滾る血潮
ローディアを一目見た時から感じていた。この人は強い……と。だからこそ、純粋に一戦交えてみたい。
竜舞式護身術は、果たして異世界でも通用するのか? 前世で僕が修めた技はどこまで高みに登れるのか? 幸い、治療術の心得があるから多少ケガしても問題ないし、殴り合っても警察を呼ばれることもないから、思う存分殴り合いができるはずだ。
一方でローディアは突然の申し出に、さすがに答えあぐねているみたいだけど、10数秒考えてようやく口を開く。
「こんなことなら、型をお見せすべきではなかったかもしれませんね。すっかり手の内を晒してしまいましたわ。しかし失礼ながら、見たところハルロッサ様は武器をお持ちではありませんし、武術をするような体をしていませんが。それでも戦うと申されますか?」
彼女の言う通り、僕は武器を携行していない。今まで武器を持ってなかったのは、元々ハルロッサが争いが嫌いで、自衛を一切していなかったからだ。それに僕の体は今まで戦いと無縁だったし、鍛え始めてまだ数日しかたっていないから、戦えるだけの筋肉が全くできていない。
さすがはローディアくらいの達人になると、そういったことをあっさり見抜くものなのか。
でも、今や僕には「前世の記憶」がある。少なくともアイゼンシュタインよりは強いと自負している。
「あなたもご存知の通り、僕は先日のあの事件で絶対神様の祝福を受け、身を守るための特別な戦い方を伝授されました。それが果たしてどこまで通用するかなって」
「…………左様でございますか」
ちょっと反応が鈍いな。まだ半信半疑というところか。
それもそうか。こんな戦い方も知らないような10歳児なんて、実力差がありすぎて、相手にすることすら恥だと思う。むしろ、自分も甘く見られたと内心では思っているかもしれない。
「まあ、どうしてもというのなら、お受けいたしましょう。ただし、私も素手で行かせていただきますわ」
「構いません。杖持っているローディアさん相手ではさすがに勝てないと思ってますが、素手同士なら何とか」
「そうですか……。しかしながらハルロッサ様、老兵を甘く見てはいけませんよ」
「わかってますとも。少々、胸をお借りします」
ローディアは、持っていた杖を傍にある樹に立てかけると、改めて僕の前に立った。
普通に話している最中でも、何となく圧されるような雰囲気があるというのに、いざ戦いになると彼女が放つプレッシャーが、急激にその重みを増したのがはっきりわかる。
まだ「前世の記憶」の奇跡を引き出していなかった僕は、思わず体が竦んでしまい、見る見るうちに腰が抜けていく恐怖を味わった。
(まずいまずい、リア様! 早く力貸して!)
『自分から喧嘩売っといてなに弱腰になってるのよ。ほら、頑張りなさい』
完全に腰が抜ける寸前に、体に力が巡るのを感じ、体の震えと勝手に退く足がようやく止まる。
「踏みとどまりましたか。一瞬虚勢かとも思いましたが、どうやら先程の言葉は本当のようですね。ですが、私をあまり失望させないで頂けると嬉しいですわ」
「努力する」
僕はふーっと深く息を吐くと、両手を腰の脇あたりに構える。
対するローディアは、徐に拳を胸のあたりに構えた。
なるほど、把握。これは軍人格闘術の発展形、相手を打ち倒すことを主眼としつつ、守りも十分こなせる攻防一体の体勢。ボクシングとはちょっと違うけれど、間合いをよく読まないと危険だ。
さてと…………だいぶましになったとはいえ、相変わらずプレッシャーが凄い。奏さんですら、立ち会ったときにここまでプレッシャーをかけてきたことはなかった。もっとも、奏さんの場合、立ち合いというより教えることを目的にしてたから、意図的に殺気を抑えていたんだと思うけれど……やはり人を殺したことがある人間は迫力が違うな。
(動かないか…………少しずつ間合いを詰めていこう)
ローディアは構えたまま、彫刻のようにぴったりと動かない。
おそらく、僕の構えが見たこともないものだから、動きを測りかねているのだろうけど、少なくともカウンターを狙っている構えであることは見抜かれているみたい。
僕にもっと実力があれば、もっと堂々と歩いていけるんだけれど…………ローディアにあまりにも隙がなさ過ぎて、このままでは手出しした瞬間にやられることが目に見えている。「神の見えざる手」を使おうかとも考えたけれど、まだほとんど使いこなせていないから、隙を晒すだけだ。
(根競べ、だ。ローディアにわずかでも油断があれば)
時間がとてつもなくゆっくりと感じる。
脚は一歩一歩ローディアに近づいているのに、近づいている気がしない。そして、お互いの距離があと4歩のところまで来た瞬間―――――反射的に左手を振りぬいた。鞭のようにうなる攻撃を、反射的に左腕でガード。コンマ数秒後の追撃を素早く受け流す。
やっば、まさかのフリッカージャブ……! 二発、三発! 真正面から防御してしまって腕が痛い!
