5 王子様、次はミルクあげてもらいます

「さっき飲ませてなかったっけ?」

「どらくれい前に飲ませてたか分かんないから、少ししかあげなかったのよ。足りなかったのね」

 消毒液に漬けてる哺乳瓶を指す。

「そのケースから哺乳瓶取って。素手つっこんじゃダメよ。トング使って」

「これ、消毒中ってこと?」

「そう。消毒してない哺乳瓶は使わないこと。こういう液体消毒とレンチンの二種類方法があるわ」

 こっちの世界にも電子レンジみたいな家電がある。薬剤を入れた専用のケースに入れ、レンチンすれば完了。

「うちの保育所では併用してるけど、ここじゃレンチンはできないし。それで液体消毒タイプを借りてきた。あと、夜間はレンチンおすすめしないわね」

「何で」

「赤ん坊の頃は夜中何度も授乳しなきゃならないわけだけど、その度に台所行ってレンチンとかやってられると思う?」

「思わないな」

 でしょ。

「そのまま粉ミルク入れて」

「洗わなくていいのか?」

「消毒薬につけてた医療器具をわざわざ水で洗って使う医者がいる?」

「……いないな。理屈は分かった。どれくらい入れりゃいいんだ?」

 粉ミルクの缶に書かれた説明書きを指す。月齢に応じた量が書かれており、中にある専用スプーンで規定量すくえばいいだけだ。

「缶に書かれてるできあがりの量までお湯入れて、フタをする。お湯はほら、調乳ポット借りてきたから。閉める時はコツがあってね。ぎっちり閉めるんじゃなく、ちょっとだけ緩めて」

「こぼれない?」

「ほんのちょっとでいいの。そうすると空気穴ができて、スムーズに飲めるから」

「こぼしたらまずい。確認して」

 うん、大丈夫。

「このままあげちゃダメよ。流水で冷まして。って言っても、この部屋水道ないわよね。魔法で人肌程度まで冷まして」

 ノアは何回か弱く氷魔法を使って冷ました。

「ひ、人肌ってどのくらい? よく分かんない」

「手首に一滴垂らしてみて、ほんのりあったかければOK。うん、これでよし」

 リアムを抱っこさせて、

「さ、あげてみて。えーと、ノアは右利きだからあたしとは逆がいいのかな?」

 人から言われるまで気づかなかったが、元左利きのあたしは普通の人とは色々違うらしい。

 世の中の左利きはちっともそんなこと意識してないよ。言われて初めてビックリする。

 リアムはおいしそうに全部飲んだ。

「飲ませたら、ゲップ出させる。縦抱きにして、頭をちょうど自分の肩にのっけるといいわ。よく背中をトントンするといいって言うけど、あんたじゃ力加減できるか分かんないし、もっといい方法がある。背中を下から上に優しくさすって」

「こ、こう?」

「うん。何回か試してみて」

 げふっ。

「あ、出た」

「……赤ん坊のゲップってもっとかわいいもんだと思ってた」

「ミルク飲んだ時に一緒に入った空気が抜けるだけよ。これやらないと吐きやすくなる。あんた、さっきから思ってたけど育児に夢見すぎ。現実はこういうものよ」

「うーん……ソフィアと結婚して子供できて育てる妄想なら何万回もしたんだけど。イメトレが足りなかったか」

「キモっ!」

 本気でドン引きした。

「キモくない! 男の純情だ!」

「いい顔で言っても評価変わんないから」

 後ろで侍女たちが「殿下は本当にソフィア様がお好きですねえ」とか「微笑ましい」とか言ってるけど無視しよう。

「ゲップ出なくても、無理しなくていいから。ただそのままじゃ吐いた時に窒息して危ないんで、これ使って」

 フェイスタオルを丸める。

「これを背中左右そっちでもいいから下に挟んで寝かせるの。そうすると体が斜めになるでしょ? のどに詰まらないようにするため。タオルならどの家庭でもあるし、汚れても惜し気がないからね」

 実際やってみせる。

「少なくとも自力で寝返りできるようになるまでは、ゲップ出なければ必ずやっといて」

「寝返りもできないのか」

「大体の目安として、首がすわるのが3,4か月。寝返りが5か月。お座りが6か月。7か月くらいでハイハイ、つかまり立ちが9か月で伝い歩きが10か月。歩くのは一歳過ぎって子もよくいるわ。これはあくまで目安であって、個人差があるから参考程度にね」

