カリギリ書:第三節

区画の戦場に立つ者がトールディンただ一人となった時、カリギリはマイアの雨を降らせて言った。

「我が血を引いた人の子よ、見事である。その武勇を称え、お前にあの娘を得る権利を与えよう」

すると、トールディンは憤然として言った。

「何の権利があってそのようなことを言うのか。再三言うが、セラは物ではない。まして、誰かの好きに出来る女ではない」

「では、儂の与える権利を放棄して、一体、何を望むというのか?」

「その城から出て、おれと戦え。カリギリ、おれはこの身に流れる血の始祖としてのお前と戦うためにここへ来たのだ」

「その望みには意味が無い。なぜなら、儂はあらゆる戦いと名のつくものに於いて、決して負けを知らないからだ」

「おれはすでに、この身より遥かに濃くお前の血を引いた者を打ち倒した。お前は戦いの始まる前から、勝ちをセームアルギリにでも賭けていたのだろう。だが、その賭けはどうなった。おれが勝ち、お前は賭けに負けたのだ。あらゆる戦いに本当に勝つのなら、賭けにも勝って然るべきだろう」

カリギリはトールディンを指差し、彼の頭上にマイアの雨を降らせて言った。

「お前は自分に賭けているのだろう。ならばその身をお前の魂から奪い去り、この地の戦士達に、永遠に嬲らせよう」

「おれが勝ったその時には、お前をこの空へ還してやる」

空を指差したトールディンの前に、カリギリは不意に現れ、かの天使が自ら鋳造した武具を振るった。その武具は剣、槍、斧、槌、鎌、弓など、およそこの地にある如何なる武具にも似ておらず、しかし目の前の敵を滅ぼすことにかけて比類なき力を持つものであった。

カリギリの武具に打たれたトールディンの姿は搔き消え、別の場所から別のトールディンが現れた。カリギリは次々と武具を振るっては、トールディンの分身を消していった。

トールディンは怪物達から作られた武具でカリギリに挑んだが、二十の分身を以ってしても、カリギリの身体に傷一つ負わせることが叶わなかった。

カリギリは言った。

「言っただろう。儂は戦いの天使にして、あらゆる戦いと名のつくものに勝利するのだ。これは天使が地のものに勝る自明と同義である」

「なら、なぜ堕天使は怪物に屈した?」

「屈してなどおらぬ。マイアめ、出鱈目を言いおって。トールディンの次はあの裏切り者の指を全て犬に食わせてくれる」

その後、トールディンは分身を以ってカリギリに挑み続け、暮れた日は明ける程に続いた。セラは寝ずにその様子を見守り続けた。

戦ううちに、トールディンは数え切れない程の傷を拵え、一方でカリギリは無傷であった。カリギリは悲しげに言った。

「所詮人間はその程度だ。どれだけ腕を磨こうと、どれだけ魔術を極めようと、この儂一人には決して敵わないのだ」

セラは言った。

「トールディン。私には、あなたが生きている方が、あなたがその天使に勝つことよりも価値があるの」

そう言って、セラは「矢のない弓」に光の矢をつがえた。すると、トールディンは言った。

「おれはすでに、この天使に勝つことを思いついた。だから、セラ、お前がそんな顔をして矢をつがえる必要はない」

カリギリは怒りに髪を逆立て、武具を振るって目につくもの全てをなぎ払った。トールディンは無数の分身を拵えると、言った。

「おれはこれから、お前と戦わずして勝つ」

そう言うと、トールディンの分身達は一斉に同士討ちを始めた。セラは物も言えぬ思いでそれを見つめていたが、それは山の賢人や、カリギリにとっても同じことだった。

トールディンが別のトールディン目掛けて繰り出した槍の穂先がカリギリを刺した。同じように、雷光豹の靴で放った蹴りの狙いが逸れ、カリギリを打った。獄火猩々の兜の放つ熱が天使の肌を焼いた。トールディンは確かにカリギリと戦うことなく、別なるトールディンと戦う中で、カリギリを巻き添えに傷をつけた。

カリギリはトールディンの策に怒り狂ったが、この策は日が昇りきるまで続いた。そうして遂に、カリギリは巻き添えで倒れ、言った。

「思えば、儂ら堕天使の斜陽は、土地を得るための戦いを始めたところにあったのだろうか。もはや時を戻ることは叶わぬ。だが、もしあの頃の儂に会えるなら、トールディン、お前のように気の利いたことの一つや二つ、考えるべきだったのかも知れぬな」

「カリギリ、あなたの武人としての強さは本物だった。だからこそ夜が明けるまで、このような策であなたを倒すことを躊躇った」

「よい、戦いの中に正も過もない。お前は儂のことを認めてくれ、倒すために最善を尽くしただけだ」

その後、カリギリはトールディンのこれまでを問い、トールディンはこれに答えた。

やがて、カリギリの息が絶え絶えになったのを見て、城から出たセラは、もうよいかとカリギリに問うた。カリギリは頷き、最後に言った。

「戦いの天使として、あの空からお前達の武運を祈ろう」


こうして、戦いの天使、カリギリは原動天へと送られた。この時から、この星が瞬くたびに、人は戦いのために頭を回すとも、戦いを避けるために知恵を働かせるとも言われている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る