偽りの代理人
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――――《Side:Augst》――――
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予定では昼からのつもりだった、ハルロッサへの追及は、ハルロッサが牢から脱走したことで、急遽朝早く――――いつもなら朝食をとる時間に開催することにした。
今、私がいる謁見の間には、家臣、リィン以外の妻や子、それに聖教会の聖職者たちが集まっている。朝早くの、それも急ぎの招集だったからか、誰もがやや乱れた服装で参加している。二人の妻…………ヨハイーナとシシリアは化粧もせず駆け付けたらしい。二人とも、若干皺が増えてきたように見えるな。私も人のことは言えないが。
「閣下、ハルロッサ様が脱獄したというのは、本当でありますか」
「耳が早いなロートハウゼン。その通りだ」
筆頭家臣のロートハウゼンの言葉に、周囲の者たちがどよめいた。無理もない。彼らにはまだ事と次第を伝えていないからな。
「ああ、なんと恐ろしい! アウグスト様! だから私は常日頃から言っていたのですよ! あの母子はおとなしいふりをして、何を考えているかわからないと! 今頃、館に戻って盗んだ宝を母親と一緒に領外へ持ち出す気ですわ! 一刻も早く兵士の手配をなさいな!」
「落ち着けヨハイーナ。言われなくても城下の入り口には衛兵を配置している。リィンの館も昨晩から兵士に見張らせている」
長男シモーネと長女エルミラの母親であるヨハイーナは、相変わらずの甲高い声で、捲し立てるように喋る。このヒステリックな声は私の耳によくないので、とにかく落ち着けさせる。
「まあまあ、ヨハイーナ。アウグスト様がそこまでぬかるはずがありませんわ。しかしハルロッサも困ったものね。逃げたら罪を認めたようなものなのに」
一方で、三男ヴォルフガングの母シシリアは、ヨハイーナと違って、不自然なまでに落ち着いている。彼女はリィンと仲が悪いゆえ、もっといろいろ言うかと思っていたのだが。
「リィンには先程兵士たちを向かわせ、ここに連れてくるように言ってある。もうじき到着するだろう」
そう言ってしばらくもしないうちに、向かわせた兵士たちが、リィンとその家臣たちを連れてきた。
相変わらず儚げ雰囲気のリィンは、すっかり憔悴している。息子が罪を犯して牢に入れられたのだ。清濁併せ呑むことを知らない彼女にとって、大変なショックだったのだろう。
大勢の家臣や親族が見守る中、リィンはその家臣2人とともに、その場に跪いた。
「アウグスト様、この度はご迷惑をおかけし、申し訳ありません。私リィンは、神に誓って、何事も包み隠さず答えます」
「ふんっ、潔く話す気になっているのね、殊勝だわ!」
「ヨハイーナ、口を慎みなさい。次に勝手に口出ししたら、退室してもらう」
「…………」
いちいち口を挟むヨハイーナを再度強引に黙らせる。少し前までは、明るく活発で、素晴らしい女性だと思っていたのだが…………
「ですが、私は息子……ハルのことを信じています。盗みを働くような、卑しい心の持ち主でないことは、
母親である私が一番存じております」
「一つよろしいですかな」
リィンの言葉を聞いて、今度は聖教会の司教ケンプフが発言の許可を求めてきた。ヨハイーナと違って、きちんと発言の意思を示したのはよいのだが、この司教も何かダメ出しするつもりだろうか?
「かつてあなたは、聖母のようだと修道院内で慕われた聖術士だったそうな。しかし、あれですな…………領主様のお子を抱いてから、変わってしまわれたようですな。自分の息子を信じる……母親が一番わかってる……なんとも見苦しいことです。昔の謙虚で誠実なあなたはどこへいったのですか? 盗みをするような卑しい子供に育ててしまったのは、外ならぬ貴女の責任。絶対神様も嘆いている事でしょう。今からでも遅くはない。素直に次男様のしたことを認め、神の名の下に許しを請うのです」
「お待ちください! ハルロッサ様が咎人とはまだ決まっておりません!」
「そうです! 私どもは先日の夜、ずっとハルロッサ様の傍におりました! ハルロッサ様に罪がないことは明らかです!」
「だまらっしゃい」
ケンプフ司教の言葉に、リィンの家臣二人が異議を唱えたが、すぐさま兵たちによって抑え込まれ、司教に一喝された。ふむ、どうもこの二人が言っていることに嘘偽りはないように思えるが……
では私が先日の夜に見たハルロッサの正体は、いったいなんであったのだろうか?
