心を定義しようとしたら、本当に難しいだろうなぁと思いました。
それを定義しようと、あらゆる角度から考え突き詰めて行く過程は、ちょっと楽しそうとも思ったりもしました。最終的には、やっぱり難しいねってなるのかもしれないけれど。
「ある」と「いる」
文字にするとたった一文字違いだけれど、その差異は大きいな、と感じました。
あいだ……。あいだかぁ。
うーん、私もぜひ一緒に考えさせて下さい。
考えることは楽しいですね、ゆうきさんのエッセイ、とても楽しいです♪
作者からの返信
空さん、コメントありがとうございます!『ある』と『いる』、の違いはとても大きいですよね。そばに置いてある、とそばにいてくれる、ではかなり違ってきます。それくらい生命には特別な何かがあるのかな、と思います。
『あいだ』という概念もとても興味深くて、これは例えば音楽で言うと、五線譜上にはシとドのあいだは何も書かれていないのに僕たちはシとドの間に音楽を感じてたりします。シだけで終わってしまうピアノの音階に違和感を感じて、シを聞けば、ドを予感していたり、そんな風に音楽を聴いてるんですね~!
『あいだ』はまた、人と人のあいだ、というような考察もできるのですが、長くなりそうなので(^-^;
生命を「こと」と捉えるなんて素敵な発想ですよね。
最近、分子ロボットと言うワードを耳にしますが、ゆうきさんはどういう位置にあると思いますか?
それと、以下は知識の浅い一会社員の私なんかの「心」に対する意見ですが、
ゆうきさんの意見として今後の作品の続きで取り上げて頂けたら嬉しいです。
「意識」は動物の体の臓器の中では無く、2体以上の個体(例えばセンサーを持つ古細菌とセンサーを持つ古細菌、センサーを持つ機械とセンサーを持つ機械)の間の関係性そのものではないか?
犬やカラス等にも心があるかもしれないと研究している人もいるようです。
人間の場合、「複雑な言葉」が脳内ニューロンの様に機能して
巨大な量子コンピューターの様に演算力を高められたのではないか?
それによって自分の存在について「心」として
興味を持つように至ったのではないか?
等々。
乱文ですみません。
ゆうきさんのエッセイが扱うテーマは面白いと思います。
続きも応援しています。
作者からの返信
憮然野郎さま
読んでいただき、またコメントまでありがとうございます!とても励みになります。「もの」と「こと」日本語はそういう区別をする言語で、この世界を言葉にしていく上ではとても繊細な使い分けだなぁと感じます。心が実在するか否か、という問題は「価値」や「意味」が実在するか否かというテーマに近く、これは僕の専門領域で言うと、例えば原子が存在するか否か、という科学実在論争と同じ構図なんですよね。
僕は今のところ、それぞれの認識に依存した形式で存在するという反実在論よりの立場ですが、気持ちとしては実在してほしいなぁ、なんて思ったりもしています!
引き続き、お付き合いいただけましたら幸いです。