星伐記:第八節

10.

 少女は、ノアズノルの言葉に従い、セラに刃を突き立てようとした。しかし、昨日のことが思いだされたので躊躇ためらった。

 そして、ノアズノルに問うた。

「どうか、他のことにしていただけませんか。他のことであれば、どんなこともしますから」

 ノアズノルは苛立って言った。

「黙りなさい。私はお前に、その女を殺して奉仕することを望んでいる。私はそのお前の愛に報い、愛を与えるの」

 少女は思い悩み、ノアズノルを射殺さんばかりに見つめるセラの顔を見た。そして、町を見て家族を思った。そして、腕を振り上げた。

 その時、不思議な風が少女の腕を捉え、刃がその手から外れた。そして、飛んだ刃はノアズノルの顔を裂いた。すると、それまで穏やかな美しさを持っていた顔は、仮面として剥がれて落ちた。そして、ノアズノルの顔は落ち着きのない、しわの刻まれた形相へと変わってしまった。

 山の賢人が現れ、言った。

「魔術も、案外うまくいくものだ」

 彼はさっそくセラの傷を癒すと、少女へと向き直り、その頬を平手で打とうとした。だが、セラが少女をかばったので、山の賢人は平手で打つ代わりに言った。

「あの堕天使と、お前が刺した女。どちらがよりお前を愛しているか、分からないわけではあるまい」

 すると、少女はセラにすがり、泣きながらに許しを請うた。

「私には、人が天使に勝つ様が思い描けなかったのです。それゆえに取り返しのつかない過ちを犯しました。私に出来ることならなんでも、命だって差し出してみせます。ですからどうか、罪深い私をお許しください」

 セラは笑って言った。

「この背に受けた痛みなど、家族を奪われたあなたの痛みに比べれば、どうと言うものでもないの。どうしても赦しが欲しいなら、また、私のことを姉と呼びなさい」

 山の賢人は言った。

「安心するがいい。君の姉に並び立つものなどどこにもいない」

 ノアズノルは穏やかな相の仮面の破片を拾い、自らの顔にあてがった。

「愚か者め、私の愛を拒むのか。愛の天使である、このノアズノルを拒むのか。呪われよ、呪われよ、呪われよ! ならばお前などもういらない。かつて町に迎えたお前の家族もいらない。私に必要なのは皆、私を愛するものだけなのに!」


 ノアズノルが空飛ぶ船を動かし、町の方へ逃げて行ったので、セラと山の賢人はそれを追った。その道すがら、セラは山の賢人に問うた。

「師よ、今まで何をしていたのです」

 すると、山の賢人は苦り切った顔で答えた。

「酔っていたのだ」

「は?」

 山の賢人曰く、「あの少女に拒まれてから、私はあの家の近くを歩いていた。すると男の苦しむ声が聞こえたので、その病を癒した。彼は礼として私に酒をふるまい、やがて多くの人が集まり宴となった。

 その中で、ある者が言ったのだ。ノアズノルが天使を殺した女を探しており、引き渡した者には寵愛を与えると。そこで私はもっと多くの者を飲ませ、ノアズノルなる天使のことについて聞くことにした。

 やがて皆を酔い潰し、私もあの家に戻ろうとした。ところが、床に転がっていた男に蹴躓き、頭を打ってしまった。私もいささか酔っていたのだ。そして目が覚め、あの家に戻ってもお前たちがいなかったので、急いで町へ向かった。すると、お前が刺されているのを見かけたのだ」

 セラは言った。

「もうすぐ町へ着きます」

「信じていないだろう」

「信じたくないだけです」

 だが、夜明けまで彼が現れなかった理由として、これ以上のものはセラには思いつかなかった。


 街へ着くと、ノアズノルの声ががどこからともなく聞こえてきた。

「見るがいいわ、この町に住むものは皆、私の寵愛を受けてここにいる。この者たちは皆、私への愛のために奉仕をしているの」

 この町の人々は、何も見えていないかのように、一心に働き、譫言うわごとのようにノアズノルの名を口にしては、虚ろな笑みを浮かべていた。

 セラには、この町のどこに愛があるかが分からなかったので、それを探そうと思った。そこで、「矢のない黄金の弓」を取り出すと、人以外の、目につく全てを焼き払った。

 ノアズノルは言った。

「私は、人の愛に憧れて堕天した。私が空の星であった頃、愛とは、私が地上の人間に、私でない誰かのためを想うための気持ちとして授けるものだった。故に、私は人から、私の与えたものを受け取ることを望んだの」

 いくら町を焼いても、愛が見つからなかった。そのため、セラは町の中心にあった宮殿を焼き払った。中には、多くの寵愛者を盾とした、ノアズノルの姿があった。

 ノアズノルは言った。

「愛を受けるために手を尽くしたわ。ハドメルから建築の技術を借り、ハルミラから娯楽の術を教わり、ヴァルドには最も愛されるための顔を作らせた。けれど、最後のものは要らなかったかもしれないわ。だってあの顔が無くなっても、この者たちは私をこんなにも愛してくれているのだもの」

 セラと山の賢人は、寵愛者たちの顔を見て眉をひそめた。その目は一様に潰され、腕と脚は細り、ノアズノルの寵愛なしでは生けていけないと思われた。また、セラはその中に、妹とした少女に似た顔を見出した。

 山の賢人は言った。

「あの者たちは私が何とかしよう。お前は使命を果たせ」

 セラは頷き、黄金の弓に矢をつがえ、天に放った。すると、ノアズノルの頭上から矢が放たれ、堕天使は燃え尽きて珠となった。


 セラがノアズノルを原動天へ送ったあと、山の賢人は町に住んでいた寵愛者たちを全て見て回った。愛が故に傷つけられた肉体はほぼ元通りとなったが、心の方はどうにもならなかった。

 町を去る間際、山の賢人はかの少女の家の方を見て言った。

「セラよ、お前が原動天に送った愛の星が、彼らの心を取り戻してくれるだろう」


 こうして、かの星が瞬くたび、人は誰かを愛し、慈しむ想いを呼び起こされることとなった。

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