母親

 時刻は正午。

 僕が城の中に入ってから、もう4時間くらいは経過している。


 門の外で固唾をのんで見守っていた市民たちもさすがに飽きてきたらしく、集まっていた人々は3分の2くらいにまで減っていた。

 まだ残っている人たちも、地べたにマットや筵を敷いて、座りながらだべっていて、僕のことが心配でずっと立っている人は、10人いるかどうかくらい。人間は熱しやすく冷めやすいというのが、よくわかる光景だね。


「菓子だよ! 菓子はいらんかねー!」

麦酒エールいかがっすかー! 麦酒エール!」

「焼きたてのジャーキーだヨ! 旨いヨ!」


 おまけに、群衆の中に売り子が現れて、集まっている人たちに抜け目なく商売をしている。一部ではすっかり何のために集まったかすらも忘れて、宴会まで始まる始末。まあでも、僕としてはかえってこんな空気の方が、プレッシャーが少なくてありがたい。こーゆー風景こそ、むしろ人間のコミュニティーとして、あるべき姿なんじゃないかとすら思う。



 ということで―――――


「みんなーーーっ!! おまたせっ!! ハルロッサは戻り、神の真実は勝利したっ!!」

『!!!』


 だらっとしていた群衆たちは、バルコニーに現れた僕の声を聴いて、即座に本来の目的を思い出し、立ち上がった。いいよいいよ、そんなに慌てなくても。僕は見なかったことにするから。


「僕と母上の無実は証明され、神を欺きし大罪人はその醜い姿を暴かれた!」


 僕の叫びと同時に、付き添いの孤児の一人に全長4メートルの白い布を縦に広げさせた。布にはこの世界の言語で堂々と「真実は神の手に」と、インクをぶちまけたように書かれている。これも孤児の一人に書いてもらった。下手だけど、勢いがあって素晴らしい。


「僕たちの勝利だ!!」

『栄光あれ! 栄光あれ! 栄光あれ!!』


 バラバラになっていた群衆は、いつしかまた門の前に集まってきて、しきりに「栄光あれ!」と叫ぶ。

 あっはっは、なんだか独裁者になったような気分だ。うーん、やっぱろくなものじゃないよね。


『あら、こんなに大勢の人が味方してくれているのに、うれしくないの?』


 絶対神様は意外と人の心がわかってないね。僕が言うのもあれだけどさ。

 彼らは、ただ流されているだけなんだ。面白そうだから、かっこよさそうだから、領主がむかつくから……理由なんてそんなもの。心の底から、僕のことを信頼してくれているとは限らないよ。

 いつしか彼らが、自分たちの意思でこの場に集うことを願うばかりだ。


『ふぅん…………』


 まあ、別に悪いことでもないんだけどね。

 人はもっともっと、賢くなれるはずだから。



「ハル…………」

「母さんっ……いえ、母上」

「いなくなったと聞いて心配しましたが、まさか私たちが助けられるとは思わなかった。ありがとう……ハル。本当に、神様のお導きがあったのですね」

「いえ……「」親を助けるのは、子供として当然です」


 振り返れば、解放されたリィン母さんと家臣3人、それに付き添いの人々が立っていた。解放されたというのに、母さんと、同行していた家臣のベルサとボーリューはまだ不安な顔をしている。僕は母さんの手を取って、ちょっと強引にバルコニーの最前面まで連れてきた。


「見てください、人々が母上の開放を祝福していますよ」

「ハル……まさかこの人々を、すべてハルが集めたというのですか?」

「絶対神様だけでなく、市井の人々も、母上の日ごろの善行を見てくれていたのですね」


 リィン母さんは、集まった群衆を見て一瞬怯んだけれど、すぐに気を持ち直してその場で深々と頭を下げた。母さんの謙虚な姿勢に、群衆はさらに喜び熱狂したようだ。


「リィン様ー! 我らは、信じておりました!」

「ご無事で何よりですっ!」

「リィン様万歳! ハルロッサ様万歳!」


 さて、群衆の引付役はもうちょっと母さんに任せるとして――――


『解放したとたんに厄介ごとを押し付けるとか、ハルもなかなかドライね』


 いや、僕だってもっと再会を喜びたいよ!

