vs自動人形:バケモノ犬



「うおりゃーーー!!!!!!」


「よし、いいぞ、ドロシー! 決まったッ! 横腹一発ッ! クリーンヒットッ!」

つま先を、ぐちゃりと筋張った肉の感触が覆った。そのまま勢いに任せて足をぶん回し、地面へとその身体を放り投げる。

「オスカー、あんた、実況にかまけない!」

「わかってますよっと。それそれ!ここでオスカー選手、ナイスアシストォッ! とね」

 オスカーと呼ばれた若い男の愉快な声が、女――ドロシーの叫びに呼応して、虚空に響く。

「受け継がれし『赤の魔女』の叡智、ここに展開! 絡め取り、動きを封じる!」

 どこか気障ばった声音に呼応するように、白い瓦礫の上に赤い光の筋が走った。ゆっくりと高度を下げながら、ドロシーはその筋が、一つの円を貴重にした紋様を描くのを見届ける。


 どごぉん!


 どでかいイヌのようなバケモノが瓦礫に叩きつけられるのと、ドロシーがスカートを翻して瓦礫に降り立ったのは、ほぼ同時だった。


 一歩後ろに跳躍し、距離を取る。


「さすが『人形』の名を冠するだけはあるわね。普通のお犬様だったら、もう全身骨折で動けないところよ」

 巻き上げられた埃に僅かに霞む視界の中で、バケモノがよろめきながらも立ち上がるのが見えた。

 垂れた耳、手触りの良さそうな短毛に覆われたクリーム色の肌。

 しかしてその双眸だけは、鋭くどこか無機質に輝く。丸く穏やかに光る本物のイヌのそれとは、全く程遠い。

 対象を殲滅し、破壊することしか考えていない目だ。

「これがかっこいいって、言うやつもいるのよね。あたしはあんまり、好きじゃないけど」

 こちらに向かって一直線に突っ込もうとしたのだろうバケモノの動きが、止まる。

 びかりと瞳を一つ光らせて(文字通り『光って』いるのだ。自動人形の瞳は、光るのである)、ぐるり、どこか驚いたように視線を巡らせる。

 バケモノ犬の様子に小さく息を吐き、ドロシーはゆっくりとそちらに向かって歩を進めた。

 オスカーの放った魔力が見事に動きを封じたのを、その動きから確信したからだ。

 少し近づいて目を凝らせば、その四肢に、うっすらと赤い光の糸が巻きついているのが見える。

 先程地面に展開した光が、叩きつけられたバケモノ犬の体躯を、綺麗に包み込んだ結果だった。


「実際、驚いてると思うよ。自動人形にも自我と感情は宿るから」

「すっごいドヤってる」


 背中に投げられた声に振り返り、ドロシーは小さく唇を歪めた。

 どこに隠れていたのか、今まで視界から消えていたオスカーが、ようやく声だけでなくその姿を表したからだ。

「そりゃあひと仕事したら、ドヤ顔にもなるさ」

「物陰にずっと隠れてたくせに」

「俺は支援屋だからね。むしろ物陰に隠れているべきポジションでしょう」

 口元に酷薄な笑みを浮かべて、金髪の青年は肩を竦める。ひょろ長い四肢に、お誂えの黒いスーツをまとったその姿は、どこか厭味ったらしく、どこか場違いだった。


「……にしたって、その舐めた格好はどうにかした方がいいと思うけど。自動人形との殴り合いにスーツを着てくる職業魔法使いなんて、聞いたことがないわよ」

「スカートで空を飛んで回し蹴りしてる職業魔法使いも、そういない気がするけど?」

「私は下にきちんと長ズボンとブーツを穿いてますから」

「そうかい。それを言うなら俺のこのスーツの生地だって、ある程度の衝撃にも対応できる特注品だよ」

「……そういえばそうだったわね」


 ちりちり、ぴしり。

 温く凪いでいた空気が僅かに揺らいだのを察して、ドロシーは話を切り上げることにした。眼前のバケモノ犬は、己を縛り上げる拘束から脱しようと必死にもがき続けている。


