第8話 龍の谷のナニガシ

 雲に斬りかかるよう勢いで聳える岩山の頂上付近に村がある。木が育つような標高ではないが、岩肌に囲まれた集落は草花がちらほらと見える。春の残雪に足跡を残しながら、点在する家々の中でもひときわ大きな屋敷に、背の高い女がやってきた。

「棟梁。文が届きました。魔王国の金庫番、Mr.どケチから」

 族長は獣や龍の骨で作った飾り物を身に着けた少年で、名前を聞くなり苦い顔をした。読みかけの本を閉じて板間からこちらへと威厳の全くない小走りでやってくると、正座して子犬のように小さくまとまった。

「やっぱり、まずかった?」

「使者からは特に何も。しかし、良い知らせではないでしょう」

「だよね、絶対そうだよね。どうしよう、制裁だったらどうしよう、どうする?」

 女はその手紙にさしたる興味がないようで、顔色一つ変えぬまま「どうしましょうね」と首を傾げた。

 北の山を中心に根を張る龍の一族は、小さな集落が合わさってできた勢力である。彼らは東の王国と西の魔王国の戦いには中立の立場を取り、その期間はどちらの手紙からも返事は出さなかった。その決断を下したのがこの少年。

「だって、龍の一族は弱い者に味方するんでしょ? じゃあ、どっちが強いかわからない戦争には参加できないじゃん。あと母さんから、関係ない喧嘩に首突っ込むのは止めなさいって言われてるし。それに参戦したって戦ったことないから、足引っ張って怒られるか、敵に捕まって殺されるかだもん」

 あらかた言訳を終えたので「ねえ?」と、目の前で正座する女に泣きつくような顔を向ける。この少年棟梁がネガティブなのではない、龍の一族は皆こんな感じなのだ。元々争いなど好まず、同族の殺し合いなどまず起こしたことがない、そのため戦争の話を持ってこられる棟梁という立場に率先してなろうとする者は居らず、月番で集落の長がその役割を果たすことに決められていた。今月と戦争が始まった月は、この少年がその当番だったという話である。

「不義がどうとか言って、結託した両国から攻撃される可能性もあるってことでしょ? どうしよう、指揮なんか執ったことないよ」

「棟梁、一先ず文に目を通してから考えましょう。最悪の場合、来月まで待って隣の集落に押し付ければ良い話ですし」

「そうかなあ。それもそうか、うん。……そうかなあ」

 この男、棟梁として皆を引っ張るには優柔不断が過ぎる。しばらく板間をうろちょろ歩き、ようやく腹をくくった様子で座布団へ座った。そして唾を喉奥へ押し込むと、ぶつくさと念仏のようなものを唱えながら慎重に、手紙を小さな封筒から取り出した。しかし開いてみると、何とも穏やかな文面。が、心に喝を入れて目を凝らし、前へ後ろへと罠が無いかを見て回る。その結果、一転して緩み切った笑顔になる。

「裁判長になって欲しいんだってさ、龍の谷の棟梁に」

「それはつまり、我らを魔王国の属国として召し抱え、魔王国内で司法を支えよ、ということですか? 挑発ですね」

「君はちょっと喧嘩っ早いんだよ。なんでも、こないだ結婚した勇者と魔王、あれ離婚するんだって」

「え~! あの二人別れちゃうんですか~? いや~ん、お似合いの二人だと思ってたのに、びっくり~!」

「で、その裁判をやるらしいんだけど、前例のないことだから両国から見て公平な僕らに白羽の矢が立ったと。大変だね」

「大変なのは棟梁じゃないですか。裁判長だなんて」

「え、これって僕がやるの? なんで? さっき言ってたみたいに来月まで待って隣村にまわしちゃおうよ」

「いいえ、これはチャンスです。我ら龍の谷は周辺の国に比べて支配力が弱いでしょう。それはトップたる棟梁が月ごとに代わってしまうからに他なりません。よって、あなたに正式な棟梁になってもらいたいとかつてより思っていたのです」

「思わないで」

「少々手紙を書き換えましょう。文面にある“龍の谷の棟梁”のところに、棟梁のお名前を書くのです。そうすれば、魔王国から直々に棟梁として認められたようなもの」

「話がどんどん進んでいくんだけど」

「では、私はこれにて。明日龍の谷の棟梁の皆を招集いたします。そこではっきりさせてしまいましょう。名前の件はお任せを、筆跡を真似るのは得意なので」

 ようやく動いていた口を止めると、女は目の前で固まる少年へ頭を下げ、皆への文を書くべく彼の部屋を後にした。

「え、無理無理無理無理、いや無理無理、絶対無理、無理だって、無理無理無理無理無理、なんで? なんでよりによって僕なの? 本当に無理だって、無理だから」

 頭が熱された鉄のようになり、気づけばひんやりとした床を相手に力が抜けていた。どうして自分がそんな大役を熟せるというのだ。虚ろな視点を天井に向けたまま、彼は自棄になったように眠りに落ちた。彼は他の棟梁らが輪になって自分を睨みつけている夢を見ている。気づけば周りが自分を見下ろすほどに小さくなっている。そして大きな陰口が頭上を飛び交っていた。

「無理だよお」

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七人の魔物 備成幸 @bizen-okayama

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