来る者、去る者 後編

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――――《Side:Bertha》――――


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 私、ベルサがリィン様に拾われたのは、丁度今のハルロッサ様と同じくらいの年だったと思う。育った修道院が解体されることになり、身寄りがいなかった私は、偶然出会ったリィン様から自分のところに来ないかと誘われた。

 その頃リィン様は、有力貴族のお嬢様の御付きに抜擢されて、自分以外にも身の回りをしてくれる人が欲しかったみたいで、私は喜んでその仕事を引き受けた。

 ああ…………あの頃は本当に、天国で働いているかと思うくらい、浮かぶような幸せに満ちていた。

 シシリアさんも、当時は私のような下々の者にも気さくに声をかけてくれたし、大勢の同僚の聖職者たちも、私をまるで妹のように可愛がってくれた。


 ―――――あれからもう20年。ずっと続くと思っていた世界が終ろうとしている。



「ベルサ、緊張してますか?」

「……リィン様、本当に貴女様まで行く必要があるのでしょうか? 危険ではないでしょうか?」

「袂を分かってしまったとはいえ、かつてはシシリア様を主として仰いだ身。最後のけじめはつけたいのです」


 シシリアさんの邸宅に向かう馬車の中で、不安がる私にリィン様は穏やかな表情でそう仰った。

 リィン様がシシリアさんよりも先に身籠り、急遽側室と扱われると決まったとき…………シシリアさんは無言でリィン様に剣を向け、亡き者にしようと襲い掛かったのを、私はまだ鮮明に覚えている。

 結局その時は護衛の兵士が切り付けられただけで事なきを得たけれど、その後もシシリアさんと元同僚だった人たちからの嫌がらせは長く続いた。

 私は、シシリアさんを見るだけでいろいろな怒りがこみ上げてきそうになる。それなのに……一番傷ついたはずのリィン様は、こんなにも落ち着いていらっしゃる。


「母さんは優しすぎるよ。でも、そんな母さんが僕は大好きだから」

「ふふ、そう言ってくれると嬉しいわハル」

「だから母さん、それにベルサも、何かあったら僕が守ってあげるから!」


 そして極めつけに、太陽のような笑顔のハルロッサ様。

 …………何だろうこの感覚。私がお仕えする家族は、ここまで私の心を鷲掴みにするものなのか!

 お優しいリィン様と、そんな母親に愛情を寄せるハルロッサ様……お二人の絆は、先日のあの件があってから、より強まったように見える。そこには私が割って入る余地はないけれど……いえ、むしろ私のような余分な存在が入ってはいけない。ああ、この思いをなんと表現したらいいか!


『それが尊いという気持ちよ』


 そう、尊い! お二人に仕えられて私はとても幸せで――――あれ?


「えっと、ハルロッサ様……尊いとは?」

「え? 僕そんなこと言った?」

「あ、いえいえいえ! き、気のせいです、たぶん!」

「?」


 今、どこからか声が聞こえたような気がしたんだけど……気のせいかな。

 そんなことを考えているうちに、馬車の動きが止まって扉が開いた。扉を降りればそこには、家よりはるかに大きな白塗りの邸宅が要塞のように佇んでいる。


 ここに来るのは、何年ぶりだろうか。




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 ヴォルフガングとシシリアさんの一家は、実家のあるフラメル伯爵家に身柄を送られることになった。

 聖職者と姦通して不義の子を宿したあげく、シェルナ伯爵領の跡取りを排して乗っ取ろうとした罰としては、あまりにも軽いものだったけれども、フラメル伯爵家の嘆願をリィン様とハルロッサ様が受け入れて何とか命は繋いだ。

 彼らにとって、元々家来だったリィン様に頭を下げるのはものすごい屈辱だっただろうけど、命には代えられなかったんだろうな。


 シシリアさんの邸宅に来て真っ先に出会ったのが、シシリアさんの息子――ヴォルフガングだった。

 母親譲りの濃い青のマッシュルームカットに、堀が深くて整った顔。

 母親の一族の血があまりにも濃く出すぎていたせいで、不義の子供だと本人ですら気が付かなかったというのは、なんという皮肉だろうか。

 所々金で刺繍された黒いローブを羽織っていて、見た目だけならハルロッサ様より圧倒的に立派なのだけれど、それを着ていられる日もそう長くない。


「僕の負けだよ、兄さん……」

「あいにくヴォル、君と勝負した覚えはない」

「ふん! 笑いたければ笑えよ、この僕の惨めな姿を! 頭空っぽのシモーネ兄さんと卑しい生まれのハル兄さんなんて、簡単に蹴落とせると思ってた! それがこのざまさ! ははは、ハル兄さんの言う通り、神様の目はごまかせないんだなぁ!」


