生物の存在論的差異

 生命とは「もの」ではなく「こと」。生物学では生命を「もの」と定義するけど、実際には生命は時間を孕んだ進行形の「こと」なんだ。科学はリアリティを扱うことはできても、アクチュアリティを扱うことはできない。だから心を科学的に定義しようとしても難しい。


 生命は物質的存在者のように「ある」とはあまり言わない。 猫が「ある」とか、犬が「ある」とか……とても違和感が。猫は僕の横に「いる」存在だし、犬も僕の後ろに「いる」存在。生命の存在は例えば石のような「~がある」というような存在者とはまるで異なっている。


 植物だって同じ。桜が「ある」とは言わないよね。ピンク色の花が「ある」とは言うかもしれないけれど、やっぱり桜は咲いて「いる」のだと思う。赤い花があると言うよりは、彼岸花が空に向かって咲いて「いる」。単純に「いる」ではないのかもしれないけど、状態を付して、「枯れている」とか、「咲いているとか」そんなふうに言う。


 「この花は美しい」という時、僕と「この花」というモノとのに「美しい」というコトがある。コトは情動を伴っているし、そこにはやはり時間が含まれている。美しさは永遠ではないから美しいのだと……。


 でも、生命と環境のはどこにあるのだろう。

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