カリギリ書:第二節
トールディンがセラを賭け、カリギリの落とし子達であるセームアルギリ、ヨルダ、タナウスを相手に宣戦を布告した翌日の朝、カリギリは区画中に響く声で言った。
「今日は四人のうち、誰か一人が残るまで戦うがいい。決着がつくまで、マイアの雨は降らさないものとする」
セラを賭けた戦いに臨んだ者達は以下のとおりである。
カリギリの血を最も濃く受け継いだ、狼のごとき顔つきのセームアルギリ。
自らを美の化身と呼び称える、薔薇のごときヨルダ。
戦士たちの戦果を数える役目を持つ、からくり仕掛けの頭脳のタナウス。
五百年の時を経てカリギリの下へ戻ってきた血、猛きトールディン。
カリギリの落とし子達は、それぞれ腹心の部下たちを連れて戦場へ降り立ったが、トールディンだけは山の賢人のみを連れて戦いに臨んだ。セラは自らの身を賭けられていることと、「矢のない弓」を持つことを理由に戦いに望むことを禁じられた。セラははじめ、この契約を撥ね退けようとしたが、従わない場合は区画全ての戦士がトールディンを殺すと言われたので、彼女はカリギリの契約に従い、そして言った。
「見ていなさい。私の認めた人間の男が、天使の血を引いたこの地の戦士を全て倒すわ」
カリギリは言った。
「天使は地の生き物に勝るよう、エルシエルによって生み出されたものだ。それなのに、我が血を一滴継いでいる程度の男がどうして、この地の戦士を倒すのだろうか」
「私は天使を滅ぼすために生まれた身。その私が、この区画の戦士を倒せと命じるのです。トールディンが勝たないわけがないでしょう」
物見台からセラが身を乗り出し、手を振ると、トールディンはそれに答えた。また、それを見たヨルダは唇を噛み締め、血を流しながらトールディンへと駆けた。トールディンは怪物から作られた武具を持ち、ヨルダの流麗な鞭の捌きをいなした。ヨルダは言った。
「ただの男かと思えば、存外にやるようだ。仕方がない、あまり美しくはないが、敗北による醜さには代えられない。皆の者、かかれ!」
ヨルダは部下たちに突撃を命じたが、待てど暮らせど、部下たちが来る様子はなかった。やがて彼はトールディンによって腕と足を傷つけられたことに耐え兼ね、跳躍して間合いから逃れた。着地したその時、ヨルダは不意に自らの体が重くなるのを感じ、立つことはおろか指一本動かすことも叶わなくなった。
倒れ伏したヨルダに、山の賢人が言った。
「ここへ逃げてきた時点で、お前はトールディンに負けたのだ。たとえお前が美の天使、ヴァルドによって祝福されようと、また、お前の父たるカリギリに祝福されようと、セラはお前のものにはならなかっただろう。なにより、師として育てた私が許さん」
ヨルダは山の賢人が発した病の霧によってもがき苦しみながら、懐から瓶を取り出して中身を飲んだ。瓶の中には、マイアの技術で生み出された癒しの雨が詰められていた。マイアの肌に浮いていた斑点は消え、抜けた力は戻り、鞭で霧を振り払った。
「父から聞いたぞ。裏切りの堕天使、マイア。お前の技術は今こうして、この命を救うのに、そして、あのいけ好かない小僧を殺すのに役立ったぞ!」
高笑いをしながら、ヨルダは跳躍してトールディンの下へ向かった。だが、その体は二つの方向から、一つは頭蓋突きのくちばしで出来た槍に、そしてもう一つはからくり仕掛けの槍で貫かれた。ヨルダはその場で絶命し、落下と共に首が無様に折れた。
山の賢人には、前者はトールディンのものであると見分けがついたが、もう一つが果たして誰のものか、見当がつかなかった。トールディンが山の賢人のもとへ戻ってきて、同じことを問うたが、答えは出なかった。
すると、しばらくして眼鏡をかけた痩躯の男が現れて言った。
「トールディン殿にマイア殿、お初にお目にかかる。私の名はタナウス。率直に申し伝えよう、私と共に、セームアルギリを討たないか?」
トールディンは問うた。
「さきほど、ヨルダにからくりの槍が放たれたのは、お前がやらせたことか?」
「率直に言おう、私と手を組まないか?」
「断る」