 その月齢でできなくても気にしないこと。「ああ、この子はのんびりさんなのね。まだまだママに甘えたいんだな~」ってくらいでちょうどいい。

「それから逆に絶対やっちゃいけないのがうつぶせ寝。これ本当に死ぬから」

「あ、そう言えばニュースで聞いたことがあるな」

「窒息して死ぬよ。寝返りできるようになるとうつ伏せになってそのまま寝てる子いるけど、必ず元に戻しといて」

 ノアは真剣にうなずいた。

 お腹いっぱいになったリアムはごきげんだ。

「あんまり泣かなくていい子ねー。ママじゃなくても平気な子か。赤ちゃんによってはママじゃないとやだ~!ってギャン泣きする子もいるのよ」

「ソフィアはプロじゃん」

「いや、泣く子いる。うちの保育所にはどんな子でも泣かれないすごい先生いるけど。でもやっぱり本当のお母さんには敵わないわ。せめてお母さんの服一着でも残ってるといいんだけど……」

「……無理だな」

 ノアが沈痛な面持ちになる。

「オスカーは両親が死んだってこと分かってるの?」

「ああ。俺と兄上が説明した。まだ四歳だからどこまで分かってるか謎だけど、嘘はつきたくなかった」

「……そうね」

 残酷かもしれないけど、いつかは知らなければならないこと。近親者がそうと決めたなら、部外者が口をはさむのはよそう。

「俺たちは何回も会ってるから、オスカーも叔父だって分かってるし、信用はしてくれてると思う」

「信用できる大人が傍にいるだけでもだいぶ違うわ。あんたを信用していいものかは謎だけど。今日の夕食はここに運んでもらいましょ。それからお風呂入って早めに寝かせ……あ、あたしの着替えがない」

 ちょうどその時、うちの使いのものが来た。知らせを受けた母が当座必要なものを送ってくれたようだ。助かる。

「そういえばまだ制服のままだったわ」

 うちの保育所には制服がある。シンプルなワンピースタイプのドレスで、やわらかいクリーム色。それにエプロンをつけている。

 髪は邪魔にならないよう、ポニテ。

「ソフィアのドレスなら買うよ。ていうか俺がうれしいからいくらでも買う!」

「いらない」

 ぴしゃり。

「あたしは実質乳母でしょ。仕事に必要ない。ドレスだって自分で持ってるし、そもそも贅沢は嫌い」

 公爵令嬢のくせに地味すぎると母から苦言を呈されるくらいだ。

「えー……奥さん着飾らせたい。じゃあ、宝飾品は?」

「もっといらない。小さい子いるのにつけてたら邪魔だし、ケガのもと。ネックレスは引っ張られて首締まるし、イヤリングなんかこう……」

 引っ張られて耳ちぎれる動作してみせたら、ノアだけじゃなく侍女たちまで青くなってた。

「分かった。いいです」

「よし。それに、お金は子供たちに使いなさい。結構かかるわよ。さて、オスカーはどうかな?」

 見に行くと、足音でなのか飛び起きた。

 神経過敏になってるな。無理もない。

 安心させるように笑って、

「起きた? どう? ご飯食べられる?」

「……ここ、どこ?」

「ノアおじさんのおうちよ。お城の中。オスカーくんのおうちは危ないから、しばらくおじさんちにいてくれる?」

「……おばさん、だぁれ?」

 まだおばさんて年じゃないわい。

 ノアがすかさず、

「俺の奥さん。美人だろー。いいだろー。昔っから大好きで、やっと結婚できたんだ。かわいくて気立ても良くて強くて……」

 スパ―――ン。

 ハリセンでたたいてやめさせる。

 どこから出したってツッコミはなしの方向で。

「何だよ、本当のことだろ。もう俺の奥さんじゃないか」

「ああそうだったわね。でも契約だってこと忘れんじゃないわよ。あと、血迷った発言もやめなさい。あのね、私は保育園の先生なの。だからソフィア先生って呼んで?」

「……せんせい」

 納得したらしい。どう見ても保育園の先生って格好してるしね。

「……パパとママは……もういないの? てんごくにいっちゃったんだよね?」

 オスカーの目に涙がたまる。必死で抑えようとしてた。

 あたしはオスカーを優しく抱きしめた。

「泣いてもいいのよ。我慢しないで」

 オスカーは泣き出した。

「よくがんばったね。もう大丈夫」

 張りつめてた糸が切れたんだろう。

 しばらく号泣していた。

 まだ小さいんだから、無理しなくていい。

 そのうちリアムも泣き出した。

 あ、伝染した。

 ノアがどうすりゃいいのかと、抱っこしたままアタフタしてる。

「まったく、頼りないわね。貸して」

「ハイ。お願いします、先生」

 右手でオスカーの背をさすり、左手でリアムをあやす。

「大丈夫よ。好きなだけ泣いていいからね」

 存分に泣かせてあげることも大切だ。

 気のすむまで泣いていいんだよ。

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