父親

 日が暮れて薄暗くなった玄関に、シェルナ伯爵アウグストがただ一人で立っていた。

 祐筆 (秘書の事ね)も護衛もつけず、ただ一人で石像のように立っていた。

 いったい何のつもりだろうか。改めて謝罪しに来た、という雰囲気でもなさそうだし。


「父上、ようこそお越しくださいました。こうしてお出迎え出来たのは初めてですね」

「…………」

「このような遅い時間に、僕に何か御用ですか?」


 取り敢えず皮肉を言って反応をうかがってみたけれど、リアクションに乏しいな。この人はいつも不機嫌そうな顔をしているから苦手だったんだけど、今はなぜかそんな気配はない。


「ハルロッサ。突然だが、二人きりで話がしたい。離れかどこかに、部屋を用意してもらえないか」

「離れは今、新しい部下二人が使ってます。礼拝堂でよければ案内します」

「そこでいい」


 なんなんだこの人は? これほど何考えているかわからない人は、正直かなり珍しい。

 まあ、下手なことはしないと思うから、おとなしく案内しておくか。


「ハルロッサ様、念の為某も」

「アイゼンシュタイン、その心配は不要だ。父親と話すのに護衛が必要になるほど、僕は落ちぶれてはいないよ。それよりも、怪しいやつが館の中に入ってこない様、ボーリューと共に警戒してほしい」

「……畏まりました」


 お供を誰一人としてつけていないということは、おそらく城内の人たちに断りもなくここまで来たんだろう。1時間以内には、この屋敷は包囲されるんだろうな。逆にそうじゃなかったら、城内の奴らはとことん無能だ。

 そうなると、シェルナ伯爵アウグストはわざと僕たちに誘拐されたように見せかけて、またしても無い罪を着せる気だろうか? 可能性はあまりないけれど、事前にあらゆる想定に対してシミュレートしておかないと気が済まない。もっとも、そのシミュレートが完璧じゃなかったせいで、前世では命を落としたと思うと…………なるようにしかならないね、きっと。



 父親と共に礼拝堂へ向かう頃には、陽はすっかり落ちてしまっていた。

 僕は火のついた燭台を明りにして、屋敷内の礼拝堂へ続く廊下を歩いていく。僕も父親も、歩いている間は終始無言だった。そこには、家族の関係性が微塵も感じられず、まるで来客を事務的に案内しているような気さえした。

 館の東端――――家の中で一番早く陽の光が差し込む場所に、礼拝堂がある。礼拝堂はこの館で一番広い部屋で、面積は大体前世の学校の教室の半分程度。天井も、2階分の高さがあって、実寸以上に広く見えるようになっている。

 扉を開けて真正面に、教会にあるようなステンドグラスの窓があって(このステンドグラスだけは結構お金かかってそう)、その前に絶対神リア様の大理石製の像が鎮座している。あとは、床にはカーペットが敷かれていて、夜にお祈りする際に明りをつける燭台があるくらいか。物があまりないから、二人きりだと声がよく響きそうだ。


「今明かりをつけますね」

「すまんな。いきなり訪ねてしまって」

「父上。そう思うのでしたら、予め来ることをお知らせください。我が家は別に、父上が来たからと言って追い返すような真似は致しませんから」

「ふっ……そうだな」


 燭台に一つずつ火を灯していく間、父親は、どこか自嘲気味に話す。

 すべての燭台に火が灯って、ようやっとお互い表情が分かるようになった。僕は、リア様の石像を背に、父親の顔を正面に見て、話を促す。


「で、話というのは―――」

「それだ」

「……? それ、と言うのは?」

「ハルロッサ。いったいお前の身に何があった? 1日で急にそこまで性格が変わるとは。絶対神リアの祝福を受けたというが、それは本当なのか」


 なるほど。僕があまりにも急に尊大な態度をとるようになったから、怖くなったのか。さもありなん。当然、全部ホントのことを言っても無意味なのはわかってる。


「絶対神様をお疑いになられるのですか、父上? 僕は生まれてこの方、絶対神様にお仕えするのが使命と信じ、祈りを捧げてまいりました。絶対神様は、長年祈りをささげた僕の信仰心をお褒め下さり、理不尽な裁を覆し、真実を明らかにする力を授けられました」

「…………そのために、ハルロッサは――――ハルロッサを捨てたのか」

「ん?」


 何を言ってるんだこの人?

