集団的主体性と環世界

 僕は今、生命と環境の「あいだ」について考えている。あらゆる生命は様々な規模の群れを形成していて、共同であるいは集団で生きているように思う。それは社会性を持つアリとかミツバチの話だけではなくて、人間だってそうだろう。


 生物個体は環境との一定の距離あいだを保ち、互いに影響しあいながら生命活動を営んでいるけれど、生物個体の群れもまた集団単位で環境と相互作用を持っている。それは人では時に群集心理なんて呼ばれる。


 主体性をまとった集団は、時に生命個体を片寄った方向に導き、彼らの環境を激変させることもある。ファシズムとそれが生み出した世界的な憎悪、そして環境破壊。個別の主体性とは別に存在する集団的主体性。それは確かにあるように思えるのだけれど、でも一体どこにあるのだろうか。心のアクチュアリティと同じように集団的主体性、間主観性もまたアクチュアリティな何かだ。


 集団的主体性、あるいは間主観性が映し出す世界、それは環世界と呼ばれるものに近いかもしれない。そんな環世界を生きているのだとしたら、僕たちが見ている世界は、誰かの夢なのかもしれない。いや、僕たちが見ている現実は誰かの創造かもしれない。僕たちが見ている景色は誰かの悪意かもしれない。そんなSFを見た気がする。

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