星伐記:第四節

5.

 クシュ達が宮殿に帰って来てから数日経った頃、ギメルの夢枕に一人の男が毎夜訪れるようになった。

 男の背中には羽が生えていたので、ギメルには彼が天使であると分かった。男はシトーリュカと名乗り、夢を司る天使だと告げた。ギメルはシトーリュカに夢から去るよう命じた。だが、シトーリュカがセラと山の賢人のことを教えるというので、思わず耳を貸してしまった。

 一日目、シトーリュカは言った。

「セラという娘は、あの山の賢人が貴方の妻を孕ませて生まれた子だ」

その翌朝、ギメルは夢に見たことを頭から振り払うように努めた。その日の暮れ、山の賢人に笑いかけるクシュの姿を見てギメルは眠りについた。


 二日目、シトーリュカは言った。

「生まれた時から三つの年頃のあの娘が、七日七晩で十の年頃になったのは、山の賢人の力があってこそだ」

 ギメルは翌朝、薬を届けに来たセラとその横の山の賢人とを見比べた。

 セラは小首を傾げて問いかけた。

「お父上、どこかすぐれないところがあるのですか」

 ギメルは答えた。

「娘よ、この薬は誰が作ったものだ」

 セラは山の賢人を見て言った。

「我が師の教えを元に、私がお父上を思って煎じたものです」

 山の賢人は言葉もなく頷いた。

 その日の暮れ、ギメルはセラと山の賢人の顔を思い浮かべた。

 あの目元が似ている。あの眉が似ている。佇まいや表情が似ている。輪郭が似ている。

 物を思う内に気分がすぐれなくなったので、薬を飲もうとした。だが、手近にあったのがセラのものだったので、それを捨てた。すると、通りがかった虫が薬の一粒を食み、やがて苦しんで死んだ。


 三日目、シトーリュカが言った。

「貴方はかつて妻の不貞を否定したが、それはこの国にお前に並び立つものがいなかったからだ。横を見るがいい。そこにはあの青年がいる」

 その翌朝、ギメルはクシュに問いかけた。

「お前は、儂が若ければよかったと思うか」

 クシュは言った。

「愛しい人、貴方が老いていようと私の気持ちは変わりません。ですが、あの子の行く末を見る時間が少ないことを思うと、それは残念です」

 そこへ山の賢人が訪れて言った。

「王よ、私はかつて人を老いと死から解き放ったことがある。貴方がそれを強く望むなら、従おう」

 ギメルは昨夜に薬を食んで死んだ虫のことを思い出し、山の賢人の申し出を断った。


 四日目、シトーリュカが言った。

「見よ、あの三人を見る民の目を。まるで貴方のことなど過去のようだ」

 その翌朝、ギメルは昔のことを思い出していた。

 長年、フレイオルタの地を堕天使の軍勢から守ってきた。ギメルは戦士として優れており、老いた後は将としても優れていた。民はギメルを獅子のように猛々しく、勇敢な王だと称えた。

 その昼、ギメルは町へ出た。民はそぞろに手を振るか、張りのない声を上げるものが多かった。

 宮殿に帰った彼を、セラが笑顔で迎えた。ギメルの気がすぐれないのを見て取り、セラは竪琴か舞を披露すると言いだした。だが、ギメルはそれを退けて床に着いた。


 五日目、シトーリュカは言った。

「見よ、この軍勢を。皆、貴方の国を踏むためのものだ。さぁ、民に告げて戦の準備をするがいい」


 シトーリュカに見せられた堕天使の都の軍勢があまりにも恐ろしかったので、ギメルは飛び起きて兵士たちを集めた。

 しかし、魔術に優れたものが遠見の魔術を使っても、フレイオルタへ向かう軍勢が見えなかったので、兵士たちはギメルに問いかけた。

「王よ、彼に見えない軍勢がどうして貴方に見えたのですか」

「夢だ、恐ろしい軍勢がこの国を踏み荒らすのを夢で見たのだ。これは啓示である」


 六日目も七日目も、シトーリュカは同じ夢を見せ、ギメルは同じことを繰り返した。

 民は口々に、王は乱心だと囁いた。


 八日目、現れたシトーリュカにギメルは泣いて問いかけた。

「あの軍勢はいつになったらやって来るのです。今や私は哀れなほら吹きの老人です」

 シトーリュカはクシュが山の賢人と交わる姿を見せて言った。

「あの女はお前が狂ったとみて籠を乗り換えたようだ」

 ギメルは泣いて見ることを拒んだが、シトーリュカはそれを許さなかった。やがて、見たものの生々しさに、ギメルには夢と現の区別がつかなくなった。

 そして、シトーリュカに言った。

「あの男を国から追い出す術を教えてくれ」

 シトーリュカは言った。

「簡単なことだ。あの男の正体が、奴にとっての何よりの弱みなのだから」


 その翌朝、ギメルはクシュを捕らえて牢へ放り込み、その向かいに山の賢人を捕らえて放り込んだ。

 そして、宮殿の高き所に登り、民に向かってシトーリュカからもたらされた秘密を叫んだ。民は罵声を浴びせたが、ギメルにはそれが喝采に聞こえた。

 そのうち、民の声が不貞の妻を殺せという声に聞こえたので、ギメルは女を牢から出し、二つに裂いて殺してしまった。女の最後の言葉は、ギメルの耳には届かなかった。


 ちょうどその時、雷光豹が走るのと同じ速さで、堕天使の軍勢がフレイオルタの地へ達した。民は皆なすすべも無く捕らえられた。戦う者と逃げる者は屍操蛞蝓を植え付けられ、都へと歩かされた。

 セラと山の賢人はガイアラキが遣わせた怪物達に守られ、元いた山へと逃げ延びた。


 主人を失った宮殿の玉座に、シトーリュカが腰掛けて哄笑した。

「人の町を壊すなど、蟻の巣を突くより簡単なことだ」


 こうして、老いた王の嫉妬と狂気により、堕天使を五百年もの間退けてきた国は破れた。

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