ドロシーとオスカー


 四色の魔女と、その配下の自動人形たちによる覇権を巡る戦争は、最終的に魔女自身と世界そのものがふっとばされることによって、終わった。


 その破滅が同時的に訪れたのか、それとも徐々に崩壊が進んだのか……詳しいことは定かではないが、とにかく魔女たちの戦いに右往左往するばかりだった『人類』の生き残りが、ようやく自分たちの身の安全を確信した時には、世界には彼ら以外、ほとんど何も残ってはいなかった。

 廃墟と瓦礫に覆われた世界の屍が、彼らの前に広がっているばかりだった。

 支配者である魔女は姿を消し、魔女の駒である自動人形も、物言わぬ姿で瓦礫の隙間に埋まっているだけだ。


 呆然と立ち尽くしていた『生存者』たちを我に返らせたのは、瓦礫の上に芽吹く小さな花と、そこに集う同じく世界の崩壊を生き延びた小動物たちの姿だった――という話は正直出来過ぎのきらいがあるが、とにかく程なくして、生存者たちは、幸いにも崩壊の度合いが軽度だった廃墟を見出し、そこに生活の基盤を作るに至る。

 『エメラルド市』と呼ばれる、世界最大の都市の前身の街が築かれるまで、そう時間はかからなかった。

 世界の崩壊を経て、『生存者』となった人類は、それまでの自分たちとは決定的に違う力を手に入れていたからだ。


(魔力。かつては、魔女にしか行使できなかったという力……)


 白い天井に向かって、ドロシーは腕を伸ばす。

 多少筋肉がついて締まってはいるが、基本的には十代後半の少女相応の、ひょろくどこか頼りない腕だ。おまけに少し青白い。

 だが、ドロシーはこの腕や脚で何体もの自動人形を、文字通り『のして』きている。自らの身に宿る魔力でもって、彼女はそれを実現させてきたのだ。

 人智を越えて、奇跡を起こす力。魔女にのみ許され、彼女たちに世界の崩壊へと導いた、異形の力。

 戦争中に振りまかれた呪いによって、まっさらで無力だった人類は、すっかり魔女の魔力に汚染されてしまった――あるいは、汚染されなかった無力な人類は、世界の崩壊を生き延びることができなかった、というのが、『なぜ人類が魔力を手に入れられたのか』との問いについての、一般的な見解となっている。

 人間に宿ったそれほどではないが、崩壊後の世界に満ちた植物や動物にも、僅かながらに魔力反応が見られるようになったからだ。

 身に宿った新たな力。当初は戸惑いもあったと聞くが、崩壊前の世界で魔女たちが如何にその力を行使していたか、その頃の人間たちは、まだ思い出すことも出来た。また僅かながらだが、魔女が遺した文献のようなものも、見つけることができたらしい。

 術式構成を編んで、発動のアクション。

 ……ドロシーが産まれた頃、つまり世界が一度崩壊してから百幾年経つ頃には、既に一つの技術として、つまり『魔力』による『技術』――『魔術』というものは当たり前のように確立され、存在していた。


(進化、って言っている、お偉いさんもいたわね。確かに……昔の人たちは、何の力も持たずに、よく生き残ってこれたもんだわ)


 ドロシーは軽く瞳を閉じて、瞼の裏で昨日戦った自動人形の影を描く。バケモノ犬。イヌの形をかたどった自動人形。ただ対象を攻撃するために動いて、戦う。

 ああいうタイプは、そうそう強くはない。もとい『雑魚』だ。だがそう捉えられるのは、あくまでもドロシー達が対抗手段として魔力を有していたからだ。それがなかった時、人類はどうしていたのだろう。異形の魔女と、自動人形が埋め尽くす世界で、いかに息を潜めて、生きていたというのだろう。


(『自動人形』、かあ)