 僕はこれまでずっとハルロッサで、それ以上でもそれ以外でもない…………と、思っていたんだけれど、どうやら僕は――――――重大な思い違いをしていたらしい。


「お前は昔から、誰にも分け隔てなく慈悲をもって接し、嘘の一つもつかない純真な心の持ち主だった。だが…………今のハルロッサは、無慈悲な外交官のようだ。笑みは剣となって相手の心を切り裂き、口から出る言葉は矢のように精神に突き刺さる」

「…………よく言いますね。おとなしいと思って放置していた子供が、知らないうちにグレてしまって慌てているのでしょう。安心してください、僕に父上をどうこうする気は一切―――」

「私は見ていたつもりだ」


 父親は急に、僕の前に一歩、ズイっと近づいてきた。あまりの迫力に、僕は思わず一歩下がってしまった。


「あくまで……つもりだがな。ハルロッサはそう感じてはいないようだし、それも仕方のないことだと思う。ほかの二人の目を気にして、リィンだけに不遇な思いをさせてしまったのも、悪かったと思っている。だがな…………それでも、私はお前の父親だ」


 「父親」の部分が強調されて、礼拝堂に響いた。


「お前が――――ハルが、昨日まで在りのままだったことは、私はよく知っている。宝物庫に出てきたハルの偽物も、初めから怪しいとは思っていた。だからこそ……だからこそ、そこでお前を守ってやれなかったのは、私の罪だ。私は、周りに流されるまま、自分自身を見失っていた! …………悪かったハルロッサ。このような不出来な父で申し訳ない!」


 シェルナ伯爵アウグストが……僕の前で、おもむろに跪いた。

 両膝をついて両手を額の前で握り、そのまま額と手を床につけた。あの二人が土下座した時よりもさらに深い――――許しを請うのではなく、罰を甘んじて受けるという、最大級の謝罪姿勢だ。

 あまりに哀れな光景に……僕はどう声をかけていいかわからなかった。


 今更謝っても遅いという思いと、ここまで頭を下げさせて申し訳ない思い。

 二つの考えが僕の中で猛烈な勢いでせめぎあっている。


(道重開にとって、こいつは単なる優柔不断な指導者にしか見えないけれど、ハルロッサにとっては…………こんなのでも血のつながった親だ。どうしても無碍にはできない)


 我ながら、なんとも面倒な人間になってしまったものだ。

 僕の中には今、二つの性格が同居しているだけでなく、お互いの心が干渉しあってしまっている。どちらかというと、道重開のほうがかなり優勢なようだけれど、ハルロッサの思いの強さは、無意識下の行動に色濃く表れてる。


 だから僕は、今日から新たなハルロッサとして生きていくほかないんだ。


「父上……いえ、アウグスト父さん。貴方の気持ちは、痛いほど分かりました。さっきも言った通り、僕は父さんのことは恨んでいませんし、父さんには父さんの苦悩があることも、承知してます。頭を上げてください…………僕は、頭を下げている父さんよりも、正々堂々としていて、頼もしい父さんの方が好きですから」

「ハル…………」


 額を上げて、再び僕の顔を見た父さんは、ようやく重い荷が下りたのか、ホッとした様子だ。「謝罪すれば許してもらえると思ってたのか」っていう思いも少しはあるけれど、父さんの本心がちょっとだけわかっただけでも、十分うれしく思うな。