 悔しそうに歯噛みしながら自虐に走るヴォルフガングと、それを冷めた目で見るハルロッサ様。この弟君は、太子シモーネほど露骨ではなかったものの、ハルロッサ様を常に下に見ていた。

その立場がたった数日で逆転することになるとは、誰が思っていただろうか。


 以前までの私だったら、ヴォルフガングの意地悪から真っ先にハルロッサ様を守りに行こうとしたはず。それが今では私もハルロッサ様もリィン様も、平然と受け流すことが出来るようになった。

やっぱり、気持ちに余裕ができると、怖かったものも怖くなくなるものなんだろう。


「だが、これで終わりだなんて思わないでほしいな。僕はまだ何度でもやり直せる。いずれ絶対に兄さんよりも上に行って見せる! 忘れないことだね!」

「そうだね。僕にもできたんだから、ヴォルならきっとできるさ」


 ハルロッサ様はこんなにいろいろ言われても、弟君にやさしい言葉をかけてあげている。

 ヴォルフガングはハルロッサ様のことを相当恨んでいるおつもりなのだろうけど、私からすれば、むしろハルロッサ様こそ、弟君のことを恨んでいてもおかしくはないと思う。

 私物をしょっちゅう横取りされたし、陰でさんざん悪口を言われていたこともあった。なのにヴォルフガングは逆恨みし、ハルロッサ様は笑顔で諭している。私は改めて、ハルロッサ様の器の大きさを感じた…………。


(あの親にしてこの子あり、か……)


 子供同士のやり取りを見ると、やっぱり親子って似るんだなって思う。

 けれどももし、ヴォルフガングが昔のままのシシリアさんに育てられたら、今の性格とは打って変わって、屈託のない子供に育ったのだろうか?

 それとも、この性格こそが、本来のシシリアさんの持つ気性だったんだろうか?




「リィン…………」

「シシリア様、ご挨拶に参りました」


 我が家とは比べ物にならないくらい広い、シシリアさん邸のエントランス。

 別れのあいさつに来たリィン様と私を、シシリアさんと、元同僚の1人だったロアンヌが出迎えてくれた。


 かつては高級な調度品が所狭しと並べられ、絢爛豪華だった内装はすでになく、シシリアさんの嫁入りと共にこちらに移り住み、かつては苦楽を共にし、そしてリィン様の嫁入り後、裏切者と罵って私達を追い出した同僚家臣たちの姿も見えない。

 この邸宅にあった調度品は、商人に売却して半分は国庫に、もう半分はリィン様への謝罪と賠償のために費やされた。残っているのは持てるだけのお金と、貴金属、服、それに馬車くらい。

 超スピードの没落ぶりに、思わず笑ってしまいそう。


「シシリア様からの御恩は今なおこの胸にあります。ですが、このような結果になってしまい、とても残念です」

「言うようになったのね、リィン。今ここでその済ました面を張り倒せたら、さぞ気持ちがいいでしょうね!」


 ここ数日ですっかりやつれてしまったシシリアさんは、弱々しくも、最後の気力を振り絞るように、リィン様のことをにらんでくる。


「私を顔を叩いて収まるのであれば、両頬を喜んで差し出しましょう。私がこの館を出たあの時のように…………」

「……っ!」


 私は咄嗟にリィン様をかばえるように、足に力を込めた。

 わなわなと震えるシシリアさんの両腕両肩は、今にも跳ね上がってリィン様を襲いそうだった…………けれども、その手は結局上がることはなかった。

 今ここでリィン様を叩いても、それは一時の気晴らしになるだけで、後々どれだけ不利なことになるかわからない。その最後の一線を理性で抑えられるのは、シシリアさんの貴族としての面目躍如といったところだろうか。