 思えば連中ほどに不思議な存在はない。

 今の世界と、魔女たちが跳梁跋扈していた世界を繋ぐ唯一の存在は、新しい世界を生きる人類にとって、未だに大きな謎かつ、それでいてはっきりとした脅威だ。

 自動人形は世界の崩壊によって失われなかった。破壊されなかった。ただ瓦礫の隙間で、休眠状態にあるだけだ。何らかの切欠があれば、彼らは動き出してしまうらしい。そして戦場で果たせなかった自らの使命を全うせんと、周囲の存在に大して無差別な破壊活動を行うらしい。中には意思の疎通が可能な自動人形も存在するらしいが、それらも『こちら』への攻撃性を失うことはない、らしい。


 『らしい』。


 そう、自動人形については、全てが『らしい』でしか語ることができない。

 彼らがどうして『死なず』、『消滅せず』休眠状態にあるのか、何をきっかけで起動してしまうのか、そして彼らの自我というものは存在するのか、存在したとして、どのような意識をその身の内に抱えているのか――創造主たる魔女が消えてしまった以上、人類は自らの手で、その謎を解いていくしか無かった。

 ……正体が判明しない以上、脅威はいつまでも脅威であり続ける。単純なことだ。


 ふうと大きく息を吐いて、ドロシーは寝返りを打った。カーテンの隙間から差し込む光が、先程より明らかに強くなっている。枕元の時計を見るのが憂鬱だった。

(コールで叩き起こされるよりは、マシだけど。うー、やっぱ疲れって残るもんね)

 軽く頭を振って、ベッドから身を起こし、降りる。窓を開けると、一面の青空が見えた。快晴だ。

 髪を整え、クローゼットの中のワンピースを引っ張り出す。脚を振り上げる予定はないから、今日は中にズボンを穿く必要はない。鏡台を覗き込んで、肩まで伸びたブルネットの髪を適当に整える。そこまでやってから、ベッドテーブルに置かれた時計を確認する。


「オッケー。まだ朝ごはん食べられるわね」


 ぱしんと一つ自分の頬を叩いてから、ドロシーは部屋を出た。



 ◇  ◇  ◇



 エメラルド市は崩壊後の世界における人類最初の街であり、また人類最大の生活圏でもある。

 魔術の光で不夜城を築いている中心部――行政機関やら研究機関やらが立ち並んでいる――を、居住区が取り囲み、拡大を続けている。

 ドロシーが部屋を借りている共同住宅は、比較的中心部に近い場所に位置していた。

 立派な家を建てるにはそれなりの資産が必要な地区だが、独り身で住むなら、きちんと下調べさえすれば、そこそこのお値段でそこそこの暮らしを営むことは出来る。

 職業魔術師の認定を得て、自動人形をある程度安定して狩ることが出来るようになってからは、かなり生活に余裕がでてきた。周縁部、郊外に家を構える両親への仕送りすら可能になった程だ。


「おはよう、ジュリア」


 階下の食堂に足を運ぶ。カウンターの向こうの見慣れた顔の女性に、ドロシーは声をかけた。

「あら、おはようドロシー。今日は早いのね、珍しい」

「ね。自分でもびっくり。モーニングセット、まだ残ってる?」

「大丈夫よ。それじゃ、コーヒーでいいかしら」

「ええ、お願い」

「わかったわ。ドロシーにモーニングセットひとつ、コーヒーで……」

 ジュリアは奥の厨房へと消えていった。その背中を、ドロシーはぼんやりと見送る。


 見回さずともその閑散とした気配は肌で感じられたが、改めて確認してみても、人の数は少なかった。

 中央の席でひそひそと話に興じているおばさまグループが一つ、カウンターよりの隅の席で灰皿から紫煙を上らせながら、腕を組んで居眠りしているおっさんが一人、そして窓際で新聞を広げて、コーヒーを嗜んでいるスーツ姿の男が一人。


「おはよう。さすがのあんたも今日は遅起きだったみたいね」

「君よりは早いさ」

 程なくして出てきた朝食を受取り、ドロシーはその窓際の男、オスカーを一直線に目指した。相変わらず気取った表情を浮かべてはいるが、その目元には僅かながらに影がさしている。

