MIND BIND

Fulldrive

一日目



愚かな男の話をしよう。



結果的にたった一度きりの人生、その全てを棒に振った男の話を。



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わたしはその時、ただの一介の高校生であった。

地方都市の少し都会を気取った風な街並みから外れたところにあるこの地域の比較的大きい部類に入る学校にわたしは通っていた。


別段、進学実績も大して高くなく、全国の高校の偏差値の中の上といった当たりの、そんな学校だ。

元から賢くなかったわたしは、大学に進学したい一心だけで猛勉強し、この学校を受験し、見事合格を勝ち取った。


合格証を受け取り、校舎を見上げたわたしはこれからの学校生活に思いを馳せた。

きっと楽しい高校生活になるに違いないと。

その時はまだそう思っていた。



一日目 正午




入学してから早くも1年が経った。

元来、クラスのほぼ全員と友達になれる、というのがわたしであったので今まで通り、クラスのほぼ全員と交友を深めていた。

これはそんなある日のことである。


「ねえ、レン君。MIND BINDって知ってる?」

目の前の女友達である東山が放った一言の意図を僕は図りかねた。

MINDとは、即ち心を意味する英単語であると同時に心理的という意味も持っていたはずだ。

続けてBINDは拘束するという動詞ではなかっただろうか。


英語は割と得意な部類だが、英単語は暗記を怠けているせいで少し自信が無い。

「で、それがどうかした?」と、取り敢えず僕は返す。

しかし彼女は「いや、特に」と有耶無耶にしただけだった。やはり、深い意味は無かったのだろう。


「あ、そうそう」

わたしと東山が話し終わるタイミングを狙ってか、間髪入れず斎藤が口を挟む。

昼食組の皆の注目を浴びるを確認してから、彼女は口を開く。


「ダイチが女の子と付き合い出したらしいよ?」

悲しいかな、僕にはダイチという少年の顔がすぐには思い浮かばなかった。しかし、隣で静かに弁当を突っついていた秋山が、

「...あいつに彼女が出来た?嘘だろ?」

と呟くのを聞いてようやく顔を思い出せた。


確かにおちゃらけキャラとして中学まで一緒だったあのマルコメに彼女が出来たなんて到底信じることは出来ない。否、信じたくない。

わたしは、元々人見知りしにくい体質のお陰か、異性の友達もかなりできた。が、悲しいことに『お友達』止まりでそれ以上に発展しないのが現状といったところであり、わたし自身自分で『いい』と思えた異性と出会えた事が無いことも関係している。

まあ、とにかく僕にはどうでもいいハナシだった。これ以上聞いてしまうと流石に気がまいってしまう。


弁当をしまい、席を立つ。

それを見て僕が移動することを察したのか秋山がこちらを向いた。

「...トイレか?」

「いや、自分の席に戻るだけ」

「そうか」

他の友人達にも断りを入れてから自分の席に戻る。


「そーいえば、西口先生急に見なくなったね」

「なんかヤバイ事してたらしいよ」


「そういや長田、ガッコ最近来てないよな」

「だな。何かあったんだろか」


学校の、そして教室という密室ではこのような一種のヒソヒソ話が無造作に飛び交う。

それらはスキャンダルもあればゴシップネタ、或いはネットでの炎上事件などなど種類は豊富だが、どれも学生が得られる情報は限られているので信憑性は極めて低いので、僕はこういった話しは大嫌いなのであった。


