第2章:神託は舞い降りた

始まりを告げる祈り

 目が覚めて、瞼を開けば、目の前に母さんの寝顔があった。

 体をちょっと左に捻って上を見上げれば、何の飾り気もない天井が薄暗い中にぼんやりと見える。

 さらに左に捻れば、カーテンの隙間からほのかな明かりが差していた。

 体内時計と季節を考えると(季節は晩秋だね)、大体朝の5時ごろだろうか。


「リア様、今何時?」


『朝の4時53分41秒よ』


 勘は大体あってたみたいだね。


 僕はゆっくり体を起こして、母さんの手の中から抜けた。――――途端に部屋にたまっていた朝の冷気が、容赦なく僕の体を包み込んだ。


「さっむ!」


 体の芯がどんどん凍っていくような寒さだ…………こ、このまま母さんの腕の中に戻って温まりたい! けれども、そうも言っていられない。特に今日の朝は――――

 寒さを紛らわせるために簡単なストレッチをして、十分体をほぐしたら、その足で礼拝堂に向かう。誰もいない廊下は寝室以上に寒い。息は白くなり、体が震える。着ている寝具だって、綿が入ってる分マシってだけで、前世の防寒着よりだいぶ性能が落ちる。そして廊下ですらこれなのだから、天井が高くて断熱効果が全くない礼拝堂は、まさに八寒地獄そのものだ。


『おはようハルロッサ。よく眠れたかしら』


 礼拝堂の女神像が、リア様の姿に変わった。リア様はこんなに薄着なのに、寒さは平気なんだろうか?


「夢の中にまで出てきて、こんな朝早くに呼び出すなんて…………お祈りの時間にはまだ早いと思うんだけれど」


『あら、それでもきちんと自力で時間通りに起きてきたじゃない。まじめよねハルは』


 相変わらずリア様の声は、僕の脳内に直接語り掛けてくる。広い空間で話し合ってるのに、リア様の声には反響音がかからない。なんだか気持ち悪いな。

 まあ、それはともかく、昨日はほとんどその場の勢いですべてを片付けちゃったけれど、今日からきちんと目標と計画をもって進んでいかないとね。


『そのとおりね。昨日一日は私の力のお試し体験といったところかしら。ここまでやってあげたからには、絶対神様の手先として、馬車馬のごとく働いてもらうわよ』


「神様の手先ってロクな結末を迎えた話を聞かないんだけど。まあいいや」


 僕はゆっくり絨毯に腰を下ろし、片膝をついて両手を前に組んだ。


「神よ。全能にして主なる神よ――――

 神の御業は偉大なり。神の道は正しくかつ真実なり。

 神よ、あらゆる人々は来て崇拝せり。

 全能たる我らの神は、すべてを支配せり。

 我らは歓喜し、神を崇めまつりけり。

 神の世に平穏と豊穣、栄光が満ちますよう。

 我らをお導きくださいますよう――――エイメン」


 まずはリア様への祈りの言葉を捧げる。

 神様との対話は、人からの祈りによって始まるのが決まりだ。


『よろしい。ハルに、これからやってほしいのは、全世界の人間に私への信仰心を取り戻させることよ』


 信仰心を取り戻す……? ニッポンをトリモドスッ! みたいな?少なくとも僕がいる、この神聖王国では殆どの人がリア様を信仰しているんじゃない?


『そうね……ハルはケンプフやその取り巻き、東教会の司祭たちを見てもそう思うのかしら? 領内の一般市民の生活を見ても、そう言い切れるのかしら?』


「……ああ、なるほどね」


 リア様の言いたいことは何となく理解した。

 ハルロッサが覚えている限りでは、純粋に信仰心を持っていると言えるのは、母さんとベルサ、それに南教会の司祭さんくらいだろうか。

 一般人の間では、信仰が日常生活に浸透しすぎて逆に希薄になりつつあるし、権力者や聖職者は、信仰を金儲けの道具程度にしか思っちゃいない。ということはあれか、僕にルターになれっていうのか。宣教とかあんまり性に合わないんだけどね……


『そんなに難しく考えなくていいわ。ハルはハルの好きなように生きればいいの』


「好きにしていいといわれてもね……。そこはむしろ「こうしてほしい!」ってズバッて言ってくれた方が助かるんだけど。なんだったら、言ってくれれば宣教師になるよ」


『全部私の言いなりに動かしても、面白くないわ。ハルなら私が何も言わなくても、やらかしてくれると信じてるわ』


 やらかすって…………ああもう、本当に適当な神様だなぁ。そんなんだから、みんな信仰心がわかないんじゃない?


『なんとでも言うがいいわ。まあでも、ハルは私の手先になったわけだけど、基本的に私からあれしろこれしろとは言わないわ』


 やれやれ、助かるやらめんどくさいやら。ま、言ったからには好きにさせてもらおうか。

 とは言っても、今すぐやりたいことも特にないしなぁ……しばらくは修行に励むしかないか。何しろこの体は全く運動してないから、いざというときに力を発揮できなきゃ困る。


 ああそうだ、鍛えるといえば―――――


「そういえば、昨日は一日前世の力を保ったまま戦えたけれど、あれって乱発できるの? 信仰を消費するとしか聞いていないけれど」


『昨日ハルに与えた力は「奇跡」っていうの。知っての通り、この世界には魔術があるけれど、それとはまた別の力よ』


 奇跡か……奇跡っていうのはいったい何がどこまでできるんだろう?

 この寒い部屋を暖かくすることは?

 一瞬で達人並みの技が使えるようになる?

 気に入らない奴を消滅させる?


