第11話 アーシャの気持ち

 ハレー・クリシュナ寺院は街の中にひっそり溶け込んで建っていた。

  鈍子が車を止めるのとほぼ同時に、

          サンジープは車を降りて寺院に駈けて行った。

  その膝から放り出された形のブーミンは、

            にやにやとサンジープを目で追っていた。


  「ブーミン、私駐車場探すからブーミン追いかけてよ」

 子供とは思えぬ老成した口ぶりでブーミンは呟いた。

  「大丈夫、入る前に我に返るさ」

いつもながら、よくわからないことをいうブーミンに首を傾げ

          鈍子はとりあえず車を停めることにした。

寺院の扉の前でしゃがみ込むサンジープと、なだめることもせず

  中の様子をうかがっているブーミンを見てもまだ鈍子は分からなかった。

  「それが日本人の宗教観ってことさ」

ブーミンは自分も一応日本国籍なのを忘れたかの様な口ぶりで喋る。

 サンジープが寺院の扉にすがって呟く。

  「アーシャ、中に居るのなら出てきておくれ。

          それとも私のことなどわすれたのだろうか」

 鈍子はブーミンに呟く。

  「何故、中に入らないの?」

 ブーミンはサンジープの頭の白いターバンを指差した。

  「一目瞭然のシク教徒だから」

首を傾げる鈍子にブーミンはイライラする。

  「ハレー・クリシュナ寺院はヒンドゥ教の総本山の分家です」

 かわりに答えたサンジープの肩をポンポンと叩くブーミン。

  「そういうこと。替わりに中に行って探してきてくれ」

 またもブーミンに命令され、眼をむく鈍子。

  「言葉分かんないし、私どの立場でいくのよ」

  「下町のおせっかい気質で来たっていえば」


 ブーミンの無責任な励ましに勇気をもらい、

 おそるおそる寺院の扉を開ける鈍子。

  「ハロー」

 小声で呼んでも誰も出て来ないことに業を煮やし、少し大きめに言ってみた。

  「ハロー」

 今度は予想以上に天井に反響し、鈍子はギョッとして帰りかけた。

  「ドチラサマですか?」

振り向くとインドの民族衣装・サリーをきた太った中年女性が出てきた。

  「なっ、ナマステ」

慌てて思い出した唯一知るヒンディ語を使う鈍子。

 女性も「ナマステ〜」と手を合わせる。

鈍子は日本語でゆっくりと事情を話した。

 アーシャという女性を捜していること。その人は西葛西から行方不明になって恋人が懸命に探していること。

 女性は静かに聞きながら悩むような仕草をした。

  「ティケ、オーケー。エーク・ミニット」

 女性は奥に入るとまたロビーには永遠の様な静けさが広がった。

 鈍子は不安になって後ずさりし、扉を少し開けた。

 途端に表の喧騒が耳に入ってきてホッとする。

 ブーミンが鈍子に寄って来た。

鈍子は、目線を女性が消えた奥から離さないまま、小声でブーミンに伝えた。

  「オーケーって言った気がしたんだけど、

          エクミニットって言って奥に入っちゃったの」

  「それはちょっと待つ意味です」

サンジープもブーミンの脇から小声で参加する。

  「だから私だけに言わせるの無理だって」

  「こういうことは鈍臭い奴が行った方が警戒されない」

  「そりゃ私は鈍臭いけど、ブーミンは胡散臭過ぎでしょ」

 三人でごにょごにょ話していると、

       女性が真っ赤なサリーをまとった若い美人を連れてきた。

 若い女性は鈍子に近寄ると、「あなた、誰と知り合い?」と警戒して尋ねた。


  「サンジープって人となんだけど、もしかしてアーシャさん?」

 ブーミンが絶妙のタイミングで扉を開け放つ。

 サンジープのよれよれにやせ細った姿を認めるとアーシャは「タウバー!」と天に向かい祈りの仕草を見せる。

 アーシャはサンジープに駆け寄り、手をとって涙を流した。

 鈍子はブーミンに囁いた。

  「あれっ外国人ならここで強くハグするんじゃないの?」

 アーシャを連れてきた女性が厳かに言い放つ。

  「インドでは公共の場で男女が手を繋いだりもしません。

            アーシャはあれで精一杯再開を喜んでいるのですよ」

 帰り道はアーシャも増えたので完全に定員オ—バ—だ。

  「堅いこと言うな」というブーミンの一喝で座り位置が決まった。

 助手席にアーシャ、荷台にアーシャの荷物を2人で守るということで  

                  サンジープとブーミンが乗った。


  「3人なら全員前に座れるのに、鈍子が邪魔で済まんな」

 ブーミンに謝られたアーシャは微笑んで頷く。

  「ちょっと!運転免許持ってるの私だけなのに何その言い草」

 鈍子は毒づきながらブーミンの毒舌に大分慣れて来たらしい。

  「帰ろう、鴬谷に」

 左前から夕日が照らす中を軽トラは走った。

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下町こんしぇる 凧原 規容子 @pan-comido02

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