二人乗りはいけません
@lapis8lazuli
第1話
たった今終わりました、こちらへどうぞ。
どこか偽善的な悲哀を浮かべた事務的な声が届いた。母親はハンカチで顔を覆っている。
骨のように白いハンカチだ。
今更灰を見るのも馬鹿馬鹿しいから、私はそっと悲しみの輪を抜け出した。
外の空気を吸おうと出てきたはいいけれど、どこを歩き回ったって全てが霞んで見える。
ふと振り返るとゆらゆら登っていく白があった。
あまりに静謐で、頼りなくて、愚直にも高く高く登っていこうとする白い煙。
「壊れた恋は、偽物だったでしょうか」
小さく謳う。
「傷の無い恋などないのでしょうか」
小さく、小さく謳う。
右の小指に巻かれた銀の四つ葉をつつ、と撫ぜる。
そう云えばもう焼けてしまっただろうか、と饐えた焦げの臭いに眩暈がした。
*
「寂しがり屋は心中が好み、なんだよ」
そう云って、からからと楽しそうに身体を揺らしたのは彼奴だった。
彼奴は私が漕ぐ自転車の後に、背中合わせで跨るのをたいそう気に入っていた様子で。
危ないから正面を向け、と何度言っても「遠ざかる景色の風情を分かってない」と返され、最終的に折れたのはいつも私のほう。
お陰でお巡りさんから逃げるのが得意になったんだけど、とせめてもの嫌味を云ったら、
「それは結構。これからも精進してくれたまえ!」
と何処吹く風。そういう奴だった。
だから彼奴の口から出た「心中」なんていう物騒な言葉も、萎びた古本のように、乾いた響きにしか思えなかった。
「何それ、引用?それとも何かのタイトル?」
「うーん、独白」
「あっそ」
いつもと何ら変わりのない放課後の戻り路で、ちょっと変わった会話を交わしただけ。
寂しがり屋は心中が好み、と飴玉を転がすように口中で呟く。
初夏の生温い風が二人の間をすり抜けていった。
「これ、あげるよ」
遮断機の下りた踏切で、脇を流れる川をぼうっと眺めていた。
音もなく後ろからにゅっと腕が伸びて、グリップを握っていた右手をつつかれる。
なんだ、と思いながらも手のひらを返してやれば、すす、と小指に何かが通された。
眼の前にかざしてみれば、そこには銀の四つ葉が巻きついていた。
「唐突だね、何で指輪?」
独特な形を成しているのに不思議とそれは良く馴染んだ。指をばらつかせてみる。じり、と鈍く光った。
「お守り」
ほら、と右手を差し出してきた彼奴の小指にも銀の四つ葉が絡んでいた。
君とお揃いなのね、と揶揄いを含んで指摘すれば、お揃いじゃなきゃ意味が無いんだよ、と至極真面目な声音で返された。
そっか、と何となく相槌を打って、いつの間にか遮断機の上がっていた踏切を渡る。
ふと遠慮がちに背中を掴む両手を感じて思わず急ブレーキを掛けそうになった。
「……珍しいじゃん、前向くなんて」
努めて平坦な声を出す。
「……夏の匂いがしたから」
相変わらず掴めないような返答をしたっきり、彼奴は黙ってしまった。
私はなんだか悔しくなって、肺いっぱいに息を吸い込む。夏の匂いなんて、全然しなかった。
*
「なーにがお守りだよ」
私を置いて死んじゃったくせに、と登り続ける白煙を睨む。
ちょっと変わった会話をしたあの日の夜、彼奴は静かにひとりで死んだ。右の小指に四つ葉を巻き付けたまま。
理由は、知らない。
「本当はあの時、」
心中しようって言いたかったんじゃないの?
なんて、都合の良い御託を並べてみる。
ずっと睨んでいた煙も徐々に薄くなっていくのを見て、そろそろアンタの骨も燃え尽きちゃうね、と独りごちた。
ゆら、ふら、ふら、ゆら。
ひとつ息を吸って、火葬場に背を向け歩き出す。ぽつり、ぽつりと垂れてきた雨が肩を濡らした。
視界が滲むのには気付かないふりをして、私は近くに放ってあった自転車に跨る。
踏み込んだペダルはとても軽かった。
二人乗りはいけません @lapis8lazuli
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