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「寒っ……」

 買い物を済ませコンビニから外へ出ると、空はすっかり橙色とうしょくに染まっていた。冬になると朝は短くなって夜は長くなる。同じ場所にいるはずなのに、自分の中の体内時計がエラーを起こして、夏とはまるで別の世界にいるみたいだ。そういえば今書いている小説の舞台は秋だからこんなモノローグを書いてもいいかもしれない。

「……早く帰ろう」

 早足で来た道を戻る。暖房のかかった部屋でぬくぬくとウエハースを待ち続けているパシリ女に早くこれを届けなきゃいけないからな。俺、ちょー健気……。気分はさながらマッチ売りの少女。いや、雪は降ってないけどさ。女でもないしマッチも売ってなかったのでもう何もかもが違った。


 部室の扉を開けると、雪国であった。


 いやそんなことは当然なく、何故か霞音が居なかった。鍵はかかってないしパソコンは置きっ放しなのでトイレだろうか。……まあいいか、自分の定位置に戻ろうとする。しかしその瞬間、不意に俺の中の悪魔が囁く。……目の前には、霞音のノートパソコン。画面が開きっぱなしで放置されている。


「…………」


 足跡を殺してそれに近づく。画面を覗き込むと、テキストソフトの画面が開きっぱなしになっていた。

 部室の入り口に最低限の意識を向けながらその画面を覗き込む。66ページが表示されている。さっきの進捗から2ページほど進んでいるようだ。パソコンを操作し、最初のページまでスクロールさせる。

 ファイル名には『宇宙人とクリームパン』と表示されている。これがタイトルだろうか。今現在、霞音が新人賞のために執筆している原稿を見るのは初めてで、だからこそ好奇心が働いてしまった。


 初めて霞音の原稿を見たのは、今から一年前。まだこの文芸部が、執筆活動など行わず、読み専門の部活だった時だ。

 当時、俺は霞音が小説を書いてるなど夢にも思わず、この部室で延々とラノベを読み耽っていた。霞音も今とは異なり、パソコンを広げることなく、宇宙の景色が表紙となっている分厚いなにやら難しそうな本から、萌え絵が表紙を飾るラノベまで、多種多様の本を読むだけだった。


 ある日、俺はいつものように芽衣ちゃんに雑用に言い渡され、……一年の頃からパシリか。そんなこんなで部室に向かうのがずいぶん遅れてしまった日があった。

 その時も今のように、霞音は荷物を残し部室から消失していて、代わりに見覚えのないノートパソコンが机の上で異質な空気を放っていた。ネットでもしてたのかと思い画面を覗き込むと、そこにはテキストソフトの画面が表示されていた。

 それが霞音が書いたらしい小説であることに気づくのには余り時間を要さなかった。その時も今のように好奇心に奮い立たされ、霞音に無断で読み始めた。それは20ページほどの短編で、後から聞いた霞音の話では、校正している途中らしかった。


 主人公は、記憶を保ったまま人から転生した猫で、死に別れてしまった恋人の元に現れ、どうにかその心の傷を癒そうとするという。そんな話だったと思う。生き残ったヒロインの女の子がとても可愛くて、夢中で読み進める。そんな使命をもってしても、与えられた役は飼い猫などではなく「近所の野良猫」で、どう頑張ったって彼女の『大切』にはなることは出来ない。当然、以前のように近くで言葉をかけたりすることもできず、それでも必死に彼女に笑顔を届けようとする主人公の健気さには、思わず涙してしまいそうになった。物語も佳境を迎え、ヒロインとの僅かな繋がりを手にいれた主人公をあざ笑うかのようにその命に終わりが訪れる。

