星伐記:カリギリ書

カリギリ書:第一節

 セラ達はイヴリス達に別れを告げ、ハドメルの区画を離れた。イヴリス達によって補修されたハルミラ号はこれまでより三倍の速さで空を飛び、取り付けられた砲門によって放たれる弾は区画を隔てる壁すら貫く威力だった。

 トールディンは舵を切る山の賢人に問うた。

「次の区画はいったい、誰が支配する区画なのだ?」

「喜べ、トールディン。次はお前が最も会うことを望んでいた天使が支配する区画だ」

 トールディンはカリギリの名を叫ぶと、歓喜のうちに船の行く先に目を凝らした。これは、彼がカリギリの血を引く人間であり、カリギリと手合わせすることを望んでいたが故である。

 セラは言った。

「トールディン。この区画の旅が終わったら、どうするつもり」

「それは終わった後から考える」

「私と師には、この都の堕天使を全て倒す責務がある。けれど、あなたはカリギリと戦うためだけに、これまで共に来た。後のことは、あなたのしたいようにすればいい」

「まるで、考えたことはなかった」

「私たちについていくのも、あの倒れた塔の人々の下へ戻るのもあなたの自由」

「お前は、おれがカリギリに勝つことを信じて疑わないようだが」

「いざとなったら、あなたではなく、が勝つのだもの」


 ハドメルの区画を出て半日が過ぎた頃、ハルミラ号はカリギリの区画へたどり着いた。壁を前に門が見当たらず、また、壁の上にはあらゆるものを拒む結界が張られていた。そのため、山の賢人はハルミラ号の砲門によって壁に穴をあけ、セラ達はカリギリの区画へ入ることとなった。

 区画に入ってすぐ、ハルミラ号は吹き荒れる矢と弾丸と魔術の嵐、突き上げるような怒号と血の匂いにさらされた。トールディンが武器を振るって嵐を払い、また、イヴリスがハルミラ号に施したもまた、同様の役目を果たした。やがて砲兵の一団がハルミラ号に狙いをつけたので、セラは「矢のない弓」に光をつがえ、辺りを焼き払った。


 ハルミラ号はその後、日が暮れるまで区画をさまよったが、どこへ行っても同じ有様だったので、セラ達は疲れ果ててしまった。セラがハルミラ号の甲板にあおむけになって寝ると、雨粒が頬を打ち、やがてそれは区画中に降り注いだ。雨に打たれるうち、セラ達は疲れ果てた身が軽くなるのを感じた。

 山の賢人は言った。

「これは、かつて怪物達と戦った時に私が生み出した技術だ」

 彼はそう言って静かになった辺りを見渡した。一面には負傷した人々が山となり、血は河となる有様だった。だが、雨が山を潤し、河に滴るうちに、伏せていた人々は一様に起き上がり、やがて、セラの矢によって炭となった者すらも肉を取り戻した。

 起き上がった戦士達は行進を始め、やがて空から羽ばたいて現れた、美麗な男女のが彼らを抱え上げた。ハルミラ号を折りたたんだセラ達は達を追いかけ、やがて星夜のように煌めく玲瓏の城へたどり着いた。中からは、肉や果物の香気や酒気が漂い、地が震えるほどの喧騒が外にまで響いていた。

 中では戦士たちがの注いだ酒を飲み交わしながら、口々に昼の戦で自らの上げた戦果を高らかに叫んでは肉を食らっていた。やがて、彼らの口からは船を目にしたことがわずかばかりに告げられたので、物陰に隠れていたセラ達は一様に顔を見合わせた。しかし、多くの戦士たちはそんなものは見ていないと断じ、同じように酒を飲んだ。

 宴もたけなわになった頃、広間の奥から一人の巨躯の天使が現れ、手を掲げた。すると、それまで隣の話す声が聞こえない程に騒いでいた戦士たちは一様に押し黙り、天使に向け礼をした。

 陰で見ていた山の賢人は言った。

「カリギリだ」

 トールディンが固唾を飲んで天使の姿を凝視する中、カリギリは言った。

「よい、よい。これまで通り、楽にするがいい。我が息子たちよ」

 すると、戦士たちの中から、目のぎらつく、狼のような顔をした男が前に出て、天使を前に跪き、言った。

「そういうわけには参りません。我らは皆、御身に流れる血を受け取ったものであります故」

「セームアルギリ。この、カリギリの血を濃く継いだ息子よ。今日も、一段と高い戦果を挙げたそうだな」

「はい。ですが明日はさらにうず高く、屍の塔を築いて見せましょう」

 そう言うと、セームアルギリは後ろに下がり、盃を高く掲げた。

「さぁ――皆の者、我らが父の栄光に乾杯!」

 カリギリが見守る中、戦士たちが宴を再開してしばらくして、眼鏡をかけた一人の痩躯の男が前に出て、魔術で石板を出して言った。

「これより、タナウスの名において、戦果の発表を執り行う。これはいつも通り、私の石板の魔術によって、昼に死んだ者達と仕留めた者の記録を残し、戦果として告げるものである」