「わかってもらえれば、それで結構。……さて、そろそろ、あちらの準備も出来たかな」

「みたい。空気が変わった。ちゃんと退避しないと、あんた、そのご自慢のスーツごと焦げちゃうわよ」

「ここぞとばかりに……」

 ぼやきを残して、オスカーはドロシーの側を離れていく。その背中が少し小さくなるのを見送ってから、ドロシーは再び瓦礫を蹴り上げた。


 びしり。

 今度ははっきりと、空間に衝撃の予兆がはしった。

「ウォルグ先生、問題ありません!」

 それを受け止めるように、オスカーが叫び、


「我が右手、我が身体! 覆いし『黄の魔女』の力、今解き放たれ――」


 オスカーのそれとは違う、野太く低い男性の詠唱が響き渡る。

 そしてその言葉の羅列が終わる前に、飛び上がったドロシーの眼下を、地を抉るようにして白い光の奔流が走り抜けた。


 地面に縫い付けられたバケモノ犬を、真後ろから呑み込んで、だ。



 ◇  ◇  ◇



「やあやあ、よくやってくれた、二人とも! さすが安定した連携、私もこれならば撃ちやすいというものだ」


 空気と土と、そして肉の焦げるにおいが立ち込める中。

 けぶった視界の向こうから、恰幅の良い(あくまでオスカーに比べれば、だが)男性の影が、豪快な笑い声と共に近づいてくる。


 バケモノ犬の姿は、最早どこにも無かった。


 自動人形特有の、つまり魔法の力によって創られた人工物だとひとつ嗅いだだけでわかるような、どこか薬臭い蒸気をぷすぷすと発する塊(多分『肉』だろう)と、棒のようなもの(多分、こっちは『骨』だ)が、乱雑に転がっているばかりだ。

「そっちもですよ、ウォルグ先生。一撃で粉々というか、消し炭じゃないですか」

「いやあ、実に強力な魔砲を撃ってしまったものだよ。健全な身体こそ健全な魔力を発揮するという私の持論に、また根拠が一つ出来てしまった」

「はあ、そうですね……」

 そういう人物だと分かってはいるのだが、ちらと含ませた嫌味になど、男――ウォルグの前では完全に意味がないのだとドロシーは思い知る。

 鍛え上げられた体躯を典型的な探検家ファッションに包んだ自動人形研究の権威は、惜しげもなく白い歯を見せつけ、爽やかに笑っている。

 バケモノ犬の体力を削るべくダメージを与え、地面にはりつけたのは、ドロシーだ。そしてその動きを完璧に封じたのは、オスカーで。

 ……しかし遠距離から確実に強力な魔力による砲撃を撃つことで、あのバケモノ犬にとどめを刺したのは、紛れもなくこの男だった。

「……というか、ウォルグ先生」

「ん、なんだね?」

「今回の自動人形の討伐依頼って、先生が出してくださった依頼で、間違いないんですよね……?」

「ああそうだよ。君は依頼人のサインを確認しないのかい、ドロシー。職業魔法使いが仕事に臨む態度では無いのではないかね」

「いえ、もちろん確認はしましたけど。その、どうにも、こう……信じられないといいますか」

「依頼人のことはきちんと信じなければ! それこそ依頼を受けて自動人形の脅威から人類を護る職業魔法使いの意識がなっていないんじゃないかね!? 最近の若者はやれ永遠の生命だの、魔女の秘密だの、旧世界の真実だの、興味本位で首を突っ込みたがるが、それは職業魔法使いという職能集団の成り立ちにだね――」

「まあ、その件については否定しませんけど」


「あ、否定しないんだ、そこは。普通真っ先に否定するところじゃないの?」


「オスカー!?」

「先生、確保しておきましたよ。砲撃の衝撃波ですっ飛んでました。あいつの『核結晶』です」

 後ろから唐突に現れ、しれっと会話にオスカーが紛れ込んでくる。そういえばどこに行っていたのだと今更ながらにドロシーは疑問に思ったが、それを口にだすことはしなかった。

