということ。

 

 あるいは、千鳥のようなベテランにとっては釈迦に説法とも言える初歩中の初歩の話だが、そもそも彼女はそれらを気に掛けてすらいない節がある。


 結局のところ、生死を別けるのはなのだろうか?


 百舌が頭の片隅だけを使って物思いをしながら、ぐるぐると周囲に頭を向けて警戒していると、不意に眼下で何かがキラリと光った。

 それは、青過ぎるほどの蒼に溶け込んだが放つ反射光微かな気配

 その光を目印に、僅かに角度を調整しながら二機は高速で緩降下を続ける。

 すると、ドットが抜け落ちた様な不鮮明なシルエットが徐々に輪郭を取り戻していき、あっと言う間に肉眼で機種が判別できるほどの距離まで近づいた。


 の言葉で何と言ったか――。

 この高速強襲単座戦闘機ラオプフォーゲルと同じ設計思想で造られたその機体は、やはり綺麗な流線形の胴体に高高度向きの細長い主翼を持っている。飛び方やエンジン音が少しおかしいところから察するに、恐らくどこかで戦闘をした後なのだろう。

 こんな場所で単独飛行しているというのも、僚機メイトを失ったと考えれば納得がいく。

 

 そして、

 目標を目前にして二機はほとんど水平飛行に移り、1番機の翼から伸びていた白線がついに途切れて消えた。

 光学照準器に搭載されたレンジファインダーの計測によると、目標までの距離はすでに三キロを切った。もうすぐ射程圏に入るというところで千鳥から通信が入る。


『10秒で仕掛ける。バックアップよろしく』


『――了解』


 それに答えて、

 百舌は右手の親指で操縦桿の握りにある安全装置セーフティを弾き飛ばすように解除した。

 引鉄トリガーに人差し指を添え、頭の中でカウントする。

 

 ――7……6……5……、

 

 千鳥が獲物の後ろにぴったりついた。

 百舌はそこから距離と高度を保ったまま後方で周囲を警戒する。

 千鳥の機体が間近に近づいているのを敵はまだ気づいていない。

 

 ――4……3……2……1、


 宣言通りのタイミングで、

 千鳥の機体が上から被さるように獲物の真後ろに滑り込んで、撃った。

 斜め上から見下ろしていた百舌には、白い煙を引いて飛ぶ無数の小さな火の玉が目の前の機体に吸い込まれていく様に見えた。

 三つの射線がほぼ一か所に集中し、その質量を伴った暴風炎が美しい流線形をずたずたに引き裂いていく。

 

 尾翼の辺りからコクピットに至るまで隈なく穴だらけにされた機体は、部品をバラバラと飛散させながらグラリと傾いで背面になったかと思うと、そのまま遥か下方をめがけて急上昇するように落ちて行った。

 

 黒い航跡が途中で赤い炎に変わり、最後に一際強い光を放ち跡形もなく消えた。


 撃墜確実。

 完璧な不意討ち。

 撃ち落された機体のパイロットは、恐らく最期の瞬間まで何が起きたか気づかなかったに違いない。

 哀れな獲物の末路を見届けて、百舌は冷静さを失わない声で無線を飛ばす。  


『――千鳥、離脱しよう』


『うん、わかってる』


 その返事を聞く前に、

 百舌は計器盤の左下にあるボタンを押し、止まっていたエンジンを再始動した。

 正面から受ける風の勢いだけで回転を続けていたが、しばらくぶりに動力の供給を受けてその勢いを増す。

 

 左手でスロットルを押し上げる。

 超高圧過給機ハイパーチャージャーが限界まで圧縮した大気を、燃料噴射器インジェクターが混合気に変えていく。

 その供給を受け、

 倒立V型12気筒の液冷エンジンが眠りから覚めた様に甲高い咆哮を轟かせた。

 素早く計器をチェック。

 高度11万メートル、対気速度800キロメートル毎時。

 毎分3800回転、油温適正。

 異常なしオールグリーン

 