けど、牽制が来たとなればすぐに有効打が来る……正拳突き! それを僕はギリギリで逆にこちらに引き込むように受け流す。
「!!」
予想外の方向に力を逃がされたローディアが、一瞬見せた隙をついて腰に手刀を打ち込もうとするも、惜しいところで回避される。この時点でかなり相手に接近してしまったが、今更後には引けない。回避すると同時に続いてくる膝蹴りを、ダメージ覚悟の当て身で強引に抑え、膝裏にローキックを――当てた!
ローディアの表情が一瞬渋くなったように見えたけど、すぐに裏拳が飛んできたせいで追撃はできなかった。
(予想以上に手ごわい。果たして決定打を与えられるかどうか)
僕とローディアでは、身長に20センチ近い差がある。背が高ければ必ずしも有利とは限らないけれど、とにかく足技が怖い。ただ、ローディアからしても自分よりかなり小さい相手は戦いずらい部類になるはず。いくらローディアが女性にしては高めな身長を持つとはいえ、戦う相手は基本的に自分より大きな相手だ。一方で僕は、自分より大きな相手との戦いには慣れている。数少ない有利材料、上手く使っていかなきゃ。
僕たちは無言のまま手や足を繰り出す。
掠っただけでも火傷しそうなほどの威力の拳を掻い潜り、牽制で相手の大技を封じていく。そうすると、相手は大体2パターンの方向に分かれる。すなわち「最適解をひたすら繰り返す」かまたは「一撃ごとに攻め手を変えてくる」か……。
どちらかと言うと前者の方がつらい。そしてローディアはまさに前者。
あらゆる経験の上に築かれた鋭い攻撃は、一切ブレることなくこちらを叩き潰しに来る。こうした場合は、本来相手の体力消耗を狙うのが一番いいとされているんだけれど、それではせっかく戦いを挑んだ意味がない。本来はやってはいけない、勝ち目のない戦いでも、全力で向かっていかなきゃ!
(まずリカバーでダメージと疲労を消す。読み合いでは僕の方が不利。ほぼ捨て身で当たりにいこう)
ここで僕は、一旦回復のために聖術「リカバー」を自分にかけて、持続回復しながら戦えるようにする。けれども―――――これがいけなかった。
「まあ、術の使用もありだったのですね」
「え、あ……」
そう、リカバー程度の術ならば、ローディアだって使えるんだよね…………与えたダメージが全部無駄になった。ああ、これはもう勝てないな。だったらもうこの後は、どれだけ打ち込めるか挑戦する気持ちで行こう。
こうして、僕とローディアはその後も30分にわたって激戦を繰り広げたけれど、最終的にとうとう僕の体がリカバーの限界を迎えて回復を受け付けなくなってしまい…………
「よく頑張りました、ね」
「あうっ!?」
動きが鈍っている中で繰り出そうとした手刀の連撃の最中に、見事に手首をつかまれてそのまま地面に引き倒された。起き上がろうにもローディアに腕を強く押さえつけられて無理!