『今考えているの、基本的にやろうと思えばできるわ』


 それはすごい! まさにやりたい放題じゃないか!

 と、思うのが普通だけど、そうそう旨い話はないはず……そうでしょリア様。


『まあね。奇跡は起きないから奇跡なの。それを無理やり起こすのだから、それ相応の対価が必要になるの』


 その対価が、信仰―――――ってことでいいんだよね。


『呑み込みが早くて助かるわね。奇跡は、すなわち私の力を貸すことに他ならないわ。そして私の力の源は、全世界の人々が私へ捧げる祈りなの。最近は祈りでの信仰がなかなか溜まらないから困ってるわけ』


 なるほど把握した。それでリア様は信仰を取り戻してほしいって言っているのか。信仰の過多は、僕が使える力とイコールになるわけだ。まさに神様と一蓮托生、一心同体だね。これはうかうかしていられない。好きに過ごしていいといわれても、今の僕は力の源が枯れたら何もかもおしまいだ。


「でも、信仰の溜まり具合ってどうやって確認すればいい? どれだけ使えるかわからないと、うかつに消費できないんだけど」


『詳しい数値化は無理ね。底はあるけれど、基準みたいなのがないし。一応分かりやすくするために、ハルの前世の力を1日付与する奇跡「前世の記憶」の消費を1とすると―――――


保有信仰:約120,000

1日当たりの増加量:約20

前世の記憶一日分:消費1

神の見えざる手一本分/1分:消費0.2

この部屋だけを暖かくする:消費5

無敵超人化一日分:消費2,000

気に入らない人間を一人消滅させる:消費400

ハルロッサを転生させた:消費90,000


――――って感じかしら。大雑把だけど』


「うへぇ」


 分かりやすいのか分かりにくいのか微妙だな。

 少なくとも、前世分の強化くらいなら毎日できるけれど、確かそれだと筋肉が付かないんだっけ。


『あ、それと、奇跡で身についた分の力は、基本的に効果が切れると消失するわ』


「うっそでしょ!? 使い勝手が悪すぎない!?」


『大丈夫! また奇跡を纏えば、能力は戻ってくるわ!』


 魔法少女じゃないんだから…………

 こんなこといちいち考えて奇跡を使っていくのは面倒なことこの上ないね。とりあえず、信仰消費は節約していかないといけなそうなのはわかった。


『あとはそうね、私は絶対神だから、この世界のことはほぼ何でも知っているわ。必要な時に、必要な知識を渡してあげることもできるわ』


「今度はケルト神話のフィン・マックールかよ。僕に直接知識をくれたりとかしないの?」


『…………ハル、想像してみなさい。前世のあなたの世界で、膨大なインターネットの情報が毎秒貴方の頭の中に流れ込んできたら、どうする?』


「頭が破裂するよね!」


 欲張るのはよそう。必要な時に必要な情報が入るだけでも十分だ。情報が欲しかったら、親指を舐めればいい? それとも座禅する?


『そんなことしなくても、言ってくれれば知識を貸してあげるわよ。ただし情報量によって、やっぱり信仰を消費するから』


「オーケー、リア様」


『その言い方、なんか気に障るわね。まあいいわ、そんな感じでちゃちゃっと信仰を集めて、世界中の人たちを私たちの前に跪かせるのよ! いいわね!』


「アッハイ」


 人間一人に世界を支配する力はないけれど、後ろに神様が付いているなら話は違う。

 ルターのように新宗派立ち上げるか……教皇になって教会の頂点に立つか。いずれにしろ、やろうと思えば何でもできる……そう考えると、不思議とワクワクするかもしれない。

 リア様が、本当のところは何を望んでいるのかはわからない。でも好きにしていいというなら、深く考えずに過ごしていこうか。そうなると当面の目標は――――



 コンッコンッ コンッコンッ



「……! 誰っ!」


 突然、礼拝堂の扉がノックされた。

 振り返って身構えると、開いた扉からリィン母さんが入ってきた。


「おはようハル」

「母さん……おはようございます」

「目が覚めたらいなかったから、きっとここにいるに違いないと思って。こんなに寒いのに、朝早くお祈りしているなんて、えらいわ」

「昨日のことがありましたので……いつもより長く、絶対神様への感謝の祈りを捧げていたのです」


 気が付けば、礼拝堂のステンドグラスから朝の日差しがいっぱいに差し込んで、

来たときは薄暗かった部屋の中は、すっかり明るくなっていた。そうか、リア様と対話していたら、いつも起きる時間になったのか。

 いつものハルロッサは、起きてすぐにこの礼拝堂に足を運んで、朝食前に母さんと一緒にお祈りするのが日課だ。でもまさか、絶対神様とお話しするから早く起きましたなんて、言えるはずもない。



 コンッコンッ コンッコンッ



「おはようございますハルロッサ様」

「おはようますだ」

「おはざっす」


「お、アイゼンシュタインおはよう。なんで二人が一緒にいるの?」


 アイゼンシュタインも、いつも通りの時間に礼拝堂に来た。

 しかし今日はなぜか、昨日仲間になったばかりのユージンとギースもいる。


「お邪魔でしたか……?」

「邪魔なんかじゃないよ。ただ、君たちまで来るとは思わなかったからね」

「実は俺、ハルロッサ様に諭されてから、信仰に目覚めまして」

「今まで仕出かした罪を償えればと……」


 まずは二人……か。

 世の中の人が全員、彼らみたいに改心してくれればいいんだけど、そうもいかないよね。


 さあ、今日からまた闘いの日々の始まりだ。

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