二日目


わたしは人の生き死にを何度か見た事がある。

勿論、望んでみた訳では無い。


死、とは元来穢れとされてきた。

江戸時代に五代将軍、綱吉公が服忌令を公布して以降、死とは、血とは穢れたものというイメージが再び民衆の心に刷り込まれた。

その考えは今の平和な世の中でも続いている。これは憶測だが、そもそも服忌令とは平和な時代になっても血気盛んな者を戒める為に出された法令なのではなかろうか。


だが、どれだけ人が死ぬ事を忌み嫌う風習が続いたとしても、必ず死の風はいつの世も吹き続ける。

どれだけ規則を設けようが、どれだけ思想を植え付けようが、いつの世もそれらを凌駕する強い思いが存在する。


それは規則のせいでも思想のせいでもない。

元より人の激情など制御することなど烏滸がましいことなのだ。



そして、それを明確にわたしに示した骸が今もまだ脳裏に焼き付いている。

一日は終わった。だが、悪夢は決して終わってなどいない。


明日など来なければいいと願った夜もあった。けど明日は来る。


慈愛に満ちた朝日はどれだけ否定しても全ての人に平等に降り注ぐ。


時に穏やかに。そして時に残酷に。




二日目





警備員に助け起こされ、後の始末は全て彼らにやってもらい、僕は何とか自力で帰宅した。

自宅には誰も居ない。

わたしはこの街の更に田舎の出身だ。交通手段が自動車しかないような場所から通学するには流石に不都合なので、わたしはアパートの一室を借り、そこに一人で暮らしている。

家事はすべて自分で出来るし、仕送りもあったので軽いバイトをするだけで十二分に生活はできた。


家に入るとまずトイレに駆け込んだ。

便器に顔を突っ込み、滝のように吐瀉物を出した。

肩で息をしながら、僕は暫く呆然とする。口の中は吐瀉物特有の臭いと何とも言えない不味さが広がっていた。


顔を洗い、口を濯ぎベッドに倒れ込む。眠る気など到底なかった。

いや、眠れる自信が無かった。


SNSを開き、秋山に明日は学校を休む宗を送信し、ぼくは固く目を瞑った。








激しい喘鳴音と共に意識が急速に覚醒する。慌てて身を起こし、僕は周囲を見渡した。

全身は汗でぐっしょり濡れており、息は乱れていた。恐らく悪夢を見たのだろう。

だが、その肝心の悪夢が綺麗さっぱり頭の中から消えていた。

昨晩の事も夢だと信じたかったが、あの死相を忘れれる筈もなく、僕は溜息をつく。幸いな事に、自分の中であの事は整理がついたらしく精神はかなり落ち着いていた。


携帯に通知が二つ入っていた。


一つは秋山から、承知した宗が記されていた。

二つ目は学校からのメール。



件名: 蒼月 蓮 の意志確認


昨晩はよく眠れましたか。


早速で非常に申し訳ございませんが、本題に入らせて頂きます。

昨晩の事の詳細を第一発見者である貴方から任意で聴取したいと警察から連絡がありました。

心身ともに不都合が無ければ、署まで来て頂きたい、とのことでした。


期限は無いので、焦る必要はありませんが出来るだけ早い内に行っておいてください。


学校長





読み終えた途端、不思議と笑みが零れる。

自分は巻き込まれたのだ、というのが、この文面からひしひしと伝わってくる。

わたしは元より自死を選ぶ人を肯定する気は無い。

何故ならそれは人生からの逃げであり、生への冒涜とも捉えれるからだ。

彼ら、もしくは擁護派の人々からしてみれば、その選択を選ばざるをえなかった状況を作り出した社会が悪い、というだろうがそもそも社会なんていうものは人々の最大利益を守るものであって、個人の利益や生活や幸福なんて一々毎分毎秒気にかけてなんかいないのだ。

社会からしてみれば『言ってこなきゃ対処しようが無い』といった感じだろうか。


と、まあこんな長くうだうだと語ってしまったが、この時のわたしは自殺するという選択は初めから頭に無く、問題に対して正面からぶつかっていくことしか考えていなかったのである。

