ハドメル書:第三節

 ハドメルの区画にやってきてから三日目、人々はイヴリスに率いられ、区画の中心にそびえるハドメルの塔を目指した。左右を山の賢人とトールディン、イヴリスの選び抜いた精鋭が守り、後ろをセラが「矢のない弓」を持ってハドメルの遣わしたを狙い澄ました。

 行軍は夜になるのを待って決行された。ハドメルの達が日の光を浴びて動くことが、イヴリスたちに分かっていたからだった。道すがら、伝道師や人々の意識が乗り込んだ、狩人と呼ばれるの姿が一つも見えないことから、イヴリスの率いる民は感嘆し、その瞳を期待に輝かせた。

 すると、宙にハドメルの姿が現れ、轟く声で言った。

「我に抗う人の女よ、全て無駄と知るがいい。お前はセラ・フレイオルタを光明と呼んだ。だが、いかにか細い光を掲げたところで、夜の闇はたとえ月でもかき消せるものではない」

 ハドメルの笑い声が轟く中、セラは「矢のない弓」を構え、言った。

「ならば見るがいい、ハドメル。これは、人の命を軽んじる無明を焼く、闇すら打ち払う光明よ!」

 セラが空へ放った光の矢は、太陽と見紛う程の明るさを持って地を照らし、その後雨となって降り注いだ。人々が気づかぬうちに忍び寄っていた、数え切れないほどのたちを光が穿った。

 ハドメルは言った。

「なんと。これでは我も競いたくなるではないか。そうであろう、皆?」

 宙に映された人々が呼応し、声を上げるのを聞くと、ハドメルは両手を広げて続けた。

「今日のことを記念して、お前たちには銀翼火鳥ぎんよくかちょう金爪竜人こんそうりゅうじんを遣わそう。さぁ、皆の者、その意識をに身を任せ、この祭りを全力で楽しみたまえ」

 人々は空を見た。

 銀翼火鳥が震えるような轟音を立て、空を裂き、火花を散らし、その翼に炎を纏わせて急降下した。

 人々は炎に身をこわばらせ、地を見やった。

 黄金に輝く爪と毒々しい緑の鱗を全身に纏ったが、きしむような耳障りな音を立てて、並び立って歩いてきた。鋭い牙が数え切れないほど並ぶ口があまりにも大きく、そしてひどく裂けているせいで、目は頭の左右に追いやられてしまっていた。目は濁った夕日の色をしており、それに睨まれた者は例外なく、憎悪と恐怖の入り混じった感情を抱かずにはいられないほどだった。

 セラは、ハドメルの遣わした異形の達を迎え撃とうとしたが、その数が多く、強靭で、また守らなければならない人々の数が多かったので、逃げることとした。だが、それでもイヴリスの精鋭の三分の一が、銀翼火鳥と金爪竜人の餌食となった。トールディンはたまらず彼らを助けようとしたが、山の賢人が止めた。

「堕天使め、余計なことをするな。この俺に、人が死んでいく様をただ見ていろと言うのか」

「あの達は天使の肉を纏っている。いくらを持っていようと、今のお前にできることは何もない。かつて天使達は、陸と海から生み出されたモノより優れて在れと生み出された。故に、天使の核となる珠を持っていれば、怪物たちに打ち勝つことが出来る。

 だが、あの達は、陸の恵みから生み出されたものでありながら天使でもある。それが数え切れない程いるということが、どれほど脅威か。分からないお前ではないだろう」

 トールディンは己の非力を呪い、人々を護り、逃げることに努めた。山の賢人は言った。

「何もできないのは私も同じだ。に病は効かぬ。魔術もこの数を相手取るには役には立つまい」


 そうして走るうち、彼らは区画の中心に建つ塔へたどり着いた。血色の悪くなった血管のようなものが壁と天井を覆いつくし、獣の唸るような音が絶えずどこからともなく聞こえ、腹に響くようであった。

 セラは言った。

「ハドメル、見ているのでしょう。姿を見せ、次の演目とやらを告げなさい」

「我が中枢塔への到着を称えよう。先ほどの狩りの演目ではもう少し数を減らす予定だったが、存外に生き残ったものだ。イヴリスのみでは無駄に戦わせていたか、戦わざるを得ない状況になっていただろうが、セラ、お前の登場によって彼らに余裕ができた」ハドメルは高らかに笑って続けた。「セラ・フレイオルタはまさしくお前の、そして私の光明でもあった」

 イヴリスが、「お前の光明であるものか」と言うので、ハドメルは答えた。

「一方的になっては面白くない。遊戯にならない。そうなれば、我のこれまでの用意は全て無駄になる。だが、それは取り越し苦労だったようだ」

 宙には数多の人々の姿が映され、ハドメルと同じようにイヴリス達を称えた。そして、ある一組の男女が言った。

「イヴリス、我らが娘。私達は誇らしい。ハドメル様の考案なさった遊戯にここまで貢献できる娘になったことが」

 イヴリスは言った。

「父よ、母よ。私はこうして、あなた方を救うためにここまでやって来たのに。なぜそんな事を言うのです」

「我々があの日、お前の目の前で伝道師に握りつぶされたことは無駄ではなかった。全てはこの日のため。これが、脚本だったのでしょうか?」

 呆気にとられたイヴリスの表情を愉しむように、ハドメルの姿が映し出され、声が轟いた。

「次の演目などないのだよ。しいて言うならば劇だ。だが、我の書いた脚本は既に進行している。あぁ、そうだ。次の演目は謎解きにしよう。答えは簡単だが、そんなことはどうでもいい。さて、イヴリス。答えたまえ。我の脚本はいつから始まっていた?」

「私の、生まれた時……いや、私の、生まれる前からか」

「その通りだ。では、次の問いだ。お前の生い立ちについて、父母から何を聞いた?」

「私は、塔のたもとに捨てられ……それを父と母が拾った」

「お前がそこにいる女の胎から生まれたのではないとすると、さて、お前はいったいどこから来た?」

「分からない、答えたくない」

「ほかの人間どもと大した違いがないはずのお前が、今日までなぜ生き残ってこられたと思う」

「運が良かったからだ」

「では、なぜ運が良かったのであろうな?」

「いやだ、答えたくない!」

「我はその答えに満足した。では、見るがいい。お前を産み育てた胎の姿を」

 壁が唸りをあげて開き、中には蛍のようなほのかな光を放つ液体に満たされた、人の丈ほどはあろうかという硝子の管が何本も並んでいた。その中には、イヴリスと瓜二つの顔をした女が入っていた。

 イヴリスは言葉にならない声を上げ、動かなくなった。ハドメルは言った。

「イヴリス。我に歯向かうよう作られた女よ、脚本はここに結実した」

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