ニアタ書:第二節

 ニアタの区画は、概ね山の賢人が言った通りの様相であった。通路は細く、その壁には無数の、色とりどりの細い石板が嵌め込まれていた。

 セラは、石板のひとつを手に取って眺めたが、意味の取れない紋様があるばかりで、捲れもしないので元の場所に戻してしまった。同じことを数度繰り返しているうち、物音がしたので見ると、そこには大量の石板を籠に抱えたの姿があった。

 トールディンが逃げるように言った。だが、通路には隠れるところなど、どこにも無かったので、三歩も歩かないうちに司書械に見つかってしまった。司書械が頭部についた灯を赤くすると、二人は遠くから物音がするのを聞いた。

 セラは司書械を焼き払って言った。

「トールディン、分身を使って先へ行かせて」

「武装械が少ない道を探すか」

「逆よ。武装械が最も多い道を行く」

「あくまでもニアタに近づくか。いいだろう」

 セラ達は武装械の最も多い道を進み、通路には幾度となく焼き払う閃光が走った。そうしているうちにセラ達を追う武装械は少なくなり、ついには見えなくなってしまった。

 トールディンは言った。

「参った。これではニアタの位置を探れない」

「近づいているのは間違いないのでしょうけど」

「しかし、この区画はどういうことだ。進んでも進んでも景色が変わり映えしない。これなら武装械がいた方がまだだった」

「なら、ここは一つ、試してみましょう」

 何を、とトールディンが問うので、セラは言った。

「索引械を」

「山の賢人が言っていただろう。ニアタの立場なら、おれ達に絶対に使わせないと」

「とはいえ、使ってみなければ始まらないわ。トールディンはそこで見張っていて」

 索引械は区画中に取り付けられており、セラ達は武装械を倒す中で数え切れない程目にしてきたが、トールディンが言ったように今まで一度も手を触れていなかった。索引械は壁を四角に切り崩した窪みの中にあり、上部には垂直から少し傾いた石板が、その下にはどうやら手で触れるらしき、細かな装飾の石板があった。

 セラが下の石板に指で触れると、傾いた石板に明かりが灯り、文字を映し出した。

『ご利用いただきありがとうございます。この機体はニアタ区画文書探索用索引械、H951-A。シリアルナンバー342となっております。このまま、打鍵板だけんばんから手を離さずにいてください。利用者情報を照合しています……終了まであと三、二、完了。セラ・フレイオルタでお間違いありませんか? 正しければ指の爪先で板を一回、違っている場合は板を二回、叩いてください』

 セラは指の爪先で打鍵板を一度叩いた。索引械は続けた。

『照合完了しました。あなた様には以下のアーカイブがご覧いただけます』

 トールディンが言った。

「お前の言ったとおりだった。どれ、一つずつ紐解いていこうじゃないか」

「おそらくだけど、この中にシトーリュカを倒す術はない」

 索引械が示した文書は以下の通りであった。


 創星記……全二節

 堕星記……全三節

 星伐記……第一節~第四節


 セラは問うた。

「直接、私が見たいと思う文書を見る方法は?」

『セラ様におかれましては、機能が制限されています。現在解放された文書を読むことで、シトーリュカ様に関する情報が開示されるようになっております』

 トールディンは言った。

「セラ、これは読むべきではない。シトーリュカのことを知らせるなど、罠に決まっている」

 索引械は被せて続けた。

『ニアタ様はこれまでに起こったことから、セラ・フレイオルタご一行がシトーリュカ様を倒すことのできる確率を計測されました』

 索引械が言葉を切ったので、トールディンは迫った。

「確率? なんだそれは」

『ある出来事が起こることが期待される度合い、とでも申しましょうか。』

「それで、どれくらいであったのだ?」

 索引械が答えなかったので、トールディンは機体を叩いた。

「もったいぶるな、の分際で」

 すると、セラが言った。

「ちょっと、壊れたらどうするの」

「ほかのやつを探すさ。幸いなことに索引械は腐るほどある」

 トールディンがそう言うと、区画のどこからともなく低い音が響いてきた。索引械の声が告げた。

『半径五十エタに渡る範囲の索引械を破壊しました。この先、お二人がこの区画を移動するたび、半径五十エタに近づいた索引械は破壊されます。なお、この索引械シリアルナンバー342も、文書を読むコマンドが打たれる気配のない場合、同じように破壊されますのでご注意ください」