僕は自席に着くと椅子に逆向きに座り、後ろで何やら携帯をぽちぽちいじっている男子に声をかけた。

「何してんの?」

「うわっ、びっくりした。ちょっと待て今いい所だから...ああ!」

彼の悲痛な叫びと同時に携帯から控えめなゲームオーバーを伝えるSEが流れた。

彼は暫し呆然と携帯の画面を見つめていると、ふいに僕の方を向いた。

「お主、何をしたかわかっているでござろうな?」

この通り彼はいわゆるオタクであり、わたしと話す時はいつも『ござる』口調で話しかけてくる。

先ほどは確かに申し訳ないことをしてしまったので僕は取り敢えず謝ることにした。

「ごめんごめん、まさかゲームしてるとは思ってなかった」

「...ほんとでござるか?」

「ああ、勿論」こんな学校でわざわざ携帯を出してまでゲームをしようとするなんて普通想像もつかない。


「で、拙者に何の用でござる?」

幸い、すぐに気を取り直してくれたのでわたしは本題に入ることにした。

「まいんどばいんど?」

「うん」

が、結果は芳しくなかった。

彼はまるで異国語を言われたかのような顔をした。それから彼はすぐに腕を組み、唸り始める。


「う〜む...、悪いが力にはなれなさそうだ。これっぽちもわからん」

「そうか...、ありがとう。あと、お前さ」

「うん?」

ここでずっと気になってたことを言うことにした。


「口調がバラつくようなら一つに絞った方がいいと思うぞ」

「う、うるさいっ!」



その後僕はいつも通り午後の授業をこなし、部活に向かうべく部室棟に向かうことにした。

窓の外を見やると日本海側特有のずっしりと湿気を含んだ綿雲が空を流れてゆく。

特にわたしの通う高校がある市は、山に囲まれた盆地であり、夏はじめじめとした暑さが猛威を振るい、冬は雪がこれでもかという程降る。

この時はまだ1月の半ばであり、外は今年入って数回目の大雪となっていた。


部活棟に向かう為には1度校舎から出る必要がある為、誤って上着を着忘れたものならばあたかも冷凍庫に放り込まれたかのような冷気に襲われる。

幸い、この歳でわたしは登下校時の見た目を気にするような思春期拗らせ人間ではなかったので家から引っ張り出してきた分厚いトレンチコートを羽織り、いざ参らんと言わんばかりに校舎の外に足を踏み出した。



駄目だった。

あと少し本当に凍りつくところだった。

感覚が無くなりつつある足を無理やり動かし、部室に滑り込む。

まさかあそこまで雪が積もっているとは思っていなかった。

今朝は全く降っていなかったのだ。己のあまりの不幸さに嘆きつつ、僕はおもむろに部室の椅子に腰を下ろす。

ちなみに当時わたしは喫茶部というよくわからない部に所属していた。

活動内容と言えば、ただ皆思い思いのことをしながらお茶や珈琲を嗜む、そんな感じだ。

何故このような部活が存在し、尚且つ学校から公認されているのか、誰も知らない。

だが、特にやりたい事も無いが、内申点が欲しかった自分からしてみれば都合のよい部活だった。

部室はかつてあった定時制の学食として使用されていた部屋である為、殺伐としているがキッチンその為諸々の調理機材がゴロゴロしている。

無性に珈琲が飲みたくなり、財布を覗くが悲しいことに赤褐ブロンズ色の硬貨が数枚入っているだけだった。

仕方なく立ち上がり、棚から暫くご無沙汰していた珈琲パックを取り出す。

テーブルに備付けてある某有名メーカーのコーヒーサーバーにお気に入りの珈琲パックを入れ取り敢えず僕はエスプレッソのボタンを押した。独特の駆動音が1人しかいない部室に響く。


エスプレッソが入るまでの間、珈琲が入れられる音をBGMにわたしは読みかけていた古本を取り出した。先日、行きつけの古本屋をひやかしに行ったついでに購入したものだ。

適当にぱらぱらと頁をめくり、ざっと文書に目を通す。


ブーン、ブーン。


僕はこの優雅な空気をぶち壊した音に顔を顰めながら、その音の主を鞄から引っ張り出す。

いつもは電源を落としているはずなのだが、たまたま今日は切り忘れていたようだ。

わたしの学校では授業中に携帯電話の電源が入っていることがバレたら没収というかなり厳しい校則がある為、普段は切っているのだ。

携帯の画面には『件名: あれ見たか?』と表示されていた。送り主は秋山からだった。

早速チャット形式のSNSを起動し、彼がメッセージの後に添付したURLからそのページに飛ぶ。


そこはどうやら匿名掲示板のまとめサイトのようだった。

そのまとめのタイトルには『高校教師、淫行にて書類送検』と記されており、どうやら何処かの高校で起きた教師による未成年淫行の事件があった事を示していた。

適当に流し読みをしていると加害者の高校教師の名前が記してあった。


-西口 明 容疑者。


僕は思わず二度見した。

西口といえば我が校の教師ではなかっただろうか。

ページをスクロールし、ページトップに戻る。

学校名を確認するとやはり、僕の通う高校だった。

しかし、それにしては学校が騒がしくない。この手の場合、普通なら学校がマスコミに囲まれ肖像権もクソもない程、我々生徒の顔が撮られ、全国ネットで拡散される。迷惑もいいところだ。