私が見たのは幻であったか? しかし、家臣の何人かも見ていたし。
「では聞くが、領主様がハルロッサ様を見たといっているのは嘘と申すか? そなたらは、領主様が……それに同行しておられた、ロートハウゼン様を筆頭とする、重臣方が嘘を言っていると申すのか? どうなのだ?」
『………………』
「もっと言えば、そなたら以外にも、ハルロッサ……様の傍にいたという者はおるのか? 当然身内意外にな。そなたらのことだ、一家全員で騙っていても不思議ではあるまい」
ケンプフ司教、ここまで嫌味な奴だっただろうか。
本人は忘れているのやもしれないが、リィンをはじめとした家臣たちは、私の家族でもあるのだ。それをまるで、敵国の捕虜のように扱われるのだから、私まで嫌な気分になる。悪いが、そろそろ休んでいてもらおう。
「司教、もうよい」
「ですが領主様……! この者はよりにもよって、神の名を騙り――――」
「リィンは側室とはいえ私の妻だ。侮辱することは許さん」
「くっ…………」
司教はどうやら、よほどリィンのことが嫌いらしいな。いったい何を、そこまで疎ましく思っているのやら。とにかく、これ以上周囲の者たちにうるさく騒がれたらかなわん。
「リィンよ、そなたはまだ聞いておらぬかもしれぬが……ハルロッサが牢を抜け出した」
「ハルロッサが、牢を!?」
「牢番から、ハルロッサがヨハイーナの家臣二人を連れて堂々と脱獄したと聞いている。牢番は、ハルロッサが脱獄した際に謎の力によって失神させられ、気が付いた時にはヨハイーナの家臣ラングレンが、牢の中でショック死していた。私自身も、起きてすぐに確認した。これは紛れもない事実だ」
リィンはショックのあまりへなへなと腰を抜かしてしまった。二人の家臣も、顔が真っ青だな。ところが、リィンたちだけでなく、周りの家臣たちもまた動揺している。
なにしろ、ショック死していたといわれるヨハイーナの家臣――――というよりも、長男シモーネが飼っている乱暴者の筆頭である、ラングレンが死んだのだ。状況からみて、ハルロッサが手を下したのは間違いないが……あの心優しいハルロッサが、どうして彼を殺すことができたのか。
もはや、普段から猫をかぶっていただけでは説明がつかない事態で、ハルロッサに悪魔が乗り移ったとしか考えられない。
「リィン、何か申すことはあるか?」
おそらくリィンは何も知らないだろう。だが、彼女は震えながらも、意を決したように私に対して再び跪いた。
「ハルがどこにいるのか、本当に罪を犯したのか、今となっては私は知りえません。ですが、先程司教様が申しました通り、子の悪事は育て親の責任でもあります。ハルはまだ10になったばかりの子供……ハルが処刑されるというのでしたら、母親の私が身代わりとなりましょう。私の命を持って、あの子に物事の善悪を教えます」
「リィン……」
なんということだ。リィンがここまで強い女性だったとは……
自らの子のためとはいえ、命を投げ捨てる覚悟があるとは。私はどうやら、今まで彼女のことを表面でしか愛していなかったのかもしれない。ハルロッサにしてもそうだ。生まれてから10年間、あの子に私は何かしてあげられただろうか。
「わかった。リィン、そなたの思いは――――」
「一つよろしいですかな」
「司教。まだ私が話している最中だ、後にしたまえ」
「いいえ、領主様の命といえども、後回しにすることはできませぬ」
私の言葉を遮るとは、なんというやつ……
だが、情けないことに私はそれ以上止めることはできなかった。領主と教会は、表面上は領主が上であるが、実際の力関係は逆だ。下手に機嫌を損ねれば、国王陛下に讒言され、最悪領地を没収されかねない。
「私どもは、肝心の事を聞いておりません。リィン様、ハルロッサに盗まれた、領地に代々伝わる宝仗……
どこにあるか教えていただけないでしょうかね?」
「存じ上げません」
「これは異なことを申しますな。ハルロッサが盗みを働いたことはもはや明白。貴女の邸宅のどこかに隠されているのでしょう。さあ、神の名の下に、白状するのです」
「神に誓って、そのようなものは我が家にはありません。お疑いのようでしたら、邸宅を捜索していただいても構いません」
もはや、ハルロッサを確実に盗人だと疑わないケンプフ司教は、私の前であるにもかかわらず、ハルロッサを呼び捨てにし、リィンを詰っている。
だが、リィンの方も一歩も引かない姿勢のようだ。
「もう我慢なりません! アウグスト様、私からも言わせていただきます! シモーネの教育係の三人がいつまでたっても戻ってこないと思ったら、ギースとユージンはハルロッサとグルだったのね! その上、ラングレンまで殺して!今日という今日は許せないわ! 衛兵、この女に鞭を打ちなさい!」
「まてヨハイーナ、手荒な真似は――――」
「いいでしょう。取り押さえなさい。全てを司る絶対神様に代わり、私が戒告の機会を与えましょう」
たちまち衛兵がリィンと家臣たちを取り押さえる。
このままではリィンが――――しかし今の私にはどうすることもできない。
おお、神よ。なぜこのような仕打ちをするのだ。
リィンは誰よりも熱心に、あなたに祈りをささげたではないか。
見ておられるなら、今すぐに、リィンを助けてくれないだろうか……
『その願い、確かに聞き入れたわ』
「ん」
「え……」
私の頭の中に、どこからか女性の声が響いたような気がした。
そしてリィンもなぜか、一瞬呆けた後に、しきりにあたりを見回した。
「いかがしましたか閣下?」
「いや、どこからか聞きなれない声がしたと思ったのだが」
「声ですか?」
書記官や周りの者たちには聞こえていないようだ。
――――が、その直後に、謁見の間の扉がものすごい勢いで開かれ、数人の兵士がとても慌てた様子で飛び込んできた。
「か、閣下! 一大事です!」
「暴動です! 城の外で暴動が発生しました!」
「大勢の人民が、こちらに向かって行進してきています!」
「衛兵だけではもはや止めることができません!」
『暴動!?』
こんな時に暴動だと!? 一体全体何が起きている!?
