26 殿下、気の毒になってきました

 今日はリアムのお風呂当番をノアにした。

「説明は受けたけど、実践はまだ無理! 見てて、やばかったら言ってよソフィア様ああああ」

 って言うから戸口で見てることにした。

 言っとくけど、ノアには海パン着用してもらってます。

「脱衣所寒くないか確認。着替えも全部用意した?」

「えーと、袖も通しておくんだよな?」

「表裏逆。ベビー服は縫い代が表よ。今日は着替えあたしが選んできたけど、明日からはこれもやってもらうからね」

「……ハイ。ご指導よろしくお願いします……。この上にもバスタオルだっけ?」

「そう。リアム脱がせてオムツ取って、体洗って。頭から優しく洗うのよ」

 力加減が分からないノアは力入れないよう必死。

「うおおおおお、首のシワの間すげー垢とれる。これ首すり減ってなくならない?」

 消しゴムか。分からないでもないけど。

「なくならないわよ。しっかり洗ってあげてね。……あ、泣き出した」

 不慣れな男がやるもんだから、リアムが泣き出した。

 風呂場は声が響く。何倍にもなって反響した。

「う、うるさい……耳が。鼓膜が」

「赤ん坊の泣き声くらい、大したことないわよ。騒音と感じたら負けと思いなさい。ほら、湯船入れちゃって」

 お湯に入れると、びっくりしたのか泣き止んだ。

「泣き止むパターンでよかった。余計ギャン泣きする子もいるからね」

 その時はあきらめることだ。無心になって、聴覚を切り離す。

 あがって、体ふいてると気が緩んだリアムがじょー。

 ノアが悲鳴あげた。

「あああ、まだ着替え使ってないやつなのにいぃぃ!」

「よくあるよくある。こんなこともあろうかと、もう1セット持ってきといた」

 手早く隣に広げ、汚れたほうは丸めて洗濯籠。

 洗濯を人にやってもらえるのは楽だわー。

「あったかくて気持ち良かったんだねえ、よかったわねー」

「怒りもしないし、慌てもしないんだな、ソフィア」

「育児やってると大抵のことじゃ動じなくなるの。これくらいでキレてちゃ、やってらんないわよ」

 忍耐力はついたと思う。

 ていうか、何もわかってない赤ん坊相手に怒ってもねぇ。

 沐浴がんばってくれたから、風呂上がりの水分補給はあたしがやったげよう。

 自分も着替えてきたノアにリアムを戻し、今度はあたしはオスカー連れて風呂。四歳児を入れるのはだいぶ楽だ。

「さ、風呂上りは牛乳っと。はい、ノアとオスカーくんの分」

「せんせい、どうしてぎゅうにゅうなの?」

 言われてあたしもノアも首をかしげた。

「あ、これ日本だけの習慣か。小さい頃からなんでかそう言われてたよな」

「温泉とか銭湯行くと絶対飲むわよね。冷たくておいしいからかな? 別に嫌なら飲まなくてもいいのよ、こういうのは好みの問題だから」

「ううん、のむ。せんせいとノアおじさんってやっぱにてる」

「それはない」

 断固否定しといた。

 お風呂入って疲れたリアムはおねんね。

 オスカーには字を教えた。やっぱどっちも左利きだと楽で、もうかなりの平仮名が書けるようになった。

 この世界は日本の漫画家が考えたマンガだから、言語は日本語である。

「せんせいはおなじてつかってるし、おこらないし、いっぱいおはなししてくれるし、いろんなことやらせてくれるからすきー」

 膝に乗ったオスカーが甘えてきた。

 いい傾向だ。誰かに甘えられるのは。甘えることもできないのは悲しすぎる。

「ありがとう。でも、悪い事したらもちろん怒るわよ?」

「そりゃ当然だな。俺もソフィア好きー。甘えていい?」

「あんたは子供じゃないでしょうが」

 あたしより図体大きい成人男性が何をほざく。

「……体は子供になる薬ないかな。黒い組織、俺にも一錠くれ。小学生になって好きな子に甘えたい」

「本気で言ってそうなとこが嫌」

「別に俺は事件引き寄せたりしないし、サッカーボールも蹴らないよ。ああ、オスカーとサッカーならしてあげられるけど」

「サッカーならね。手を使うスポーツはあたしが相手したほうがいいかな。利き手の問題」

「あー、慣れるまではそのほうがいいかも。俺が対応できないもんな」

 オスカーがこしこしと目をこすった。

「眠いの? 先生によっかかって寝ていいわよ」

 今日はよくがんばったね。

「……うん」

 母親が恋しいんだろう。包みこんであげると、安心したような顔で寝息をたて始めた。

「まだ四歳だもんね」

 甘えたい盛りだ。

「ふふ、息子がいたらこんな感じだったのかな。娘しかいなかったから」

「なあ、それだけど―――未来の旦那さんや子供ってどんな人だったんだ?」

 あたしは驚いてノア―――光輝を見た。

 真剣で、どこか苦し気な顔してる。

「知らないの? 母親同士が知り合いだから、聞いてるでしょ」

 あたしたちは仲が悪かったが、家が近所だから卒業後も母親同士は付き合いが続いていた。

「聞きたくなかったから。未来が他の男と結婚したって知って辛くて、わざと転勤して逃げたし」

 それは初耳。

 単に会社のほうから言われた転勤だと思ってた。

「あんただって誰かと結婚したんだと思ってた。別にきかなかったけど」

「俺は生涯独身だったよ」

 向かいのソファーに座った光輝が後ろによりかかる。

「そりゃ彼女は何人かいたけど、未来が忘れられなかった。女々しいだろ、俺。でも未来の幸せを壊すつもりはなかったし、遠くから幸せを願えればいいと思ってた。子供が生まれたってのも風の便りに聞いただけだ」

 顔にはいつもの軽薄さもアホっぽさもない。ただ悲しみと後悔があるだけだ。

「……じゃあ……」

「要するに初恋の女の子が忘れられなくて、フラれてもあきらめられず、一生独り身で通したってわけ。情けないだろ? 最期まで一人だったよ」

 光輝が苦笑した。

 それは独身だったという意味か、それとも独りぼっちで死んだという意味か。両方か。

 ……そんな人生だったなんて知らなかった。

 てっきり光輝も誰かと家庭を持ったんだと思ってた。

 そこでおや?と思った。

「……ちょっと待って。あんた、あたしが本当に好きだったの?」

「だったじゃないし。過去形じゃなくて現在形だし。って、ええ? こんなに好き好き言ってるのに今さらそこ確認する?」

 あたしは頭をかいた。

「いつも不真面目だから、冗談だと思ってた」

 光輝はものすごい絶望した顔をした。

「うそだろおおお。いまだに信じてもらえてなかったのかよ。自業自得にしたってさ、俺もう十分罰受けたと思うんだけど……」

 丸まってどんよりしてる。

 めちゃくちゃ落ち込んでるなぁ。キノコ生えそう。

 さすがに気の毒になってきた。

 ……とはいえ、前世の家族ねえ……。

 あたしは長い溜息をついた。

 思い出したくないことも、あるんだよな。


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