 でも今はまだそんなことをしている暇はない。まだやることが残っているんだ。


 まずはこの人への対応から。


「ああ……妬ましいわ! 第二婦人のくせに、生意気な……」

「ちょっと、ヨハイーナさん」

「ふん。なによハルロッサ。磔にされなくてよかったわね!」


 このおばさん……嫌味ばっかりで、僕がシモーネへの冤罪を防いだことに、何もお礼言わないのな。まあ、このおばさんが僕にお礼を言うようなら、明日、槍が降ってきそうだけど。


「今日からギースとユージンが、僕の家来になりましたので、よろしくお願いします」

「まっ!?」


 僕が事務的な口調で引き抜き宣言をすると、ヨハイーナさんの顔がとたんに怒りで真っ赤になる。


「くぁwせdrftgyふじこlp」

「そんな早口でまくしたてられてもわかりません。もっとゆっくり仰っていただけますか」

「人の! 家臣を! 勝手に! 盗むなんて!」

「盗むだなんて。彼らは移籍に合意していますし、お給料も今までの倍払うと約束してますから。あ、そうそう、これ移籍金てぎれきんです」


 朝、屋台で使い切らなかった賄賂の袋をヨハイーナさんに突きつけてみせると、ヨハイーナさんは一瞬で僕の手から袋をふんだくった。


「本当に合意したというなら、あの恩知らず二人はどこに消えたの! ギース! ユージン! ご主人様がお呼びよ! 出てらっしゃい!」

「あの二人ならもう家に帰ったと思いますよ。多分今頃、人質にされない様に、家族を連れだしているんじゃないですかね」

「ギギギ……!」


 ヨハイーナさんは、怒りのあまり頭に血が上りすぎて、その場に卒倒してしまった。

 周りの家来たちが、慌ててヨハイーナさんを介抱しはじめるのを尻目に、僕は次に父親――――シェルナ伯爵アウグストの前に足を運んだ。


「ハルロッサ。疑ってすなまかったな」

「いえ、疑うことは悪いことではありません。ですが、絶対神様の御力がなければ、今僕は生きてこの場にいなかったでしょう。それについて、思うところはないのですか?」

「……………」


 正直、僕はこの人のことを父親だと思ったことはあまりない。心優しかったハルロッサの時から、既にそう思っていたんだから、今僕がどんな気持ちでこの人を見ているか、言うまでもないだろう。

 ただ、僕の場合、弟ヴォルフガングと違って、リィン母さんがほかの男の人との交際が一切ないから、この人との親子関係を覆しようがないんだよね…………。

 実の父親じゃないのに、あんなに僕のことを目にかけてくれた寿実には、本当に頭が上がらない。今頃寿実は、何を思っているだろうか。結局、なんだかんだで寿実のことも奏さんのことも、お父さんお母さんって呼べなかったな。今更ながら、ものすごい心残りだ。


「で、ロートハウゼン。危ないところだったね。僕と母さんが冤罪で死んでいたら、ロートハウゼンの首まで物理的に飛んでたと思うよ」

「はっ、申し訳ありませんでした! 次男様!」

「それとも、貴方にとってシェルナ伯爵家は、断絶してもいいくらいどうでもいい存在なのかな?」

「いえ…………そのようなことは」


 ロートハウゼン、お前が変に足を引っ張ったせいで、危うく事態は深刻化しそうだったんだ。これくらいの意地悪は許されるよね。

 大丈夫かこの家宰、今僕に言われて、ようやく事件の重大さに気が付いた? 単なるお家騒動じゃすまないんだよ? シェルナ伯爵家乗っ取りの危機だったんだからな?

 この人、別に無能ってわけでもないし、むしろ結構働き者なのに、どこか抜けてるなぁ。


「今日のことで分かったと思いますが、僕には絶対神様のご加護があります。それに、外の群衆、ご覧になったでしょう。僕と母上を敵に回せば、彼らもまた敵に回すことになりますから、そのつもりで」

「ああ……分かった」

「肝に銘じます……」

「これは別に脅してるわけじゃないですよ。お二方は、今まで通り、領地を公正に治めればいいのですから。ただ、ひと時の思い込みで、先祖代々の領土を失うことのないように、お願いしますね」


 10歳の息子――――前世の事を鑑みても、通算27年しか生きていない人間に、政治のことで説教されるって、どんな気持ちなんだろうか。さぞ居た堪れないだろうな。


『ほんっとうに完全に他人事ね……』


 もう半分他人みたいなものだし、多少はね?