 左へロールして機体を背面に入れようとしたところで、それを見つける。

 放たれた矢のように真っ直ぐに落ちて来る二つの点。

 ――やっぱりきた。


『千鳥、上!』


 無線機に叩きつけるような声で咄嗟に叫ぶ。

 ナイフエッジの姿勢から操縦桿を引いて左へブレイク。

 ラダーペダルを踏み込んで、姿勢を制御しながら旋回を維持。

 鈍い重力に身体を押さえつけられながら、無理に首を巡らせて後方を確認する。

 先ほど千鳥が撃墜したのと同じ機体が一機、強引に軌道を捻じ曲げながら食らいついてくるのが見える。その翼が嘘のように青い空へ白い軌跡を描く。

 

 今頃になって、聞き間違えようもないエンジン音が耳に届く。


 動力を止め、気配を消した状態で自由落下による奇襲攻撃。

 つまり、今さっき自分たちが使ったのと同じ手に一杯食わされたわけだ。


 気づくのがもう少し遅ければ、今度はこちらが蜂の巣になっていただろう。

 間一髪とは言え、一度かわしてしまえばある程度の余裕が生まれる。

 速度が速すぎるせいで、大きく外側に膨らむように機動しながら必死に射線を合わせようとする敵機を尻目に、百舌は落ち着き払った動作で機体を下降させ、旋回で失った速度を取り戻す。

 

 狭いコクピットの中でぐるりと頭を巡らせてあれから応答がない一番機を探す。

 どこまでも抜けるような蒼穹、下方には薄く広がる雲。

 あの時、頭上から真っ逆さまに落ちてきた敵は二機。

 もう一機はどこに――、

 

 見つけた。

 二千メートルほど上空で機首をこちらへ向けようとしている。

 千鳥の姿はどこにもない。

 まさか、と思う。

 

 ――二対一。

 厄介なことになった。

 

 とは言え勝算がないわけではない、と百舌は思う。

 最初に襲い掛かって来たやつは、不意討ちを躱されて相当に焦ったと見える。

 本来ならその時点で離脱するべきだったのに、やつはそうしなかった。

 恐らくは半人前ハーフスピナーだ。どこかにきっと付け入る隙がある。

 

 百舌が新米と決めつけた敵は、ようやく機体の軸線を合わせ終え下降しながら追撃して来ている。

 あと五秒で射程に入る。

 後ろを見ながら、気取られないようにスロットルをゆっくり絞る。

 頭の中でカウント。

 

 ――5……4……3……、

 

 敵が撃った。

 まだ早過ぎる。

 白い尾を引いた火線が尾翼を掠めるようにして機体の下をくぐり抜けて行く。

 思った通り、あいつはだ。

 百舌はスロットルをさらに絞りつつ機体を上昇させた。

 際どいところですれ違いながら後方へ抜ける。

 すると、

 速度差を見誤ってオーバーシュートしてしまった敵は、慌てて機首を引き上げて過剰な速度を高度に変えようとした。

 

 定石通りの動き。

 その一瞬を捉えて、百舌はスロットルレバーと一体の機関銃ガン引鉄トリガーを引く。

 軽快な音に合わせて、数十発の曳光焼夷榴HEI-T弾が緑色のレーザーのような光を発しながら真っ直ぐに飛翔した。

 吸い込まれるというより、弾の雨の中に敵が自ら飛び込んだという方が近い。

 照準を重ねた機体から、黒い煙が吹き出す。

 致命傷とはいかないまでも操縦系に何らかのダメージを与えたらしく、その動きが目に見えて鈍くなった。

 

 ふらつきながら緩い角度で上昇する敵機を軸にしてバレルロール。

 すると百舌の機体を見失ったのか、敵はついに致命的なミスを犯した。

 判断を誤って下方に宙返りする敵機が百舌の目の前を通過する。

 ほぼ真下、目と鼻の先。

 キャノピー越しに真上を見上げる敵のパイロットと目が合った気がする。

 実際はお互いのヘルメットに遮られて、顔などわかるはずもないけれど。

 

 ――今度は〝とっておき〟をお見舞いしてあげる。

 

 百舌は操縦桿を握る右手の人差し指で、安全装置セーフティの外れた引鉄トリガーを絞った。

 

 ドムドムドムドムドムッ!