「っていうかいたいいたいいたいいたい! こーさん! 降参しまーす!」
「あらごめんなさい、ついうっかり力を入れすぎてしまいましたわ。
ハルロッサ様は活きがいいので、抑えておかないとと思いまして」
「僕は巨大魚じゃないよ!」
ぐっ……やっと離してくれた。奏さん程じゃなかったとはいえ、腕がひん曲がるかと思った……。奏さんの押さえつけは、痛いというよりも「痺れる」だったけど、ローディアの容赦ないホールド技もだいぶえげつない。
しかし…………やっぱり負けちゃったか。勝てる可能性は低いとはわかっていたけど、やっぱり悔しい。これが試合形式で本当に良かった。今のが本気の戦いだったら、さらに奇跡を掛けて肉体を強化しないといけないな。
「ありがとう、ローディアさん―――――いや、ローディア。とてもいい経験になった」
「お礼だなんてそんな。雇い主に対して本気を出してしまい、こちらこそ申し訳ありません。嫌いにならないで頂けると嬉しいですわ」
「ははは、僕から頼んだことだし、これくらいで怒るほど僕は狭量じゃないよ」
ローディアが差し伸べてくれた手を握ってゆっくり起き上がる。
その手はグローブ越しなのにどこか優しいぬくもりが感じられた。
「よっこらせ、ありがと」
「いえいえ。しかし不思議なものですわ。神様から力をもらったというのは本当だったのですね。戦いの経験などほとんどないように見えましたのに、急に人が変わったかのように豪胆になられて、とても驚きました」
「やっぱり、俄かには信じられないよね……」
「自分が神様の加護を受けていると言い張る人を、数えきれないくらい倒してきましたから」
彼女が言うには「自分には絶対神様の加護がある」と宣う戦士は珍しくないみたいで、彼らは自分の実力が神の恩恵によるものだと心から信じているらしい。
けれどもローディアは昔からそんな考えに疑問を持っていた。戦いの勝敗は、絶対神様の加護がある方が勝つ……神の加護があれば矢は自分を避けて飛ぶはず……そんな妄言をローディアは実力で完膚なきまでに粉砕してきたそうな。
(ローディアはリア様の存在を信じていなかったんだ…………)
戦う前に見せたあの目、あの怪訝な表情――――それは信仰心だけが肥大化し、自分の技を磨くことを怠る者への軽蔑と哀れみだ。ひょっとしたら、今回の戦いの結果如何によっては、彼女は仕官希望を撤回したかもしれない。
「ご安心くださいな。私もその程度で臍を曲げは致しませんわ」
おっと、思ってることを読まれたか!
「ですが……二度とそのような妄言をさせないよう、徹底的に鍛えて差し上げようとは思いましたが」
「じゃあ、鍛えてください」
「え?」
冗談半分で鍛えるなんて言ってきたローディア。けれども、僕にとってはローディアに鍛えてもらうなんて願ってもない話だ。彼女は、まさか僕の方から鍛えてほしいなんて言われるとは思わなかったみたいで、意表を突かれたように目を白黒している。
「僕は、もっともっと強くなりたいんだ! 今は理由は話せないけど……先程見せた技も、元々は僕自身のものなんだ。だから僕は、力を取り戻して……いや、さらなる高みを目指したい!」
僕が前世で竜舞式護身術を習い始めたきっかけは、喧嘩に勝ちたいという単純なものでしかなかった。僕は幼いころから、殴り合いでは絶対に負けたくなかったから、単純に強くなるための手段としてしか見ていなかった気がする。
けれども気が付けば、中学に入るころには、ダンスと共に竜舞式護身術で武道を極めたいという思いがあった――――きっと奏さんと寿実が、僕が持っていた生まれつきの攻撃性をうまく制御してくれたからじゃないかと思ってる。
転生してハルロッサになって……記憶を取り戻してからもその思いは変わらない。そして、奏さんも寿実もこの世界にいない以上、新たな師が欲しかったんだ。
「そうですか……」
僕の思いを聞いてくれたローディアは、何か思うところがあったのか、少し考えたようだけれど、すぐに改めて僕に問いかけてきた。
「身を守れるほどの強さであれば、無理をなさらず日々コツコツ積み重ねていけば十分ですわ。しかし、ハルロッサ様は……武を極める意思もお持ちのようですね。いえ、正確に言えば――――兵法を含む殺人術全般、と言ったところでしょうか」
僕は、何も言わずにゆっくりと頷いた。
「言っておきますが、私の武術に対する愛はとても重いですよ。その覚悟はおありで?」
「……お願いします」
人間は、一人だとどうしても自分を甘やかす。近くで叱咤激励してくれる人がいてこそ、人は強くなれるんだ。
「ふふ、まさかこの歳になって、こんな可愛いらしい弟子ができるなんて思いませんでしたわ。私の老後は、思っていた以上に退屈しなそうね。これも神様が用意してくださった運命なのだとしたら、今度こそ神様に感謝いたしましょう」
「僕もローディアさんが来てくれたことを、絶対神様に感謝します」
また一人、心強い仲間が増えた。これで私兵の問題は、なんとかなりそうね。
ローディアの鍛錬はきついだろうけれど、自分も強くなるためだから、頑張らなきゃ!
『私、何もしてないんだけどね……』
今いいところなんだから、リア様は少し黙っててください。
『(´・ω・`)』
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