 でもこれで本当の本当に、一件落着。

 記憶を取り戻してから、まだ一日も経ってないのが嘘みたいだよ。

 さあ、家に帰ろう。昨日から一睡もしてないから、そろそろ眠くなりそうだ。




××××××××××××××××××××××××××××××



 僕の母さん――――リィン母さんは、前も話した通り、もともとシシリアさんのお付きの聖術士ヒーラーだった。心優しくて、控えめで、神に身を捧げていると言われるくらい、とても信心深い人だ。そんな母さんは、僕が小さいころからずっとこう言い続けてきた。


「善い心を持ちなさい。神様は、ずっと見守っておられるのですから」


 悪い心はいつか自分に返ってくる。人を叩けば自分も叩かれる。

 なぜなら、神様は公平だから、善き人には恩恵を、悪しき人には罰をお与えになる。僕たちがこうして平和に過ごせているのは、神様が僕のことを見守ってくれているからだって、教わってきた。

 今思えば、その言葉はある意味正しかったんだけれど、本音としては、僕をできる限り無害な存在として育てたかったんだろう。

 王室の血を引くと言われた名家、システィナ伯爵のシシリアさんと、飛ぶ鳥を落とす勢いの大権力者一家、ヴァーレン侯爵家のヨハイーナさんに比べ、リィン母さんは下級聖職者の娘。ほかの二人に比べ、その後ろ盾はないにも等しい。これでまだ僕が長男だったら、もう少しマシな待遇だったのかもしれないし、末弟であれば、いい意味でも悪いい意味でも、影響力とは無縁な平穏な生活ができたはず。

 が、僕の立場は次男。長男母には警戒され、三男母からは目の上のタンコブ扱いだ。もともと野心が全くない母さんとしては、僕の身の安全こそ、何より大切だったんだろうな。



「母さん、本当に……無事でよかった。母さんにもしものことがあったら、僕は……」

「どうしたのハルロッサ。今日は甘えん坊じゃない」

「今日だけ……。今日だけだから。明日からまたいい子にするから」


 僕は今、母さんに抱き着いて、(やや控えめな)その胸に顔を埋めてる。

 こうして全力で甘えたのは、いつ以来かもうわからない。

 近くで見ると、リィン母さんはとても綺麗な人だってわかる。ココアのような明るい茶色の長髪、ルビーをそのまま嵌め込んだかのような真紅の瞳。目鼻もすらっとしていて、表情は慈愛に満ちている。

 前世では母代わりだった奏さんにも、婚約者だった紫苑にも、ここまで甘えたことはない。

 でも今日は、とにかく母親に甘えたくて堪らない。このまま母さんに抱きしめられながら、目を閉じて眠りたいくらい。精神年齢が急激に17歳になったっていうのに、心の底ではまだ子供への未練が残ってるのだろうか。

 母さんが……リィン母さんで本当に良かった。父親がいないも同然で、ほかの兄弟と仲が悪くても、おつりがくるくらいだ。


「まあまあ、微笑ましいですわ。ハルロッサ様も、まだまだ甘えたい年頃なんですね」

「急に大人っぽくなってビックリしましたが、お変わりないようで安心しました」

「某もようやく、肩の荷が下りました」


 家臣3人も、穏やかな表情で僕たちを見ている。

 普段なら見られて恥ずかしく思う気持ちも、今は不思議とわいてこない。家臣3人も、僕にとっては家族に等しいから、これくらい見られても平気なのだろうか。


「なんつーか、次男様もやっぱ子供なんスねぇ。いや、いい意味で、ですぜ」

「うちのガキ……いや、子供と同じくらいの歳のハルロッサ様を、殺そうとしていた自分が恥ずかしく思えてきました」


 んでもって、改めて家臣に加わった元悪党二人も、すっかり小さくまとまっちゃっている。正直、ここまでおとなしくなるとは思ってもみなかった。


「ギース、ユージン、君たちのおかげで、母さんは助かった。絶対神様もきっと褒めてくださるだろう。アイゼンシュタイン、二人と家族を離れの部屋に案内してあげて。今はちょっと狭いけれど、近いうちにうちの近くの空き家を手配するよ」

「何から何まで」

「ありがとうございますっ」

「案内しよう。こっちだ」


 二人がアイゼンシュタインの案内で部屋を出ていくと、すぐにベルサが口を開いた。


「しかし……リィン様、本当にあのお二人を受け入れるのですか? あの男たちのうわさは、どれも聞くに堪えないものばかり……そのような者を、我が家に入れるのは…………」