 

 連射で五発。

 重々しい発射音を響かせ、その反動で機体を微かに振るわせながら、

 機首に搭載された30mmの機関砲キャノンがオレンジ色の航跡を曳く弾体を射出する。


 

 独特の発射音と質量の大きな弾薬による破壊力から、俗に杭打機パイルドライバーと呼ばれるそれは、先の機関銃に比べて発射速度と砲口初速に劣るため使い難いものの、当てることさえ出来れば並の戦闘機など一発でバラバラにできる火力を持っている。

 

 重い弾体が重力に引かれて、緩やかな弧を描きながら敵機の未来位置へ降り注ぐ。

 敵にしてみれば真上から隕石の欠片が落ちてきたようなものだ。

 仮にそんなものが飛行中に目の前へ落ちてきたらどうするか?

 

 ――どうしようもない。

 

 五発の内の二発が、左翼の付け根とコクピットと尾翼の間に命中する。

 一瞬遅れて大きな爆発が起き、その部分が千切れ飛んだ。


 くるくると回転しながら落ちていく翼の残骸。それでもどうにか姿勢を保って滑るように高度を落とす機体のコクピットから、パイロットが脱出したのが見えた。

 どうやら運は良いらしい。

 とは言え、生身でへ降りればひとたまりもなくペシャンコだ。

 その前に救助はしてもらえるだろうか、と一瞬だけいらぬ心配をする。


 百舌は撃墜を確認すると、

 背面の姿勢からそのままパワーダイブに移った。

 対気速度900キロメートル毎時を超えて加速する。

 後方を確認すると、残りの一機が追い掛けて来るのが見えた。

 向こうの方がエネルギー優位だ。下手な機動をすれば直ぐに追いつかれる。

 

 このまま降下して下方の雲の中に逃げ込めればあるいは――、


『――百舌、まだ生きてる?』


不意に、まるで何事もなかったかのようなとした声がインカムを通じて耳に飛び込んできた。


『もうすぐ死ぬ』


『そのまま真っ直ぐに降下して、雲を突き抜けたら一気に上昇。――いい?』


 その発言から察するに、千鳥はどこからかこちらを見ているらしい。

 雲の中で機動を変えて追手を撒くつもりでいたが、失敗すれば後がない。

 千鳥に従う方が勝算が高いと直感的に判断する。


『――わかった』

 

 百舌は降下率をそのままに機体を雲の中へ突入させた。

 速度計の針はとうに1000キロメートルを振り切っている。

 薄い雲を数秒で突き抜けてから、スロットルを絞って操縦桿をゆっくりと引く。一歩間違えばあっと言う間に空中分解しかねない速度。

 恐らく後ろの敵は、速度限界を恐れてブレーキを掛けたと勘違いしただろう。

 奴にとってみれば、この瞬間を逃す手はないはずだ。

 

 後ろを見る。 

 思い通り、敵は勝負を決めに来た。

 必然的に、こちらに接近しようと上昇に移った敵機の速度が落ちる。

 