「……ようやく、いつものハルが戻ってきたか。いや、なんというか、さっきまでのハルロッサも、堂々たる強さがあってかなり頼もしかったが……その、こう言っては何だが、なんとなく我が子のように思えなくてな。それがとても不安だったのだ。しかし、強くなっても、ハルはハルだな」

「あはは、僕なんて生まれてからほとんど、父さんを父親だってあんまり思ってなかったけど、なんだか今になってようやく、父さんを父親として見れる気がするよ」

「ふっ…………そうか。それだけでも、一人でここに来た甲斐があった」


 こんな安いやり取りで丸め込まれるなんて。

 僕らしくないし、僕らしくもある。本当に複雑な気分だ。でもまあ、変に反抗期こじらせても何もいいことはない。良くも悪くも、ここで手打ちってことで。


「それで……だ、ハル。ここからはもう少し重要な話がある」

「なんでしょう? 弟……ヴォルフガングを許してあげて……とか?」

「……なぜわかった」

「さあ、なぜでしょうね?」


 なんでって、そりゃあんた、そろそろシシリアさん一家がせめてヴォルフガングだけは許してくれって、懇願してるころだと思ったから。

 ここで許せば、たぶんシシリアさんもケンプフの糞親父も、結局命は助かることになるだろうけど、あんな奴らが生きようと死のうと、僕にはどうでもいいことだ。


「許すも何も、たとえ母親に罪があろうとも、生まれてきたからと言ってその子供に罪は問えません」


 たしかにヴォルフガングはムカつく奴だけれど、あいつには母親を止める術はなかったはず。罪に問う資格があるのは、浮気された父さんくらいだろう。

 こんなことを言うと、なんだか前世で木竜館で弟分だった陸を思い出すな。

 陸の母親はいいところのお嬢様で、父親はなんと有名なアイドルグループの一員だった…………はずなんだけど、父親が仕事で忙しくしている間に、母親はよりにもよって暴力団員と密通してしまった(どうも母親もいろいろ騙されていたみたいだけど)。

 悲惨なことに父親は、密通相手の暴力団員にホテルの窓から突き落とされ死亡。自殺に偽装するはずがあっさりばれて、密通相手はお縄。母親もまた色々あって、病院行き。最終的に、一家の三男だった陸だけが密通相手の息子だと判明して、陸もまた施設行きになってしまったんだ。

 しかし施設に入っても受難は続いた。施設に(戸籍上の)父親のファンからの苦情やら脅迫文やらがひっきりなしに届いて、陸は施設でも孤立。ストレスに苛まれた職員たちから虐待を受け、虫の息だったところを寿実が経営する竜舞医院に搬送されて、最終的に奏さんが引き取ることでようやく落ち着けたんだ。

 「陸を許せない人が何人いようと、私にとっての陸は家族の一員よ」と言い放った奏さんを、僕は転生した今もなお鮮明に覚えている。


「重ね重ねすまんなハルロッサ。その代わり――――と言っては何だが、ハルには……次期領主の地位を約束しよう。今のハルなら、十分素質はあるだろう」

「えっ」


 ちょっとまった、さらっと何を言ってくれてるのこの父親は。

 さっきまでの殊勝な態度で絆されちゃったけれど、やっぱこの人指導者に向いてないよ。


「あのですね父さん。いつ発表するのかは存じませんが、そんなことしたらシェルナ伯爵領はバラバラになってしまいます。いくら今僕が圧倒的に優位に立っているからと言っても、早かれ遅かれシモーネ兄さんは僕のことを追い落とそうと必死になるでしょう。あの兄はそういう人物なのです」

「むむむ……確かにそうだが、正直シモーネは次期跡取りとして若干不安でな」


 そうだよね。元悪党二人を、自分の直属の家来として好き放題させていたことからわかるように、兄シモーネは、母親からプライドの高さと浪費癖だけを受け継いでしまってる。あれが領主になったて好き放題したが最後、シェルナ伯爵領は破産待ったなしだ。