「ベルサの心配はもっともだと思うわ。でも、ハルが約束したんだもの。私たちに協力する代わりに、私たちが責任をもって面倒を見ると。ね、ハル」

「うん、その通りだよ母さん。あの人たちは、絶対神様の祝福で改心した。これから、犯した罪を償っていくと約束してくれたんだ。信じてあげようじゃないか」


 とはいっても、僕のところに二人が戻ってくるかどうかは半信半疑だったんだけどね。


『なんだかんだ言って、ハルも心から信じてないのね』


 彼らが僕の方に味方したのは、あくまで僕が怖かったからさ。

 そして僕は、あの二人が元鞘に戻れないようにしてしまった。今あの二人がヨハイーナさんの元に戻っても、一度僕に味方している事実は消えないから、冷遇されるのは確実だし、場合によっては気まぐれで処刑されかねない。

 その点、僕の元にいれば、とりあえず家族もろとも安心できるし。

 まあ、二人がそれでもヨハイーナさんへの忠義を貫いて、元さやに戻るんだったら、それはそれでお給料2倍の話はなかったことにできる。表が出れば僕の勝ち、裏が出れば相手の負け。これぞ名付けてガキ大将の50円玉作戦さ。


『…………そんなことばっかりしてるから、前世では恨まれたんじゃないかしら』


 リスクはなるべく避けておきたいってだけだよ……。そんな呆れなくても。



「あの、某からも言いたいことがあるのですが」


 おっと、ボーリューからも何か苦情かな?


「いいよ。何でも言ってみてよ」

「その……申し上げにくいのですが、彼らを……ヨハイーナ様の元にいた時の、2倍のお給金で雇うと聞いたのですが」

「ああ、そのことか」


 なるほど。ボーリュー、君の言いたいことはよくわかる。

 あの二人に2倍の給料を支払うと、君よりたくさんお給料もらうことになるよね。


「心配ない。君たち3人の給金は、次から5倍払う」

『は――――――――』


 ボーリューとベルサは、驚きのあまり開いた口が塞がらないみたいだった。

 君たちは知らないようだけれど、家に帰る前にロートハウゼンを脅迫して、今まで領がシシリアさんの家に渡していたお金を、半分家に流してもらうようにしたんだ。

 ああ、ロートハウゼンを脅したことは母さんには内緒ね。母さんには、表向き「疑って拘束したことへのお詫び」ってことにして説明したから。


「君たち2人……それにアイゼンシュタインも、母さんと僕のことを見捨てなかった。その忠誠心は、他の何よりも代えがたいものだと思う。ベルサ、ボーリュー、これからも母さんを支えてあげてほしい」

「ハルロッサ様! そんな、もったいなきお言葉!」

「これからも……誠心誠意、尽くしてまいります!」


 あーあ、二人とも感極まって泣いちゃったよ。

 お給料が上がったのがそんなにうれしかったかな?

 それもそうだよね。ヨハイーナさんもシシリアさんも、抱えている家来は50人以上いるのに、我が家はたったの3人。使用人を含めても、20人に満たないんだよね。

 それもこれも、領が家に渡してくるお金が、他の家の20分の1以下っていう、舐めてるとしか思えない差別のせいだ。そんな家に勤めても、当然お給料は安い。ベルサはリィン母さんに心酔しているし、アイゼンシュタインは僕に忠義を誓っているから耐えられたけど…………ボーリューは父上に仕える家臣の一人の末っ子なもんで、本人が務めているのは半ば義務のようなものだ。むしろ、今までよく不満を漏らさなかったって感心するよ。

 ただ、そんな中でもあまりお金に困った記憶がないのは、ひとえにリィン母さんがひたすら無欲だったから、装飾品や食材、服飾にお金を使わなかったのが大きいのかもしれない。


 リア様……確かに一生お金に困らないようにって願ったけれど、物欲の方を調整するとか、反則じゃね?


『何言ってんの。ほかの領主から見ても、貴方たちの環境はかなり恵まれてるんだから。

それに、この量がここまでお金持ちなのも、私がそれとなく力を貸したからなのよ』


 本当に面倒な神様だなぁもぉ。

 いったい僕をどうしようとしたいんだか。



「奥様、失礼いたします」


 と、ここでギースとユージンを案内していたアイゼンシュタインが部屋に戻ってきた。しかし、ちょっと様子が変だ。なんだか表情が険しい。かといっても、あの二人が逃げたわけでもなさそうだし。


「アイゼンシュタイン、何かあったのかい? 苦虫を嚙み潰したような顔してるよ」

「それが……ハルロッサ様、領主様が…………たった御一人で、玄関まで来ております」

「は? 父上が?」

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