 タナウスはそう言うと、セームアルギリをはじめ、昼に最も多く殺した者の名から順に戦士の名を告げた。最後に、タナウスは眼鏡を上げて言った。

「皆の者、これを見るがいい。と、を比べたものだ」

 彼が宙に映しだした二つの数字があまりにも食い違っていたので、戦士たちはおろか、セームアルギリやカリギリまでもが驚きに目を見開いた。タナウスは言った。

「この区画にいる戦士が病で死ぬことはない。足を滑らせて勝手に死ぬ間抜けはいるだろうが、そんな者は二人もいれば多いだろう。では、この数字の食い違いが何を意味するか。それは、この区画に侵入者が現れた、ということだ」

 すると、戦士たちの中から一人、高笑いをしながら、煌びやかな衣装に身を包んだ男とも女ともつかぬ者が現れ、言った。

「では、このヨルダが美しく、我らが区画の戦に茶々を入れる無粋な者共を討ち果たしてくれよう。日暮れまでに、雨に当てることのないよう、槍の先に首を掲げて見せよう」

 タナウスは言った。

「前にも似たようなことを言って、無様に首を刈られたのは誰だったでしょうか」

「黙れ。美しい散り際というものも、この世にはあるのだ」

「あなたが自分に陶酔しているだけならそれで構いませんが」

 カリギリは言った。

「争うならばこの城ではなく、明日の戦場でするがいい。この区画に生まれついたお前たちには戦い、強くなる義務がある。皆の者、タナウスが示した数字を見よ。侵入者はようだ。心してかかるがいい」

 そう言うと、カリギリは広間から姿を消した。物陰に潜んでいたセラ達はカリギリの後を追ったが、城の中が入り組んでいるのと、戦士達が広間だけでなく城中に溢れかえっていたので、追いつくことが容易にかなわなかった。そうして、カリギリを追う内に夜が明けてしまった。


 夜が明けると、城はまるで陽の光に隠れる星のようにその姿を消し、セラ達は区画のいずこかへと飛ばされたようだった。そして、鐘の音が鳴ったことで、五百年もの間繰り返されてきた戦いの一日の始まりが告げられた。

 セラ達は同じように戦士達を焼き払い、病魔に侵し、薙ぎ倒した。すると、その日の夜、戦士達はセラ達のことを噂するようになった。弓から放たれる光のすさまじさや、迫りくる霧のむごさ、襲い来る軍団の鬼気などが口々と語られたが、やがて一人の男がセラの容姿を称えた。それは、美を誇るカリギリの落とし子、ヨルダであった。

「おれは戦場であの娘の顔を見た。あれの前ではどんな星の光ですら霞んでしまう。そう、このおれでさえも。あぁ、ぜひともあの娘が欲しい」

 すると、セームアルギリは言った。

「ヨルダ、しょせんお前はその程度だ。顔ばかりに目が行って、あれの胎には目もくれない。我らが父が言っていた。あの女は、神が堕天使を滅ぼすため、遠い地の女王に産ませた娘だ。そんな女の胎から生まれた子どもはいったい、どのような戦士になるのか、気にはならないのか」

「ふん、欠片も興味はない。時を止めたかのように、ただその姿で美しくあればそれでよいのだ」

「お前のようなつまらない男に、あの女はもったいない。この俺がいただく」

 ヨルダが食って掛かろうとするので、カリギリが制して言った。

「では、明日の戦いの取り決めを変更する。これから、我こそは、と思うものは名乗り出るがいい。そうして出てきたものの中から、明日に生き残った者を、天使を滅ぼすために生まれた女、セラ・フレイオルタを娶る権利をくれてやる」

 すると、セームアルギリとヨルダが手を挙げた。この二人に敵わないと見るや、ほかの戦士達は押し黙ったままだったので、カリギリが辺りを見回すと、物陰から一人の男が出てくるのが目に入った。男は隣の女が止めるのも聞かずにカリギリの前に出て、言った。

「お前たちのような下種に、あの女は指一本触れさせん」

 セームアルギリが何者か、と問うので、男は言った。

「おれの名はトールディン。かつてカリギリと交わった女の、遠い子孫だ。今は亡き父母と弟の名に懸け、二人に戦いを挑もう」

 戦士たちは大いに沸き立ち、カリギリはトールディンを認知した。セームアルギリとヨルダが嘲り笑う中、タナウスが前に出て行った。

「その勝負、私も噛ませてもらおう。祭りは多くいたほうが楽しいだろう」

 タナウスは哄笑するセームアルギリに目を向けた。その目つきが射殺すばかりであったので、周りの戦士達は恐れおののいた。しばらくしても場は沸き立つばかりで誰も前に出てこなかったので、カリギリは手を挙げて言った。

「では、我が息子たちよ。明日の戦いに励むがいい」

 こうして、トールディンはカリギリの落とし子たちとセラをめぐって戦うこととなったのだった。

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