私は、リィンたちを除く家臣全員と共に、謁見の間から螺旋階段を駆け上がり、バルコニーから外を見た。
「こ……これは!」
なんということか! 城門から城下に続く広い通りを、今まさに人民らが声を上げて行進してくるではないか!
その上、道幅いっぱいに並んで向かってくる彼らの列は、最後尾が見えないほどの大人数。足並みは、王国の直属兵のようにきれいに揃い、聞いたことのない歌を口ずさんでいた。
神はラッパを轟かせ、決して退かぬと告げた
神は審判の御座の前で、人々を魂を天秤にかける
おお、疾く応えよ、我が心 歓喜せよ、我が両脚
我らの神は進み続ける
栄光あれ、栄光あれ、神を称えよ!
栄光あれ、栄光あれ、神を称えよ!
栄光あれ、栄光あれ、神を称えよ!
神の真理は進み続ける
あまりの異様な光景に、我らは言葉を失った。
普段は気にも留めていなかった、平穏な生活を営む人民たちが、異常な活気に満ちているではないか。
「今すぐ門を閉じるのだ!」
真っ先に我に返ったのは、筆頭家臣のロートハウゼンだった。
彼が慌てて城門を閉ざしたことで、間一髪で群衆が城内になだれ込むことはなかった。
「か……閣下、先頭に見えるのは、ハルロッサ様ではありませんか!?」
「な、なんと!? ハルロッサが!?」
書記官が指さす場所――――群衆のを見れば、確かにそこにはハルロッサの姿があった!
「まさかハルロッサ様が暴動を扇動していたとは!」
「あ、あの穏やかなハルロッサ様にいったい何が?」
「すぐに捕らえねば……いやしかし、城門を開けるわけには……」
混乱しうろたえる家臣たち。衛兵たちも腰が抜けて、どうにもならないようだ。
これだけの数の群衆が一斉になだれ込んできたら、我らは一巻の終わり……いったいどうすれば?
ろくに対策も打てず、ただ呆然とするばかりの我々に、とうとうハルロッサが声を上げた。
「シェルナ伯爵家の者たちに告ぐ。僕、ハルロッサは、来る生誕10年目の昨日、絶対神様の祝福を受けた。おお、ハレルヤ! この素晴らしき日に、僕は無実の罪を着せられ、牢獄にとらわれたが、絶対神様のお力により、ここに立っている。このことが何を意味するか、賢明な者たちには言わずとも理解できるであろう。絶対神様は宣った! すべての真実を白日の下に晒せと! 神の目は絶対で、隠し通すことはできるはずもない! 諸君らの道は二つ! 許しを請い、誠実に生きると誓うか! 偽りを貫き、冥府に堕するか! 栄光あれ、栄光あれ、神を称えよ!」
『栄光あれ、栄光あれ、神を称えよ!』
なんという……なんという力強い声。あれは本当にハルロッサなのか、わからなくなってきた。
「領主様……み、耳を貸してはなりませぬ! あのように軽々しく神の名を口にするとは、許しがたき所業ですぞ!」
ケンプフ司教が、恐怖に震える体で必死に訴えてくる。普段の無駄に大きな態度はどこへやら、キーキー叫ぶ姿はまるでネズミのようだ。私は今まで、こんな男を恐れていたというのか……
『なにをしているの? さっさと城門を開けなさい。早くしないと大変なことになるわよ』
またあの声が聞こえた!
いったいどこから…………と、ハルロッサの後ろにいる子が持っている旗が風に揺れた時、一瞬そこに神々しい女性の姿を見た気がした。そして、その女性に私はなぜか見覚えがあった。そう…………たしかあれは10年ほど前に――――
「…………ロートハウゼン、城門を開け」
「で、ですが閣下……」
「三度は言わぬ。命令だ、開けよ」
開門命令を出した後、私はそそくさと踵を返して謁見の間へと戻る。
格好つけたかったわけではない。……ただ、どうしても足の震えが止まらないだけだ。
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