 主人公はヒロインを悲しませまいと、走って走って走り続け、遠くの地まで逃げていくまさにその時——、




「……なに、やってるの?」



 ——そう、その時もまさにこんな風に、部室に戻ってきた霞音にあっけなく見つかった。


「……っ……!! …………尋翼! 君!! ねえ!!!!!」


 霞音は、まるでスカートの中を覗かれでもしたかのように、顔を真っ赤にしながら俺に怒号を浴びせてくる。

「お、……おう。トイレにでも行ってたのか?」

 パソコンから迅速に離れて、なぜか両手を上げる俺。

「とぼけないの!! 勝手に人のパソコンのぞくなってあれほど言ったでしょ!!」

「ひぃい」

 こわい。

 霞音が右手で作った握りこぶしが今にも俺に向かって飛んできそうで、思わず頭を両手で隠す。

「ほんっと、サイテー!! なに考えてんの?!」

「ご、ごめんって、悪かった、悪かった!」

「悪いと思ったらやんな! 馬鹿! 馬鹿尋翼!」

 いつもの淡白はどこへやら、幼かったの頃へ後退したかのような言葉遣いの霞音。

「で、でもさ、どんなの書いてるか気になったっていうか……あらすじすら教えてくれないし……」

 肝心な原稿の中身だが今回は全然読み進められてないまま、霞音が帰ってきてしまったので内容があまり頭に入ってこなかった……。

「未完成なんだから読んでもしょうがないじゃない! 面白くもないし」

「いやいや! 面白い!! 途中まででもお前の作品ならさ! ほら! シリーズ物の小説だって言ってしまえば未完成だろ? だから多分面白い!」

「……っ……! いや! 面白く、ない!」

「いや! お前の小説は本当に面白いって! 俺なんかより全然! 最初の猫のやつとか超泣けたし! だから今回も楽しみすぎて魔が差したっていうか……」

「っ……! ……それでもっ……!」

「悪かったって! ほら、ウエハース買ってきたから機嫌なおしてくれよ」


 霞音にコンビニ袋を押し付けて自分の席に戻る。逃げるが勝ちだ。逃げれてねえけど。


「…………」

「なあ、ほんとに悪気はなかったんだよ」

「…………」

「霞音さ〜ん……」

「…………」

「…………」


 長い沈黙。


「…………奢りだから」

「……そりゃもう、当然です」

「……よろしい」

「ありがたきしあわせ」

 なんとか怒りを鎮めることができたらしい。俺の今日の昼飯より高いんだぞ、それ。たかがおやつのくせに……。


「んでさ、どんな話なのかもまだ内緒なのか?」

「……読んだんじゃないの?」

 霞音が不思議そうな顔で俺の質問に質問で返す。

「いんや、読み進めていく前にお前が帰ってきたから結局読めてない。タイトルと最初の方ぐらいしか」

「……そう」

 多分、安心したのだろう。声がいつものトーンに戻っていた。

「どういう話かぐらいは教えてくれてもいいじゃないか。ほらラブコメだとか、SFだとか、ミステリーだとか学園モノだとかさ。中途半端に見ちゃったせいで気になっちゃって手が進まないんだよ」

「全部自業自得でしょうが。はぁ……。……うーん、いうならば、セカイ系?」

 未知の単語が霞音の口から飛び出す。

「セカイ系……?」

「知らない?」

「初めて聞いた。どんなの?」

 そう尋ねると、霞音はウエハースが入った袋を開封しながら困ったような表情をする。

「うーん、どんなのだろ」

「は?」

「説明しづらい」

「どういうことだよそりゃあ」

「うっさい、君だってツンデレをしっかり言葉で説明しろって言われても難しいでしょ? そういうもんなの」

「いや金髪ツインテール」

「そういうことじゃない! 言葉でって言ったでしょ! 具体例を出せなんて言ってない」

 何の疑問もなく俺は即答したが、霞音が求めていた答えとは異なっていたらしい。

「ああでも……具体例なら出せるかも。……エヴァ、とか」

「なるほど………………どういうことだ?」

「それが説明できないから困ってるんでしょ」

 霞音はそう吐き捨てると青いパッケージから一口サイズのウエハースを取り出して、口の中に放り投げる。俺の400円……。とその時、部室のドアがノックされる。


「どうぞ」

 霞音が迷いもなく静かにそれに応答する。この部室に来客が来ることは大変珍しいが、来るとしたらほぼ一人しか思い浮かばない。


「邪魔するぞー」


 扉を開けて入ってきたのは想像通り、我が文芸部顧問の芽衣ちゃんである。当たり前だが、先ほどあった時と同じ格好、灰色のスーツに身を包んでいる。

「霞音、今日帰り遅くなるから先に晩御飯、適当に済ませてくれ、私はいらないから、ほれ」

 そう言って芽衣ちゃんは霞音に紙幣を手渡す。

「お金別にまだあるしいらないよ、……おやつ代浮いたし」

 霞音が含み笑いを俺に向けながら、芽衣ちゃんにお金を返す。この状況が教師と生徒の金銭の危ないやりとり。とかではなく、芽衣ちゃんと霞音は二人で暮らしている。霞音の父親は仕事の関係で単身赴任、母親は俺と霞音が小学生の頃に亡くなった。それからすぐ近所に住んでいた芽衣ちゃんが引き取って霞音と一緒に暮らすことになった。

「そうか、なら」


 素直にそのまま霞音からお金を受けとる芽衣ちゃんに、俺は質問を投げつける。

「なあ、芽衣ちゃん、セカイ系って何?」

「はあ? 何って、エヴァみたいなのだろ。っていうか学校では敬語をだな……」

「そういうんじゃなくて、具体的に説明が欲しいんだよ。その扉を潜ったら日本国憲法が通じない、よって校則も適応されない」

「ここは都市伝説に出てくる村かよ。……そういうことか、えーと」

 二重の意味で頭を抱えながら、芽衣ちゃんは続ける。ってか犬鳴村なんてよくわかったなこの教師。

「定義としては主人公とヒロインを中心とした小さな関係性の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、『世界の危機』『この世の終わり』などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと、だったかな。主人公たちの行為や危機感がそのまま『世界の終わり』にシンクロして描かれたりする。つまり、物語の舞台が学園や部活動などの小さな規模に収まらず、2人の行動や選択が国などの広い範囲あるいは世界全土全てを巻き込んでしまうことになるボーイミーツガールってことだな。エヴァの他にサイカノとかがあげられることが多い」

