星伐記:マイア書

マイア書:第一節

マイア書:第一節

 ハルミラの区画を出る時、セラは問うた。

「次の区画は、誰が管理する区画なのでしょう」

 山の賢人は答えた。

「かつては私が管理していた区画だ。だが、今はシトーリュカが管理していると聞いている」

 トールディンがシトーリュカについて問うたので、山の賢人はセラの故郷に起きたことのあらましを語ってやった。老王ギメルを夢に狂わせ、セラの母であるクシュを二つに裂いて殺させ、人々に屍操蛞蝓しそうなめくじを植え付けて国を滅ぼした天使のことを聞くと、トールディンは憤然とした。

 山の賢人は言った。

「ゆめ気を付けることだ。あれの管理する区画はまともではないだろう」

 セラは言った。

「それでも、私のやることは変わりません。あの天使が持ち去った、母の遺体を取り戻さなければならない」

「では、早々に次へ向かうがよかろう。ついてくるがいい」

「天使がいる方向とは異なるようですが。先には何があるのです」

「広くなった都を行き来するため、ハドメルはいくつかの方策を考えだした。場所と場所とをつなぐ転移門てんいもんはその最たるものだが、あの門は決まったところにしか飛べない故、先へ向かうのであれば使うべきではない」

 山の賢人は、大きな塔の中へセラとトールディンを招き入れた。そこには一隻の船があり、その側面には虹に輝く薄い羽根が備えられていた。その丈は、夜明けの地面に映る人影の半分ほどであった。ハドメルは、かつてこれを虹翼舟<>

「これであれば、都を行き来するのに不便はあるまい」

 トールディンが「せっかくの舟だ。名前を付けようじゃないか」と言うので、舟はこの区画の主にちなみ、ハルミラ号と名付けられた。さらに、三人は役割を決めた。こうして、舵を山の賢人に委ね、セラを主砲に据え、トールディンは見張りの役を務めることが決まった。


 ハルミラ号は、虹の翼をはばたかせると静かに宙へ浮き、半日の後、一行をシトーリュカが管理する区画へ運んだ。山の賢人は船を区画の外に泊め、他の二人と共に下りると、短い呪文を唱えた。すると、ハルミラ号は自ずとその船体を折りたたみ、やがて山の賢人に一枚の虹の羽として舞い落ちた。

「これがあれば、いつでも船を出すことが出来る。泊めておいたところを狙われる心配もない」

 トールディンとセラは、都の技術に驚嘆した。


 門から中へ入る際、セラ達は目眩めまいを覚え、意識に霞がかかった様な感覚に襲われた。彼女は、それをニアタの仕業と思った。

 足を踏み入れたシトーリュカの区画は、通りの景色、建築物の様式、賑わい、匂い、肌を照る陽の光、一から十までがフレイオルタそのものであった。セラは目に涙を浮かべ、山の賢人は顔をしかめた。トールディンは悪趣味となじった。

 一行はそれぞれ、この区画の主の居所を訪ねて回った。

 セラは近くにいた町人に問うた。

「ここを管理する天使はどこにいますか」

 町人は大いにセラを訝しみ、何も答えることなく去ってしまった。さらにもう一人、また一人と同じことを訪ねたが、結果は同じであった。セラが戸惑い、木陰で休んでいると、一人の少年が話しかけてきた。

「天使はどこだ、って聞いて回ってる変な人って、お姉さんのこと?」

「そうね、なぜ私だと分かったの?」

「夜明けの日差しみたいに綺麗な人だって聞いたから」

 セラは顔を赤くした。少年は続けた。

「天使なんか、いるわけないよ。だって、ギメル様が守ってくれるもの」

「父上が……?」

「お姉さん、やっぱり変な人だ。ギメル様には、王女様はいないよ。代わりに、王子様が何人もいるんだ。それで、ギメル様は王子達と一緒に、堕天使と怪物の軍勢を何度も追い払うんだよ」

「母……クシュ様は?」

「お妃様なら、王宮にいるはずさ。王様とお妃様は愛で結ばれているだけじゃなく、互いに助け合っているんだ」

「それはどういうこと」

「お妃様が天使の軍勢を予言して、ギメル様が迎え撃つ。どうだい、完璧だろう。あぁ、あそこを見てごらん」

 大通りに、けたたましい喇叭ラッパと重く沈むような数多の足音が鳴り響いた。王子達と兵を引き連れ、先頭を馬に乗って行く姿はまさしく王のものであった。だが、その姿があまりにも若かったので、セラにはかの王がギメルとは結び付かなかった。

 少年は言った。

「お姉さん。これからどうするつもりなんだい」

「共に来た仲間がいるの。これから……会わなくては」

「そう。また、会いたいな」

「私はセラ。あなたの名前は?」

「僕は、セルカ。よい旅を」


 セラは他の二人と落ちあい、セルカから聞いたこと、大通りで見たことを余さず話した。一行は口を揃え、この区画で見たことの全てをシトーリュカの見せる夢と断じた。

 山の賢人は言った。

「この夢は全てがギメル王を中心に据えられている」

 トールディンは言った。

「なら、ギメルとやらを倒せばこの夢は覚めるわけだ。セラ、その役目は俺に任せておけ」

 セラは、首を横に振った。

「その気持ちだけで、嬉しい。けれど、これは私の使命なのです」


 同じ頃、王宮で妃が声を上げた。

「あぁ、愛しい人! この都に恐ろしいものが入り込んでおります。どうか、どうか、その首をここへ!」

 ギメルは答えた。

「おお、クシュよ。また先見さきみをしたのだな。その者たちの名前と、人相を教えておくれ」

「あぁ、恐ろしい――あの者たちはこの都を滅ぼすためにやってきた災厄そのもの。トールディン! マイア! セラ!   さぁ、ここへ三つの首を並べ立てるのです!」

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