星伐記:ハルミラ書

ハルミラ書:第一節

 トールディンと共に行くようになり、ひと月が過ぎた頃のことだった。セラ達は天を突くような塔が並び立つのを見上げた。それは、セラが生まれた時から感じていた、堕天使の都の姿であった。

 セラは問うた。

「ここから一番近い区画は誰が管理しているのでしょう」

 トールディンが答えた。

「ハルミラという堕天使だ。享楽を司ると聞いたが、俺が聞いた限りでは怠惰という印象が強い」

「怠惰?」

「本当かは知らんが、五百年もの間、特にこれといったことをするでもなく過ごしていたらしい。ハルミラではない、他の堕天使が管理している区画が一番近ければ、俺が取り仕切っていたあの場所も、長くはもたなかっただろう」

「ハルミラには、人の住む地を征服するといった使命がないのでしょうか」 

 これには山の賢人が答えた。

「アルゼラの同胞である六人に課された使命はもともと、定められた区画を管理するというものだ。征服といったあらゆる戦いはカリギリの領分だったが、セラも知っている通り、今の都で積極的に将として働いているのは、シトーリュカをはじめとした後から来た者たちだ」

「それでは、シトーリュカやこれまで出会った堕天使たちは皆、アルゼラの意志とは関係なく動いていると?」

「おそらく、自分の領地を得るためだろう。これまで得た土地はすでに、マイアを除いた最初の六人で分配されてしまっているからだ。とはいえ、ノアズノルの町のような狂気の沙汰を、アルゼラが許すとも思えないが」

 トールディンは問うた。

「山の賢人よ、あんたは堕天使どもについてよく知っているようだが、その知識はどこから来たんだ?」

「私はかつて生み出した秘薬によって長い時を生きている。堕天使の都から流れ出た技術のたまものだがね。そうして生きているうちに、堕天使のことは長い間連れ添った友のことのように知っている」

「では、奴らはなぜ空から落ちてきた?」

「自らの星の巡りを恨んだり、人に憧れたり、人を導きたがったり、あとはアルゼラを慕って落ちた奴もいた。ハルミラは、自身の与える享楽に耽る人々と共に生きることを望んだ」


 ハルミラの区画にたどり着いたとき、セラとトールディンは驚きと主に言葉を並べ立てた。

 都市は昼間だというのに薄暗く、それでいて、至る所から闇が駆逐されていた。煌びやかな装飾が随所に施された様はまるで、集めた宝石で都市を作り上げたかのようだった。肉や果物、酒の香気が一行の鼻腔をくすぐり、どこからともなく歌が聞こえた。

 セラとトールディンは戸惑い、恐れながら都市へ足を踏み出した。すると、辺りに並び建っていた小さな塔からいくつもの人影が現れた。二人は身構えたが、山の賢人が止めた。

「落ち着いて見るがいい。アレは見られるためにあるモノだ」

 セラが問うた。

「師よ、あれは何なのですか」

「ハドメルの与えた、人の形を持っただ。さあ、見るがいい。今に踊り、歌い出すぞ」

 少女人形はトールディンを上目で見、小鳥のようにさえずった。

「さあ、お兄さん。どんな舞がお好みかしら。わたくし、なんでも踊れますのよ。巫女のような厳かさも、娼婦のような淫らさも、乙女のような清らかさも、全てはお望みのままですわ」

 トールディンは顔を赤くして少女人形を遠ざけた。

 今度は、若い男の人形が鈴の鳴るような声で、セラに問いかけた。

「さあ、美しい人よ。どのような歌をお聞かせしましょう。天上の調べ、地の響き、古今東西あらゆる歌に通じておりますゆえ、きっとお気に召すものがありましょう」

 セラは故郷の子守唄を歌うように命じた。だが、少しも懐かしく聞こえなかったので、一節だけでやめてしまった。辺りを見回し、山の賢人はセラに問うた。

「ハルミラの気配はあるか?」

「この区画のどこかにいるということだけは分かるのですが、それだけです。私はどうかしてしまったのでしょうか」

 山の賢人が、天使の気配は幾つ感じるかと問うと、セラは、ハルミラとトールディンの首飾りの珠を合わせた数に一つを加えて答えた。

 山の賢人は言った。

「それはニアタの仕業だ。ハルミラの姿がまるで、霧の中にあるようにしているのだ」

 トールディンは言った。

「ならば、これから先も同じように気をつけなきゃならんわけだ。ともあれ、人を探そう。何か分かるかもしれない」


 一行は都市を探して回ったが、目につく酒場に人の影はなく、家々の門扉は固く閉ざされていた。そうして、一人の女を見つけるのに、三日を要した。

 女はの回らない口で言った。

「やっと話し相手を見つけた。ここの連中ときたら、ハルミラ様の与えた享楽に飽きて、マイア様の力で与えられた命を持て余して閉じこもってる。外には人っ子一人いなかっただろう。たまに、あたしのようなのが暇に任せて誰かを探すんだが、この有様じゃそれも叶いっこないね。人形に話しかけたってしょうがないし。それより、あんた達。見ればわかるよ、旅人だ。何か話をしておくれ。この百年の退屈も吹き飛ぶような話をさ」

 セラは言った。

「では、ハルミラがどこにいるのかを教えてもらえますか」

「いいよ。その代わり、かわいいお嬢ちゃん。あんたが話すのが先だ」

 セラはこれまでの旅を語って聞かせた。すると、女は笑って言った。

「堕天使を倒すと来たかい。それはハルミラ様も心から笑う冗談かもしれない」

「あの、冗談では」

「いいよ、行くがいいさ。ハルミラ様はずっと同じところにいる。そこは昔に起こったことを繰り返し見られるところでね、確か……ああ、いけない。酒のせいでこんなにも忘れっぽいんだから」

 山の賢人が言った。

「ご婦人よ、それは映画館ではないか?」

「そう、そうだ、映画館。ハルミラ様は五百年ものあいだ、ずっと、同じ作品を見ているのさ」

 一行は、映画館へ行くことを決めた。

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