 そうでなくても、今シモーネ兄さんが任されているシェルナ伯爵家の領地は完全に赤字垂れ流し状態で、直轄領の資金で何とか補填している。


「そう思うのでしたら、今のうちにロートハウゼンあたりの地位の高い家臣を派遣し、強引に修正なさってはいかがでしょう。シモーネ兄さんはまだ18歳です。今から仕込んでも遅くはありません」

「…………ハルがその役目を担うのは――――」

「お断りします。あれは僕の言うことなんて、絶対に聞きません」

「それもそうだな」


 アウグスト父さんは、やれやれと困ったように溜息をつく。

 まあ仕方ないよね。父さんは父さんで政務に忙しくて、教育はそれぞれの母親に一任していたんだから。


「しかしハル、次期当主が嫌だというなら、ほかに何か欲しいものはないか? せめてもの償いだ。用意できるものなら、何でもやるぞ」

「ん? 今、何でもいいって言いましたね」


 何でもいいというなら、どうせだったら前々から「ハルロッサ」の夢だったことを実現してやろう。


「だったら『フェスタ中央教会』への留学を希望します。これは、僕の昔からの夢でした」

「む……」


 この世界の信仰の中心地――――前世でいえばバチカンに相当する、教皇直轄地の一つだ。

 中央教会は全部で3つあるけれど、フェスタ中央教会はその中でも特に権威が高い。ケンプフのクソ野郎も、フェスタ中央教会から派遣されてきた司教の一人だ。ここで高い地位を手に入れられれば、領主の地位なんかちっぽけなものさ。

 ハルロッサは、純粋に信仰の中心地で神学に励みたかったようだけれど、今の僕は違う。

 絶対神様の力を武器に、教皇まで成り上がってやるんだ!


『あら、それは面白そうね。けど、ハルにはドロドロの権力闘争ができるかしら?』


 「できるかな」じゃない、やるんだよ!


「しかし留学費用を捻出できるだろうか?」

「それを考えるのが父さんの仕事でしょ? と、言いたいところだけれど、こればかりはね。うちはコネもないし。でもね父さん、僕にいい考えがあるんだ!」




 こうして僕たち親子は、初めてお互い水入らずで話し合うことができた。

 僕の予想通り、1時間くらいしたらお城の人たちが父さんを迎えに来て、結局父さんとはそれ以上話をすることはできなかったけれど、なんだかすごくすっきりした気分だ。やっぱり、思いは溜め込むのはよくないね。たまにはパーッと発散しなきゃ。


 そのあと僕は、一度母さんたちと夕食を摂って、母さんと一緒に夜の日課のお祈りをする。

 ああ、もう今日はくたくただ。こんなに長い一日は初めてだよ。


『ふふ、お疲れ様、ハル』


 リア様もお疲れ様…………


『どうしたの? 嬉しくないのハル?』


 これを嬉しいと言っていいのかわからないんだけど。


 今僕は……母さんと同じベッドで寝ている。

 なんか母さんが、僕が甘えてくれたことが嬉しいらしくて、今日くらいは一緒に寝ようって言って、有無を言わさず僕のベッドに入ってきた。そのまま母さんは、すぐに寝ちゃったけれど…………僕の中の道重開としてはすごく複雑な気分。しかも、母さんったら僕をまるで抱き枕みたいに、がっちり放さないようにしているんだから…………トイレとかどうしよう。


「まあ……たまにはこんなのもいいか」


 もう深く考えるのはやめよう。

 絶対神様が上からニヤニヤしながら眺めてくるのが、何となくむかつくけれど、そんなこといつまでも気にしていたら、夜が明けてしまう。


「お休み…………リア様」


『おやすみなさいハルロッサ。また明日からよろしくね♪』


 僕の意識がまどろみの中へ沈んでいく直前、唇にやわらかいものが触れた気がした。

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