「そうそう、さすが姉さん」

 おい、説明できなかった癖になんでお前が得意げなんだよ。芽衣ペディアも同じように満足顔をしている。いつも思うが本当の姉妹みたいだな。

「どうしてそんなこと聞いたんだ?」

「霞音が今書いてる奴がそうなんだってさ」

「……ほう、そういう尋翼は何書いてるんだ?」

「えー……ラブコメ……?」

「なぜ疑問系なんだ……」

「そいつ、まだ話が固まってないの、もう4ヶ月もないっていうのに」

 なんでお前が答えるんだよ。しかしまったくめっきりその通りだ。方向性すら固まってない。

「ヒロインがロボットの女の子だったりしたら面白いかなーって思ってはいるんだけど」

「ありきたりだなあ」

 芽衣ちゃんが率直で純粋な感想を述べる。わるいかよ……。

「あり、きたり……」

 何故か霞音も俺と共に固まる。

「え?」

 俺と芽衣ちゃんが一斉に霞音を見る。

「私のヒロインもアンドロイドなんだけど……。ありきたりかな……」

「!! ……っ……そ、そんなことないぞ、いい題材じゃないか!」

「……おい」

 この妹贔屓おっぱいお化けめ……。

「でも、最近そういうの多いよね……科学も発達してきて、アンドロイドがテレビのMCまでする時代だし……」

「でもロボっ娘って結構人気じゃないか、最近はAIも身近な存在になってきたし」

「ロボっ娘が人気なのって、ロボットのくせに人間のように可愛いからだよね? じゃあまずロボットにする必要もないよね? じゃあ、なんで存在してるんだろうね? …………ああ、流行りに乗っかってるだけな気がしてきた……」

「い、いや、別にだってさ……」

 何か言葉をかけようとするが、うまく言葉が出てこない。

「じゃ、じゃあ私はすごーく! すごーく! 忙しいから仕事に戻るぞ!!」

 逃げるように文芸部から立ち去る芽衣ちゃん。……いや、比喩でもなんでもなくあれは逃げていた。

「うーん……」

 頭を抱えて机に突っ伏す霞音。これ、俺がどうにかしなきゃいけないのか……。

「そのなんだ……。物語は設定より中身なんだから、そこでいちいち気にしてたらしょうがないだろ」

「うーん……」

 再び顔を上げ、ディスプレイに向き合う霞音。

「…………ねぇ」

「ん?」


「……やっぱ読んで、感想聞かせて」


 長い沈黙の後、観念したように霞音が、絞り出すようにいった。

「あ、ああ……」

 幸か不幸か、原稿を読めるらしい。ラッキー、……なのか?

「今から、そっち送る」

「お、おう……」

 そういうと間もなく俺のパソコンの元にテキストファイルが送られてくる。俺がさっきまで盗み見ようとしていたそれは、あっけなく俺のパソコンにダウンロードされる。

「じゃあ、読むぞ」

「……よろしく」


 その瞬間、かなり盛大に腹の虫がなる。


「うげっ……」

 さすがに昼飯ケチりすぎたか。読むといった手前、今から食堂に食べ物を買いにいくのもなんか申し訳ない。

「…………食べる?」

 霞音がためらいながらも青いパッケージを差し出してくる。さっき買ってきたウエハースである。というかたまらなく嫌そうだ。うーん、ウエハース喉乾くからあんま好きじゃないんだよな。幼少期はおまけでついてくるキャラクターカード目当てで延々とウエハースを買っていたが、その約9割は妹の腹の中へと消えていった。押し付けていたともいう。

「ああ……サンキュ」

 しかし背に腹は変えられない。俺はありがたくその一口サイズのウエハース頂戴することにした。

「はい、そんなたくさん食べないでよ」

「わかってるよ」




 ————いや、『頂戴することにした」じゃねえよ。これ買ってきたの俺じゃねえか。



 しかし、そのウエハースは予想をはるかに超えるうまさだった。ウエハース特有の嫌なパサパサ感は、かなり多めに挟まれたバニラクリームのおかげでまったく感じず、ウエハースの部分が嫌に前に出てこない。まるでバニラ味の濃厚なチョコレートを食べているみたいだ。しかし、ウエハースのサクッとした食感だけはしっかり残っていて、本当にウエハースとクリーム、いいところだけが味わえる夢みたいなお菓子だった。狂ったように食べる霞音の気持ちが少しわかった気がした。400円……納得してしまいそうな自分が嫌だ。



 …………いやいや、今はウエハースのグルメリポートよりも霞音の原稿を批評しなきゃいけないんだった。もう一つだけそのウエハースを口に放り込むと、俺はパソコンの画面に意識を向けた。

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