 セラは打鍵板を叩き、索引械に提示された文書を読み進めることにした。

 創星記には世界の始まりから、陸・海・空の神が世界を作り、動物と星が作られる様が描かれていた。また、陸の神にして兄であるガイアラキから受けた仕打ちから、エルシエルが地上の生き物に死を与えたことが綴られていた。

 堕星記には、空の神・エルシエルが星を生み出したいきさつと、それを司る天使がいかにして堕天し、繁栄したかが綴られていた。この時、天使達を生んだエルシエルは星を動かすことに飽き、永きの眠りについていた。

 そして、星伐記には、空の神、エルシエルが人として地に堕ち、天使を狩るまでのいきさつが記されていた。さらに、エルシエルが人として生きるための名は、セラとあった。

セラはこれにひどく狼狽え、ふらついたのでトールディンが支えてやった。

「私が、空の神、エルシエルの生まれ変わりということ?」

「おれはお前を人間だと思っていた」

「私が、エルシエルの生まれ変わりだというなら、この都が出来、この地に生きる人々を戦いに巻き込み、地の神の怒りを買い、そして天使を狂わせたのは、すべて私のせいということになるじゃない」

セラが地に伏して泣くのを、トールディンは止めることができなかった。すると、索引械から女の声がした。

『はじめまして、セラ・フレイオルタ。そして、お久しぶりですね、御母様エルシエル

「あなたは」

『寂しいですわ、御母様。自分の生み出した娘のことを忘れるなんて。あぁ、でも。身勝手で高慢で心無い貴女のことですもの。このニアタのことなんて、星の数ほどもある天使の一体ですものね』

「それよりも、この索引械の示したことを、本当に、私が?」

『さっきからそう言っているでしょう。御母様、貴女は性格だけでなく頭も悪いのですか?』

「けれど、私は人の、母の胎から産まれ、神の力なんて持っていない」

ニアタは高く笑った。

『なら、貴女が持つ『矢のない弓』と『月の鏡盾』は一体なんなのです? まさか、ただの人間ごときに太陽と月の力が扱えるとでも?』

セラは震える手で弓と盾を手に取り、それを取り落とした。弓と盾はそれまでより一段と強く輝き、セラは青ざめた顔でそれを見つめていた。

『セラ・フレイオルタ。もう分かるでしょう。天使が泣き、地に堕ちたのも、この都が出来たのも、地に怪物が放たれたのも、天使が狂ったのも、全て、全て! 貴女のせいなのよ、御母様エルシエル! 天使の泣く声に耳を傾けていれば、地の様を見ていれば、アルゼラがああも悲しむことはなかった!』

ニアタの言葉の一つ一つに、セラは呻きを上げて泣いた。トールディンは聞くなと言ったが、ニアタはなおも続けた。

『私はこの日をずっと待っていた。五百年、いいえ、千五百年前から。ずっと、悲しみに暮れる貴女の顔が見たかった。そして、貴女には罰が下されるこの時を待っていた!』

トールディンが言った。

「罰とは、なんのことだ」

『神々の盟約で、エルシエルは記憶を失って地に堕ちることを命じられた。けれど、セラは自らがエルシエルであることを、この索引械によって知り、記憶を取り戻した』

「セラは望んで取り戻したわけじゃない!」

『意思なんてどうでもいい。重要なのは知った、という事実だけ』

ニアタが笑い出すと、大地から声が轟いた。それは、ガイアラキの声であった。

「エルシエル! お前は兄である我ら陸と海の神を愚弄したばかりでなく、父が課した罰則も破るというのか! 神の盟約を破った罪は重い。エルシエル。お前は空の女神でありながら、永久に大地に繋がれる、その恥辱を身に受けるであろう!」

すると、声とともに区画の大地は裂け、セラを飲み込もうとした。トールディンはセラの手を取り、引き上げようとした。だが、ガイアラキがあまりにも荒ぶるので、トールディンがこれに耐えかねようとしていると、セラはトールディンに礼を言い、自ら手を振りほどいた。

地の裂け目にトールディンの叫びがこだまし、それは恐ろしく虚に響いた。見る間にセラは地の底へ吸い込まれ、やがて見えなくなってしまった。すると、地は継ぎ目一つなく閉じ、セラは死したものが行くガイアラキの国へ行ってしまった。

後には、ニアタの笑う声と、トールディンの姿だけが残った。

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