 もっとも、後ろから……ハルロッサ様から殺気を感じるのも、理由の一つかもしれないけど。


「いい気にならないことねリィン。子供が神様から祝福されたか何だか知らないけれど、あなたはしょせん泥棒猫……いずれあなたにも、神様の罰が下るわ。覚悟しておくのね」

「……承知しております」

「ふん、どうして私はこんな女に…………ブツブツ」


 そう言ってシシリアさんは、白髪交じりの濃い青の髪の毛を乱暴に掻き上げて、呪詛のようにぼそぼそ呟きながらエントランスを出て行った。

 彼女はこの後――最低限の荷物をもって、子供と共に実家に送還される。そして二度と、シェルナ伯爵領に戻ることは叶わない。


「シシリア様――申し訳ありません」

「母さん、もう大丈夫だから。あの人はずっと母さんをいじめてたんだから、自業自得さ」

「そうですよ、リィン様が気に病むことは何一つありません!」


 リィン様は…………シシリア様より先に身籠ってしまわれたことを、ずっと後悔なさってる。何をされてもシシリア様に逆らわなかったのは、リィン様がそのことをずっと引きずっているから。

 今思えば、それがさらにシシリア様をつけあがらせていたのかもしれないけれど……


「ベルサ、私ももう行くわ」

「ロアンヌさん……最後までついていくのね」

「当然。私はシシリア様の筆頭家臣。事情が悪くなるとすぐに逃げた連中とは違うの」


 そして最後に声をかけてきたのが、同じ家臣団の一人で、一番の先輩でもあったロアンヌさん。彼女に教わったことは少なくなかっただけに、こんな別れ方はやっぱり私も不本意だ。

 その他に大勢いた、かつての同僚たちは、シシリアさんの没落決定とともに、そのほとんどがヨハイーナさんの家に吸収されたらしい。我が家に誰も来なかったのは、彼女たちのプライドの問題なのだろう。


「ベルサ……悔しいけど、最後に笑ったのはあなたの方だったわね」

「あいにくだけどロアンヌさん、私はあなたと勝負した覚えはないよ」

「くっ……!」


 筆頭家臣だけあって、彼女もシシリアさんとどことなくいうことが似ている。

 だったら、私もハルロッサ様の言葉を真似てみる。


 子供、親、そして家臣。

 私たちはようやく、長い間一家を苦しめていた呪縛から解放される。

 そう思うと自然に笑みがこぼれる。今の私は、ロアンヌさんがムカつくほどさわやかな笑顔をしている事だろう。



「ロアンヌ、出るわよ! さっさとしなさい! こんなところ、一秒たりとも長くいたくないわ!」

「申し訳ありませんシシリア様、すぐ参ります!」


 こうして、ロアンヌさんもまたエントランスを足早に駆け出していった。


 シシリアさんの家に残った、数少ない財産の優美な2頭立ての馬車が、名残惜しそうに門から出ていく。

 その光景を私たち3人は、その後姿が見えなくなるまでじっと見送った。


「シシリア様、どうかお元気で」


 リィン様は最後の最後までシシリア様の身を案じていた。

 けれども、その言葉は何もないエントランスに虚しく響くだけ。



(悔しいけど、最後に笑ったのはあなたの方だったわね)


 ロアンヌさんの言葉が、なぜか私の胸にまとわりつく。


 ハルロッサ様の御力がなければ、私が彼女の立場に立たされていた…………いえ、それどころか今頃生きていなかったかもしれない。

 もしそうなっていた場合、私は果たしてリィン様の元から逃げなかったと断言できるだろうか?



(ハルロッサ様は、何があってもあなたを捨てようとはしないわ。それだけはずっと心にとどめておきなさい)

(ベルサさん、どうかハルロッサ様を見捨てないで上げてくださいね)


 ローディア――――くっ、あんなことを言われて、逃げるような真似なんてだれがするものか!

 私は改めて誓うわ。リィン様、ハルロッサ様……この命、すべてあなた方に捧げます。貧しい時も、苦しい時も……最後の最後までご奉仕させていただきます!



「ベルサ」

「はい! ハルロッサ様!」

「君が母さんについてきてくれて、本当に良かった。改めて、これからもよろしく」

「もちろんですとも! 私はずっと、お二人の御傍におります!」


 こうして私たちは、過去の因縁を一つ断ち切った。

 これからの未来は私たちの手で切り開いていかなくては。

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