「そう言うな。セームアルギリは容易に倒せる相手ではない。あれは戦いの天使が生み出した、最も精度の高い分身と言っても差し支えない」
「つまり、奴を倒せれば、おれにもカリギリを倒せるわけだ」
トールディンの言葉に、タナウスは面食らい、そして言った。
「つまり、君はあの娘を護るためにこの戦いに身を投じたと共に、全てが終わった後は婚約を放棄し、代わりに我らが父に挑む権利を得ようとしていたわけか」
「こちらからは全て伝えたつもりはないが、委細、そのつもりでいた」
「いいだろう。ちょうど、五百年続いた闘いの日々にも飽きてきたところだ。手を貸そうじゃないか」
トールディンが頷いてタナウスに手を差し伸べると、山の賢人が割って入った。
「待て、トールディン。奴を信じるにはまだ早い」
「マイア殿。あなたが常に構えているので、私には邪心を起こす隙すら無かった。それに、はじめからやるつもりであったならとっくにそうしている。だが、二人にとって私のことが信じられないというのも当然だろう。故に、私に病の枷をつけるがいい。病の天使であるならば、私がトールディン殿を裏切った時にこの身を苦しめる病を生み出すことも出来よう」
山の賢人は本意でない呼び方に憤慨したが、タナウスの望み通りの病を生み出し、彼に植え付けた。
セームアルギリが率いる軍団に近づいたトールディン達を待ち受けたのは、セームアルギリの放つ、地を砕くほどの数多の紫電であった。タナウスは号令をかけ、からくりを装備した師団を前に出させた。戦士達がからくりを起動させると紫電はたちまち霧散してしまった。これに乗じ、トールディンが前に出たので、タナウスの率いる軍勢も勢いに乗って前進を始めた。
セームアルギリが雷を放つのに慢心していた彼の軍勢は、タナウス達が意に反して前進を続けたことに驚きを見せた。だが、セームアルギリが雄たけびを上げるのを聞くと、一層猛々しい叫びをあげて戦い始めた。トールディンによって蹴散らされ、山の賢人の霧に巻かれ、タナウスの計略に翻弄され、セームアルギリの軍勢は瓦解していった。
セームアルギリは言った。
「タナウス、お前は長きに渡ってこの俺の雷を封じるからくりを秘匿していたようだな。そんなものを出してまで戦うとは、あの血の薄い小僧に絆されたか」
「私はただ、この区画に飽いただけだ。五百年前の戦いに囚われ、来ることもない敵を見ながら生と死を繰り返すだけの日々に何の意味がある?」
「俺を倒し、あの娘を手に入れたところで、この区画は変わらん。永遠に戦い続けよう、タナウス。お前の計略を見せてみろ、もっと、俺の見たことのないものを出してくれ。こんなに楽しい戦いは五百年前以来だ」
「悪いが、この区画での戦いはこれで終わりだ。全部隊、構え! 放て!」
タナウスの号令に従い、戦士たちがセームアルギリに狙いをつけた。その時、狼のように鋭い目をした男は、雄たけびを上げると自らに雷を落とした。あまりのことと音に、タナウスの部下達は目を見張っていたが、その次の瞬間に彼らが見たのは、首の無い自身の体であった。
雷光を纏い、セームアルギリは言った。
「どれだけ頭数を揃えようと、どれだけ頭を使おうと、所詮は大きく勝る一には勝てぬ」
セームアルギリは再び姿を消し、雷光が迸ると、戦場には悲鳴が満ちた。トールディンは山の賢人に、セームアルギリの動きを止められないかと問うた。
「彼は雷を纏うことで霧を跳ね除けている」と山の賢人が言うので、トールディンは「ならばおれが止める。そのためにあの区画で魔術を得たのだ」と答えた。
トールディンは分身の魔術を使い、捨て身でセームアルギリを止めると、そのまま数多の武具でその身体を刺し貫いた。セームアルギリの断末魔は周りの戦士達を卒倒させる程の恐ろしいもので、彼は最後に、トールディン目掛け、雷撃を放った。タナウスはこれを庇い、セームアルギリと共に倒れ伏した。
こうして、セラを巡るカリギリの落とし子達との戦いで、トールディンは勝利を収めることとなったのだった。
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