とはいえ、たった数時間で心の傷が完治などする筈も無く、絶え間なく嘔吐感が僕に襲いかかった。頭痛もだんだん耐えきれないものへと変わっていく。

両親には既に連絡が施されているであろう。

再びベッドに倒れる。

小さなタンスから頭痛薬を取り出す、これなら少しマシになるに違いない、と数粒取り出して服用する。

とめどなく押し寄せてきていた頭痛が波が引くように穏やかになっていく。

今日一日ぐらい、寝て過ごしても誰も怒らないだろう。

太陽はまだ昇ったばかりだったが、僕は再びカーテンを閉め、電気を消した。








しかし、後に僕は寝てしまった事を後悔した。

暫くしてから起きてみてら時計は16時を指しており、携帯を見るととんでもない数の着信通知が表示されていた。

その数、ざっと50件。

一番新しい通知は今から数分前になっていたので、僕はすぐにかけ直すことにした。

『もしもし、レンくん?』

ワンコールも鳴らない内に件の大量の通話を仕掛けてきた相手が出てくる。


「なんだよ」

『なんだよじゃないよ。どんだけ私が電話かけたと思ってんの?』

不機嫌そうに返してくる相手。もといわたしの幼馴染みである橘 風夏。

彼女とは非常に幼い時からの付き合いだ。

だが、断じて男女間の交際はしていない。というより、お互いそんな目で互いを見ていないことが大きな要因と言えよう。

異性の友人の中では特に仲の良い部類に入る。もっとわかりやすく言うとわたしの親友である。


『もっちーから聞いたよ。レンくんがガッコサボってるって』

何故、わたしが家にいることを知ってるのか尋ねたかったが、もっちーという固有名詞でわかった。

どうやら密告者がいたらしい。

「そういうお前は何でこんな時間に電話かけてるんだよ。学校行けよ」

『ざんねーん、私の学校は今日休みなんだよーん』

言い方は何とも憎たらしかったが、合点がいった。

わたしと彼女は別々の学校に通っている。理由は勿論学力の差である。

わたしと違って彼女は勉学にもスポーツにも極めて精通しており、文部両道の体現者と中学の頃に呼ばれたことがあるぐらい優秀なのだ。

だから3年生の時、有名な私立高校に行くと知った時わたしはそれ程驚くことは無かった。


『凄いでしょ、レンくん。私〇〇高校に行くんだよ!』

『ふーん。お前らしいな』

『え、言い方酷くない?割とショックなんだけど』

『はいはい、すごいすごい』

『絶対馬鹿にしてるでしょそれ!』


と、まあこんな感じのやり取りを当時した記憶がある。

高校に入った当初はしばしば会う機会があったが、月が経つに連れ連絡すらしてないことに今更気づいた。


「そういや‥」

『?』

「‥‥いや、何でもない」

が、妙に恥ずかしくなり、やめておくことにした。


『あはは、なにそれ』

無論、風花がそんなぼくの葛藤に気づく筈もなく朗らかに笑う。

この笑い声こそ、彼女の魅力の一つだと思う。

平凡なぼくに比べ、彼女は容姿端麗、文武両道という完璧っぷりである風花なのだが、見た目はイマドキの高校生のソレなのでつい、周りを見下していると思われがちだが決してそんなことはない。


彼女は他人と平等に接し、仲良くなったら余程のことが無い限り自分から関係を切ろうとしない、そんなやさしい奴なのだ。

ぼくがかなり信頼を寄せている彼女であれば何か力になってくれるのではないだろうか、と思い今までの経緯を書く書く云々話すことにした。

彼女が息を呑む音が聞こえたが割と早く応えてくれた。


『まずはレンくんの無実を証明しないとだね』

確かにそうだ。自分が疑われている可能性も否定はできない。

『後は警察に任せることだね。私達はまだ子供なんだから、そーゆーことは大人の仕事だよ、レンくん』

宥めるように、慰めるように彼女は労いの言葉をかけてくれる。


「‥‥わかってる」

これだからいつまで経っても彼女に頭が上がらないのだ。

雰囲気から素っ気なさそうなのに、極度の世話焼き。それが風花という幼馴染みなのだ。

その後、数回やり取りをして電話を切った。通話終了、と表示された携帯の画面を見つめ少し思考する。確かに、今回の件は完全にぼくは部外者だ。警察に任せるというのは妥当だと思うし、最善の選択だと思う。

しかし、それは目撃したのが赤の他人の死だった時の場合だ。


身近な友人が目の前で、故意でも故意でなかったとしても殺されたのだ。

任せろ、と言われてもそう簡単には納得できない。

オマケにあの時、おそらく犯人は学生である事がわかっていたので、特定も容易である、とこの時のわたしは判断したのだ。


まぬけなわたしはその時は少しおのぼりさんのようになっていた。自分が探偵となり犯人確保に貢献する。それしか頭になかったのである。


ぼくは学校が終わる時刻になると早速秋山に連絡を飛ばした。

初め秋山は少し嫌そうだったが、渋々了承してくれた。

放課後に学校近くの喫茶店で落ち合う約束をし、ぼくは電話を切った。
















それはほんのきまぐれだった。

今となっては何故そんなことをしたのかわからないくらいだ。

たまたまSNSで自分や友人の名前を使って初めてエゴサーチを行っていた時、それはぼくの目に飛び込んできた。


半裸の男に抱かれている少女の写真。加工アプリやピースサインで顔の一部が隠されているが、見慣れている者としては見間違えようがなかった。

そしてその時わたしは、初めて友人の一人が売春をしていることを知った。



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