9 寝かしつけは戦争だ

「はい、では育児の勉強三時間目。寝かしつけです。これは一日のうちで最も難関かもしれません。疲れてる体に鞭打って挑まねばならぬ、最後の要塞です。自らの睡眠のために、持てる力の全てを振り絞って挑むママたち……。涙を禁じえません。あたしもどれほど苦労したか。あいつやってくんなかったし。―――ってわけで、覚悟はできたわね、ノア」

「……ハイ、先生」

 すでに寝てるリアムは左、あたしが真ん中、オスカーは右。ベッド広いから、予想通り女性一人子供二人余裕で入った。

 ノアは横に椅子持ってきて、背もたれをこっち側にし、それに寄りかかるように座ってる。

「今日はまだマシよ。リアムもう寝てるもん。赤ちゃんの寝かしつけは大変でねぇ」

「部屋暗くすれば寝るんじゃないのか」

「認識甘すぎ。何時間も奮闘することもあるのよ。よく言うのは抱っこでゆらゆら、布団に入れてトントン。ただ、抱っこゆらゆらは夜中は大変。中には近所迷惑って苦情言われて、やむなく車に乗せて深夜ドライブ。寝たら戻ってくるって話も聞いたことある。ベッドに移動しようとすると起きるんだよね」

「うわあ……」

「負担が大きすぎる方法はやめたほうがいいと思う。先に大人がつぶれるから」

 ある程度大きい子供がベッド以外で寝た場合も大変よ。運ぶのが。

 経験上20キロ台ならまだいける。30kg越すと腰が死ぬ。

 あたしはオスカーを見て、

「オスカーくんのママはいつも寝る時どうしてた?」

「あたまなでてくれた」

「そっか。優しいママね。先生も見習おうかな。明かりはどうだった? 暗くしてた?」

「ちょっとくらかった。まっくらはやだ。こわい」

「うん、先生も恐いなぁ。ちょっと暗くするだけにしよう」

 ほんの少しだけ明るさを落とす。

「寝る時部屋を暗くするのは基本ね。あとは『これやったら寝るよ』って習慣を作っとくといいって言うわ。あたしが小さい頃は、母親が本読んでてくれたわね」

 前世の話。

「いいお母さんだな」

「でも、薄暗いとこで読むと目が悪くなるのよ。それであたしはソラでお話してたわ」

「ソラで? すごいな」

 ノアが目を見張る。

「保育士ってそんなスキルも必要なのか」

「いや、これは単にあたしが覚えてただけ。過去の遺産ね。毎晩本読んでもらってたから、覚えちゃったのよ」

 子供の記憶力ってすごいよね。

「さて、どれにしようかな。選択肢多すぎて、迷っちゃうのが玉に瑕……」

「迷うほど覚えてんのか」

「日本と世界の合わせれば、軽く百はいくよ」

「すげえ! マジで?!」

 そうでもないよ。

「短い話も合わせてだもん。千夜もたせたシェラハザード姫にはとても敵わないわー」

「誰それ」

「『千夜一夜物語』……『アラビアンナイト』のヒロイン。千日間毎晩ずーっと王様にお話ししてたの」

 自分が殺されないようにとはいえ、それだけ話集めてがんばったのすごい。

「そんなわけだからオスカーくん、リクエストあったら言って? たいていのお話ならできるよ」

「……んー」

 急に言われてとまどってる。ノアが助け船、もといムチャぶりした。

「エジプトのお話とかできる?」

「…………」

 あたしは眉間に指あてて考え込んだ。

「あ、やっぱ無理か」

「……えー、エジプト神話で有名なオシリス神。兄弟がいたんだけどケンカして……あ、これ駄目だ。やめといたほうがいい」

「できんの?!」

「うろ覚えだけど。確か兄弟の名前がセト。あれかな、戦う前には決闘って叫んだのかな」

「またこっちの人間には分からないボケを」

「もっといっぱいあったんだけど、忘れちゃった。とりあえず外国の有名どころで楽しい話にしましょうか」

 三匹のクマ、大きなかぶ、金のがちょう、はだかの王様、シンドバッドの冒険、ブレーメンの音楽隊……。

「まだあるけど、どれがいい?」

「どれでも。俺、そのうちいくつか覚えてないよ」

「せんせい、それぜんぶおはなしできるの?」

 この世界にはない童話がけっこうある。狙い通りオスカーはくいついた。

「もちろん。じゃ、まず男の子に人気の冒険のお話にしようか」

 シンドバッドの冒険。ピーターパンも男子ウケがいいんだけど、両親が出てくるから今日はやめとこう。

 『長靴をはいた猫』や『マーシャとくま』も思いついたけどやめた。「親が死んで遺産に猫を相続した」から始まるのや、祖父母と暮らしてて両親は?の話はしないほうがいい。

 続いて『金のがちょう』。手がくっついてとれない、ってとこでオスカーに真似っこしたら喜んでた。

 それから『大きなかぶ』。定番中の定番。たぶんほとんどの人が覚えてるでしょう。

「やっとかぶは抜けましたー。このカブどうしようか。料理して食べちゃう? もぐもぐもぐ~」

「もぐもぐ。おなかいっぱいだぁ」

「うん、お腹いっぱいで眠くなってきたね。オスカーくんもおねんねしましょー。明日もまたお話してあげるからね」

「ほんと? やったー」

 頭なでなでしてたら、やっぱり疲れてたからか、比較的すぐ寝た。

「おおお、すげー」

 ノアが音を立てずに拍手してる。

「いやいや、布団かけて十秒トントンで寝かせられる先生いるから。すごいよ、いるところにはプロフェッショナルがいる。眠りの魔法とか使ってないのにね」

 とても真似できません。あの技は。

「子供寝かせるのに魔法は使いたくないな」

「でしょ。さーて、あたしも寝るわ。どうせ夜中、リアムに何回か起こされるだろうし。この月齢じゃ、夜中の授乳必要だもの。慣れないとこではなおさら泣くし。ミルクとオムツはすぐそこのテーブルに置いた。よし。おやすみ」

 ヒラヒラ。

 さっさと行けとばかりにドアの方に手を振る。

「ソフィア~。せめて奥さんの寝顔堪能したいよう」

「キモイ発言は控えなさい。行かないと物理的に追い出すわよ」

 ノアはしぶしぶ出て行った。

 お前が子供か。

「ふー、これで寝れる」

 赤ちゃんいると、寝られるときに寝るは鉄則だ。

 夜中四回授乳や、深夜二時間泣きやまなかったことだってある。

 慣れたもので、あたしはすぐ眠りに落ちた。

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