「クマが出来そうよ」

「俺は繊細だからねえ。一晩寝ればピンピンなノーテンお嬢とは、ちょっと作りが違うんだよ」

「初耳ー。手品興行師としてビッグになってやるとか何とか言って、親をだまくらかして出てきた人間を繊細と形容する文化なんてあったしら」

「手品で収めるよりはちゃんと魔法を使えるようになった方がいいと思ったから、職業魔術師をやってるんだよ。俺をまるで早々に夢を諦めた人間のように言わないでくれ」

「てことは、興行師の夢は諦めてないの」

「当然だろ」

「なら、悪かったわね。ごめんなさい。……ねえ、ここ、いいかしら」

「今更断れないよ。どうぞ」

 正面の席に腰掛け、ドロシーは朝食に手を付けた。


 オスカー。


 目の前の男は、ドロシーにとっての幼馴染だ。彼女より二歳年上で、今年二十歳になる。

 親同士仲がよく、互いにきょうだいの居ない一人っ子同士だったこともあり、自然と昔から距離は近かった。

 結局二人揃って中心部へと上京し、結局二人揃って職業魔法使いの認定を受け、同じ共同住宅に下宿し、仕事で組む頻度も高い。

 ――が、だからといって、将来を前提に云々という感情があるという話でもなかった。

 ジュリアを始め、同業の職業魔法使いたちにも何度かその仲を揶揄されたこともあったが、その度に二人して、単なる腐れ縁だと返すことにしていた。

 ……本当の将来がどうなるかは分からない。だが、今の時点では、確かに幼馴染の腐れ縁でしかない。

(甘えてるのは、否定出来ないけどね……)

 新聞に真剣な様子で目を落とす青年の横顔を見やって、ドロシーは溜息を吐いた。何だかんだ言ってしまっているが、この幼馴染がいなかったら、ドロシーの上京生活は非常に心ともなく息苦しいものになっていただろう。なんでも、とはいかずとも、思ったことを言い合える相手がいてくれるというのは、大きい。

 感謝はしているのだ。向こうがこちらをどう思っているのかはわからないけれど。

「……ふうん」

「ん、何かあった?」

「いや。なんかね、虹の跡形の奥地で……」

 オスカーの口から出たのは、エメラルド市の郊外の西に広がる、行き慣れた廃墟群の名前だった。昨日バケモノ犬を倒した、灰色の空と白い瓦礫に覆われた戦場跡である。

「奥地? あそこって、大分調査進んでるんじゃないの」

「その調査隊からの報告だってさ。なんか妙にどでかい自動人形が出てきたとかで、ちょっと警戒してるらしい」

「どでかい?」

「人間タイプでも動物タイプでもない、機械タイプっていうか……ほら、鉄の巨人みたいな、ああいう」

「ああ……なるほどね」

「目立った傷もなくて、今にも動き出しそうなもんで、相当にでかいらしい……。で、安全のためにも、動き出さないなら動き出さないで、その場から遠ざけようって話になってるみたいだ」

「厄介ねー。でもそれなら、もしかして、募集かかるんじゃない? 同業組合の精鋭さんだって、そう数は多くないはずよ」

 ばさり。

 新聞を畳む音がした。にやり、オスカーが笑ったのが分かる。

「だろ? で、こういう危険度の高そうな仕事は、実入りも多い。どうかな、ドロシー」

「誘ってくれるわけ?」

「無断で行ったら、君、怒るじゃないか。あたしを出し抜く気かって」

「あはは、それは……そうかもしれないわね」

 パンの欠片を呑み込んでから、ドロシーは小さく吹き出した。とりあえず詳しい話を聞いてみようと思う。真正面から殴り飛ばすことに関しては、少しばかり自信があった。

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OZ 魔女と自動人形の倫理 @mizuaruka

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