第3話 呪い

 暗い曇り空が広がっている。今にも降りだしそうだ。

 あれからさらに二十年。魔女の肉を焼く腕も格段に上がっていた。

 俺の狩りの腕も言わずもがなだ。どうやって仕留めれば美味しく仕上がるのかも、経験から体に染みついている。


 今日仕留めた獲物は象くらいのサイズだ。といっても今となっては俺と同じくらいのサイズだが。

 もう口に咥えて運んだりはしない。魔法で持ち上げて俺の後方を浮遊させているのだ。

 肉も魔法を使って自分で焼けるようになったが、自分で作った焼肉は魔女が作った肉ほど美味しくない。なのでやはり焼肉担当は魔女なのだ。


 ――む?


 もうすぐ小屋に着く手前のけもの道で、一人のニンゲンと出くわした。

 街まではそこそこ遠いとはいえ、わざわざ魔女を訪ねて来るニンゲンがいないこともないのだ。

 俺自身は街に行ったことはないが、母親を殺したニンゲンがひしめく街へと自ら行こうとは思わない。

 とは言えニンゲン全部が全部を憎いとは思っていないが。さすがにそこまでバカではない。


 しかしだ、ここにニンゲンが来るというのはいつぶりか。

 ここ十五年はなかったんではなかろうか。


「お前は確か……、魔女の飼っているペットか……」


 ……ペットとは失礼な。……せめて相棒と呼んでくれ。


「それはすまない……」


 多少威嚇を込めると怯んだのか、後ずさりながら謝罪をしてくるニンゲン。

 見たところ屈強な体つきをしている個体のニンゲンのようだ。と言っても他のニンゲンと比べればだが。

 腰には剣をき、レザーアーマーで固めた体はいかにも街の冒険者といった風情だ。


 しかしニンゲンがこんなところで何をしているんだ。


「……実は魔女殿に解毒薬を分けてもらいに来たのだ」


 ほぅ……。

 解毒薬ね。街で病気でも流行ってるのだろうか。

 まぁそういうことなら魔女の小屋まで案内してやるのもやぶさかではない。ついて来ればいいさ。


「助かる」




「むっ? 客とは珍しいな……」


 しばらく歩いて小屋へと戻ってきた俺に気付いた魔女が、後ろにいるニンゲンを見つけて片眉を上げている。

 珍しいのはわかるが、帰りに見かけたんで連れてきただけだ。

 暗かった曇り空からは、ポツリポツリと雨が降り始めていた。


「お前が魔女か……」


 若干だが険を含んだ声に魔女が身構える。


「そうだが、何の用かな?」


 過去にはどこかの偉いさんから、専属の薬師にでもならないかといった勧誘があったんだが、それを警戒しているんだろうか。

 確かに当時はうんざりする相手が多かったが、それもかなり昔のことだ。

 今の街の情勢がどうなっているか俺にはわからんが、同じ手合いという可能性も捨てきれない。魔女が警戒するのも納得ではある。


 無造作にニンゲンが近づいていく。そして魔女まであと五メートルの距離といったところまで来た時。


「お前が……、お前が、街に呪いを振りまいている犯人だな!!」


 叫びと共に剣を鞘から抜き放ち、一気に魔女へと躍りかかるニンゲン。


「――っ!!?」


 咄嗟に杖を盾にするように前方へと差し出そうとする魔女。


「覚悟しろ!!」


 ――待てニンゲン! いきなり何をする気だ! やめろ!


 男を止めようと前足に力を籠めて駆け出す。

 頼む、間に合ってくれ!

 周囲の音が死んだように聞こえなくなってくる中、ふと死んだ父親の言葉が蘇ってくる。


『大きくなったら、お前が母さんを守るんだぞ』


 ああ、そうだよ! もう二度と死なせるもんか! 父さんと約束したんだ!

 絶対に守るって!

 だから……、だから間に合え! 間に合ってくれ!


 スローモーションの中、刃を振り下ろすニンゲンへと肉薄する。

 自分が駆ける速度も遅く感じる俺は、もどかしさでどうにかなりそうだ。


 だがしかし、ニンゲンが袈裟懸けに振り下ろした刃は、盾代わりに差し出した杖を腕ごと、魔女の左肩から右わき腹へとすり抜けて切断してしまう。

 直後に俺の牙がニンゲンを肩から食いちぎる。そして残った下半身は邪魔だとばかりに前足で蹴り飛ばす。


 魔女はと言えば刃を受けた衝撃で、切り飛ばされた左腕が宙を舞い、上半身は数メートル吹き飛び、下半身はそのまま後ろへと倒れて横たわっていた。


 ああ……、ああ……! 間に合わなかった……! なんでだよ!

 街に降りかかってる呪いってなんなんだよ!


 ニンゲンの血を口から滴らせながら、衝撃で吹き飛んでしまった魔女へと近寄るが、どう見ても手遅れだ。

 切断された腹部からは内臓が飛び出し、魔女の肌からは急速に生気が失われていくのがわかる。


「……はは、……なんとも、……あっけない最期だね」


 魔女は虚ろな瞳で右手を差し出すと宙をさまよわせている。もはや俺の姿は見えていないらしい。

 俺は自分から魔女の右手へと頬を差し出し、赤みを失っていく顔を優しく舐めまわす。


 母さん……、ごめんよ……、また守ってあげられなくて。


「ふふ……、こんな私を母と呼んでくれるのかい。……嬉しいね」


 母さん……、母さん……! どこにも行かないでよ! もうぼくを一人にしないでよ!

 ぼくはここにいるんだから!


「今まで楽しかったよ……。あり、がと――」


 ――母さん!


 母さん! 返事してよ! ねぇ、母さん……!


 頬から力なく離れていく魔女の右手と共に、ぼくの瞳を伝って雨が零れ落ちる。

 何度母さんと呼びかけても、何度顔を舐めまわしても、彼女の右手はピクリとも反応してくれない。

 どうしてこんなことになってしまったのか。どうしてぼくは母さんを守れなかったのか。


 いつまでこうしていたのかもう覚えていない。

 今度こそひとりぼっちになってしまったと自覚したとき、俺は全身全霊の力を込めて叫び声を上げた。


 この日、大雨が降りしきる中にもかかわらず獣の慟哭どうこくを聞いたという街は、魔女の呪いによって滅びたという。

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フェンリルと魔女 m-kawa @m-kawa

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