 このまま何も起きなければあと五秒であの世行きニューヘイヴンだ。

 百舌がそう思った瞬間のこと。

 通り抜けてきた雲の間からときの声のようなエンジン音を全開に響かせて、

 一羽の猛禽が降って来た。

 薄く研ぎ澄まされた翼で大気を切り裂いて、くるくるとロールさせたその鉤爪のような先端から、螺旋状のヴェイパーを引きながら。

 目標を捉えて、搭載された火器を一斉射する。

 千鳥の機体には、杭打機パイルドライバーよりも長射程で使い易く、威力も申し分のない20mmの機関砲キャノンが主兵装として搭載されている。

 その正確無比な射撃を浴びて、

 後ろにへばりついていた敵機が一瞬で火を噴き上げながら、果てしなくどこまでも下へ落ちて行った。

 

 パイロットは脱出しなかった。

 

 


 つい先ほどまでの獰猛さは影を潜めて、

 千鳥が小鳥を思わせる軽やかな機動で機体を寄せて来る。


『どう。、大成功だったでしょ。私達、中々良いメイト戦友じゃない?』


『おかげでこっちは本当に死ぬところだった』


『結果的に生きてるんだから良いじゃない』


『……、――損傷は?』

 

 百舌は横を並んで飛ぶ千鳥の機体へちらりと視線をやる。

 遠目に詳しくは分からないが、僅かに被弾した跡がある。

 恐らく最初に襲われた時に撃たれていたのだろう。

 その程度で済むなんてつくづく運が良いやつだ、と思う。


『大丈夫。少し舵が重いぐらい』


『わかった。それならこのまま帰ろう』


『あ、ちょっと。編隊長リーダーはわたしだからね。百舌は後ろについて』


『――了解』


 百舌は不承不承に承諾すると、1番機の後方で基地への帰投コースを取った。


 

 

 高度5万メートル。

 見渡す限り全周の空。

 斜めに昇る太陽に照らされて、その全てが隅々まで青く染まり切った頃。

 

 気圧計がおよそ1000hPa――つまり1気圧を示す、そのどこまでも代り映えしない空の一点に、景色にそぐわぬ異質なものがぽっかりと浮かんでいる。

 他に比べるものがないせいでサイズ感が狂って見えるが、恐らくはかなりの大きさがあると推測できる島のような巨大な構造物。

 その中央に造られた真っ平な滑走路に向かって、編隊を組んだ高速強襲単座戦闘機ラオプフォーゲルが一直線に下りていく。

 

 降着装置ランディングギアを展開し、主翼のフラップを目一杯に広げて失速寸前の速度で侵入してきた機体は、最後に少しだけ機首を上げてふわりと舞い降りるように地上へ降りた。そしてブレ―キを掛けて速度を落とすと、滑走路脇の格納庫の近くまでタキシングして止まった。

 

 定位置に付いたのを確認して、エンジンをカット。

 百舌はキャノピーを後ろへスライドさせて開くと、首元の酸素供給用のホースを外してからヘルメットを脱いだ。その下から、声に違わず幼げな十代半ばの少女の顔が現れる。

 

 一息ついてヘルメットを小脇に抱えながら機体を降りた丁度その時、

 上空で待機していた千鳥の機体が滑走路に侵入してきて、巻き起こされた風が百舌のボブカットの黒髪をかき混ぜた。

 

 暴れる髪を抑えながら、

 空を見上げて、とりとめもなく思う。

 

 〝今日もまたこの場所に戻って来られた〟

 〝明日も無事に帰って来られるだろうか〟

 

 ――心配したところで、きっとなるようにしかならない。

 でもなぜか不思議と、千鳥と一緒なら大丈夫という予感がする。

 もちろん、根拠はない。

 とりあえず、部屋に戻ってコーヒーを淹れることに決める。何を隠そう――、

 任務を終えた後、挽き立ての豆で一杯やるのが百舌の数少ない楽しみなのだ。

 

 そういうわけで――、

 面倒な報告デブリーフィングに任せて、百舌は一足先に滑走路を後にした。

 

 まだ目覚めたばかりの新鮮な空気を吸いながら、寮への帰り道を歩く。

 

 抜け駆けのお詫びに、

 もう一杯だけ、余分にコーヒーを淹れるのも悪くないと考えながら。



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