 彼の手の中を見れば、聞かなくともわかる。灰色の陽光を受けて、ちらちらと小さな燐光を振りまく、拳大の結晶を見れば。


 あのバケモノ犬の『生命』を支えていた、自動人形の動力源にして、『証』。研究者たちは、『核結晶』と名付けている。

 自動人形の『核』となる、魔力の『結晶』だ。

 ……そのまんまだ。

「おお、オスカー、でかした!」

「依頼の品ですからね。ご確認ください。欠けはないと思います……っていうか、どうやったら欠けるんですかね、これって」

「それを研究するのが私の仕事だよ。どれどれ、見せてくれたまえ……」

 ドロシーを押しのける勢いで、ウォルグが身を乗り出す。素直に脇に引いて、オスカーがウォルグに結晶を手渡すのを確認し、ドロシーは小さく息を吐いた。

「……悪かったわね、一人で探させちゃって」

 結晶に夢中なウォルグを見守るオスカーに近づいて、そっと声をかける。

 嫌味の一つでも返ってくるかと身構えたが、オスカーは小さく首を横に振るだけだった。

「いや。俺の方向に見つからなければ、さっさと戻って君に声をかけたよ。それに君は先生の安全を確認してくれたろう。依頼された品を確保するのも俺たちの仕事だけれど、依頼人の安全を護るのも重要な役割のひとつだ」

「安全も何も……」

「言ったって、先生は正式な職業魔法使いじゃない。依頼人の権利を行使して、俺たちの監督をしているに過ぎない。……そりゃあ、先生はちょっと、研究者にしては変わり者だから、結構な実践的な魔術の心得もあるけれど、職業魔法使いとしての訓練を受けているわけでは無いんだからね」

「そういう話になると、また別の罪悪感があるわね」

「つまり?」

「対自動人形の専門家が、そうじゃない……門外漢に、よ。自動人形戦に参加を促して、あまつさえとどめを刺させるってのは、どうなのよっていう」

「ああ……まあ、それは……ううん、確かになあ。先生は規格外だから……って言葉で済ませるのは」

「多分、甘えよ。少なくとも、先生の在りようを知らない、他の職業魔法使いたちは、良い顔しないでしょう」

「だよねぇ……」

 直後に聞こえたオスカーの苦笑には、深刻なばつの悪さが含まれていた。

「君たちは変な部分でマジメだなあ。マジメな若者は気苦労も多いだろう。せっかく力を貸すと言われているんだから、素直に受け取っておけばよいのだよ」

 すっかり結晶の観察に夢中になっているように見えたが、その実会話は聞こえていたらしい。どこか呑気な節回しで、ウォルグはそう言った。

「職業魔法使いとしての責任感があるなら、私をしっかり護ってくれれば済む話だ。そして今回は、非常にそれが上手く行った。縫いとめてくれなければ私は一撃を放てなかったのだからね。改めて礼を言うよ、ありがとう」

「先生の研究のお役に立つなら、頑張りますよ。なあ、ドロシー」

 ウォルグの礼に大して、間髪入れずにオスカーが応える。さらっと流してしまうかのようだった。

 その気持ちは、ドロシーも理解できないではなかった。放っておけば大げさにド派手に、そして長ったらしく語りかねないのが、この『先生』の癖だからだ。

「ええ、そうね。結局、先生たちの研究が、私たちの好奇心を支えてくれているようなものだから」

「好奇心、だってさ。随分とお行儀の良い言葉で。欲望だろ」

「人類の夢よ。永遠の命……不老不死の秘術。魔女たちが私たち人間に、残してくれなかった、旧世界最大の謎よ」

「その謎を解いて、旧世界の偉大な力を再び人間の世に復活させる。自動人形と彼らを構成する『核』は、それを実現するにあたっての、現状、唯一の鍵だ」

 ドロシーの言葉を引き継いだのはウォルグだった。満足そうに頷き、手元で輝く核結晶を名残惜しそうに指先でなでて、腰に下げた保管袋にぽいと放り込む。

「さて、そろそろ良い時刻だし、戻るとしようか。討伐対象以外の自動人形が、突如襲ってこないとも限らないからね……」

「ですね。周縁部といえ、ここはそういう場所だ。さ、帰ろう、ドロシー」

「ええ」

 オスカーに促され、ドロシーもまた歩を進めた。

(それにしても、ほんとに、瓦礫の山ばっかりって感じよね……)

 見慣れた景色というより、見飽きた景色だ。いつも妙に天候が悪くて、雲間から太陽が刺した光景を目にしたことが、ほとんどない。夕日も朝日もない。ただ薄明るい昼が、薄暗い夕方になる。

 虹の跡形。

 跡形とはよく言ったものだと、ドロシーはいつも思っていた。

 ここまで空虚だと、その空虚さをむしろ心地よく感じる。嫌いな場所では、なかった。

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