そしてその西口だが、犯行は認めたものの、動機については『互いに同意の上で交際していた』と記してあった。

いくら互いがOKを出していたとはいえ、やはり未成年に対しておまけに教師がそんなことをするのは教義上どうか、と僕は思った。


そのまま、部員が誰ひとり来なかったので、わたしは部室に鍵をかけ帰路についた。

が、僕は帰り道の途中で電車通学生徒必須アイテムの定期券を忘れたことに気づいた。

幸い、まだ一時間程帰りの電車まで時間はある。歩いててでも間に合うぐらいだった。


――後に、わたしは悟る。この時から既に“ある事件”に巻き込まれていた事に。


そして同時にこの時のわたしは人の悪性など、これっぽちも信じていなかったが故にこの先起こる不幸に気付くことができなかったのだ。



まず耳に入ったのは怒声と喧騒。

何かがぶつかる音。何かが恐怖を訴える音。


何かが派手に叩きつけられた音。

何かが潰れる嫌な音。

何かが砕ける嫌な音。


右奥の階段から転がり落ちてきた『ソレ』は明らかに人の形をしており、暫く痙攣するように四肢を小刻みに震わしていたがやがて動きを止めた。

手足はてんでばらばらの方を向き、うつ伏せで倒れているせいで顔はよく見えないが、服装が我が校の女生徒用制服だったので女性である、ということだけわかった。


その時のわたしは一歩どころか身動ぎ一つできなかった。

聡明な読者諸君なら、通常、物語の主人公なら目の前でいきなり人が倒れたら躊躇わず、すぐに助けに行くと御思いであろう。


が、現実はそうもいかない。

目の前で人が倒れている、という事実を本当にわたしが認識するまで数分かかったと思う。金縛りにあったかのように動けなかった身体が徐々に自由を取り戻す。

そして、幸運なことに無意識の内にわたしは目の前の少女を突き落とした犯人がいると思われる階段上を見たのだった。


視界の端に、スカートが見えた。

はっきりとは見えなかったが、少なくともウチの生徒のスカートの柄ではなかった筈だ。


追うこともできた。

目の前で地に臥している少女を放置し、犯人と思われる少女を追うことは確かにあの時のわたしなら可能だった。

だが、その事を拒む自分がその時のわたしを殆どを占めていたのだ。

わたしは別段、勧善懲悪をモットーとした正義漢では無いが人並みに悪を許せない心は持ち合わせていた。

だが、所詮それは思っているだけの事であって、いざ目の前で悪が現れるとこの通り『関わりたくない』と拒む自分が、その時のわたしの正義心を遥かに凌駕していたのだ。


そしてこれは不謹慎極まりないが、つい出来心で臥している少女の顔を興味半分で覗いてしまった。

そして、わたしの瞳はあたかも硝子の義眼のように動きを止めた。


すっかり冷たくなっている少女は、わたしの知る人物。

瞳孔が開ききり、表情は計りかねる恐怖に塗り潰され、不細工に歪んでいるが見間違えようがなかった。


彼女は昼食時にわたしの会話に割り込んできた、斎藤 翔子その人だったのだった。



その時わたしは嫌な汗が全身に流れるのを感じた。

身近な誰かが死んだ、その事実がまたしてもわたしの体を彫刻のように縛り付ける。


「っ、...ぁ、...っっ!!?」

いきなり吐き気が襲いかかってき、思わず口を抑える。

人の生き死になんてとんと縁のない事だと思って今まで生きてきた。

親族の死より先に、友人の一人が目の前で死んでいる。

かつて某カルト宗教の処刑動画がネットに出回って、多くの馬鹿共を量産した時期に、一度だけまとめサイトを監視していた際に偶然目にしてしまったことがあったが、遠い異国の地であること、自分が一生目の当たりにすることがない非日常である、という認識が酷く現実感を薄れさせていた。


わかり易く言えば、この時わたしは人が死ぬ瞬間のライブストリーミングを見せられたようなものだ。そしてそれが自分がよく知る人であり、尚且つ視覚も聴覚も、嗅覚もフルで機能する状態で、映像越しでは無い、その目で、その視覚神経で、その脳で、わたしは人の死ぬ瞬間を見せつけられたのだ。


夜の校舎には、一人と一つの骸が残された。

廊下の先に広がる闇は、まるで自分のその後を暗示しているようでその時のわたしは酷く嫌な思いをしたことを、今でも鮮明に覚えている。

時計を見やると、既に0時を回っていた。


こんな感じでわたしは悪夢の一日目を終えた。

思えば、全て一方的に、尚且つ暴力的にわたしを巻き込み、一生癒えぬ傷跡の一つを刷り込まれた一日だった。












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