日々是疾走

 金曜日の夕方、僕は奏さんの運転で九重家に向かっていた。

 僕たちは若干焦っていた。約束の時間、18時を若干過ぎている。

 奏さんは珍しくあからさまに不機嫌な表情を浮かべていて、とても怖い。


「連絡しているとはいえ、まずいわね。先方の機嫌を損ねていないといいのだけど」


 僕らは本来、念には念を入れて30分前には現地付近につくように家を出たはずだった。

 ところが、九重家に向かう道中、前を走る車が路地から出てきたバイクと、接触事故を起こしたからさあ大変。

 しかも間の悪いことに、バイクの動きがあからさまに当たり屋で…………一台後ろにいた僕たちは、証人として警察で調書を取られる羽目になった。奏さんが言った通り、紫苑さんには電話で事情を話して、遅れることを伝えてあるけど…………何しろ今日は、紫苑さんのご両親と面談することになっているんだ。

 どんな理由であれ、初対面での遅刻は第一印象として最悪だ。


 九重家は、住宅地の区画一個分の面積を持つ、かなり大きなお屋敷だった。

 僕が住む木竜館も相当広い土地を使っているけれど、これはもう比較にならない。最近調べたけど、九重さんの一族って、古くからの名門っていうだけじゃなくて、貿易業と造船を営んでいるんだって。そりゃあ、お金持ってるわけだよ。

 門のところで奏さんが、警備の人に免許証とパスポートまで見せて、無事に駐車場まで誘導してもらった。車種はよくわからないけれど、重厚感漂う国産車や外国車が、駐車場に犇めいてる。これらに囲まれた中に、奏さんが運転する燃料電池車がいると、なんだかものすごい違和感がある。きっと、今の僕も、この車と同じような見た目なんだろうな。


「開様!」

「紫苑さん!」


 紫苑さんはなんと駐車場まで出迎えてくれた!

 その顔は、嬉しさと、安堵の表情が見える。きっと遅れたから心配していたんだろうな……突発的な出来事があったとはいえ、女の子を待たせた上に、心配させてしまうなんて、男として面目ない。


「お久しぶりです、奏様」

「ええ、こちらこそ。わがままを聞いてくれて、ありがとうございました」


 緊張して心臓が今にも飛び出しそうな僕と対照的に、奏さんはいつものように堂々としている。流石この人は、潜り抜けてきた修羅場の数が違う。まあ、内心は少しは緊張しているのかもしれないけれど、少なくともそれを、表情にも態度にも、微塵も表さないのはすごい。


 紫苑さんの案内で、九重邸に上がった僕と奏さん。

 中はまるで高級料亭か高級旅館のようだった。いや、どっちも行ったことないけれど、そうとしか表現できないくらい、いろいろすごい場所だった。

 飾られる生け花、年季の入った床板、そして生まれて初めて見る「使用人」という職業の人たち……

 正直、この時点で僕は「もしかしたら将来この家に住むことになるのかも」とか全く思いもしなかった。ただただ、自分と住む世界が違うと、圧倒された。

 周りにあるものは見るものすべてが「いいもの」で、これらを揃えた主は、一体どれだけものを見抜く力がすごいのかと、恐ろしくなってくる。小細工など通用しない。ただ真っ向から相手する以外方法はない。僕はそういった人こそ尊敬すべきだと思うし、同時に絶対に敵に回したくない。


「お父様、開様がお見えになられました」

「お通ししなさい」


 縁側から、障子を隔てた一室の前まで案内されると、中からちょっと高めの男性の声が聞こえた。声から察するに、紫苑さんのお父様は初老あたりの歳の方なんだろう。でも、声ははっきりして聴きやすかったし、厳格さがあるのに柔らかい……なんだか武士が思い浮かぶ。


「失礼します」

「失礼いたしますわ」


 襖が開いて、一歩部屋に入ったとき、僕と奏さんは同時に二の足を踏んでしまった。

 それほど広くはないけれど、ゆったり感じられる和室に、桐の机と四つの座布団によって席が設けられていたけれど…………そのうちの一席にやや白髪交じりの、がっしりした体格の男性が、正座しながら挨拶をしてきた。

 その顔は一言でいえば…………教科書に載っている、明治時代の偉人を思い浮かべるような風貌だった。僕のような青二才なんか、一睨みするだけでまともに口がきけなくなってしまうだろうな。

 でも、それ以上に驚いたのが、男性……紫苑さんのお父様は、僕を見るなりにっこりとほほ笑んでくれた。それだけじゃなく、座っている場所がなんと下座! まさか僕か奏さんが隣に座るわけにはいかないから、 必然的に僕たちは上座に座ることになる。予想外の対応に、僕だけでなく奏さんにも一筋の冷汗が流れた。


「お初にお目にかかります。九重隆文ここのえ たかふみと申します。どうぞ、こちらの席に」

「は、はじめまして! 道重開です!」

「竜舞奏です。初めてお会いするにもかかわらず、遅参したことをお詫びいたします」

「いえいえ、お話は聞きました。大変だったでしょう。むしろ、よくぞここまで早く来てくださった」


 僕たちが恐縮しながら席に着くと、紫苑さんがお茶を運んできてくれた。

 なんというか、ここまで至れり尽くせりだと、気持ち的に、何か理不尽なことを言われても、反論できないな。そんなことする人じゃないっていうのは、分かってはいるんだけれど……

 しかし、隆文さんはさらに畳みかけてくる。


「このたびは、紫苑の危機を救ってくれて、本当に助かりました! そのお礼を述るにもかかわらず、足を運んでいただいてしまい、誠に申し訳ない」

「そんな……僕なんて、一言ありがとうと言われただけでも十分ですよ! こちらこそ、わざわざお招きいただき、恐れ入ります」

「ははは、思っていた以上に礼儀正しいな、開君! さすがは竜舞さんの育てた男子だ!」

「そう言っていただけると嬉しいですね。開をここまで厳しく育てた甲斐がありました」

「まあ、お父様は奏様をお見知りで?」

「会ったのは初めてだが、竜舞さんのことは私の界隈の人間なら、誰でも知っている。すばらしい武勇伝の数々をお持ちの方だ」

「お恥ずかしい過去ですが」

「奏さん……いったい昔何したの?」


 そんな感じで、緊張しっぱなしだった僕たちは、いつの間にか、家族のように和気藹々わきあいあいと会話に花を咲かせた。

 奏さんの昔の武勇伝から、転じて僕が紫苑さんを助けた時の話題になり、それから一時期僕の偽物がたくさん現れたなんて話をしていた。時間は光のように過ぎて、気が付かないまま時刻は19時30分をまわったところで


「失礼いたします。夕食のご用意ができました」

『夕食!?』


 僕と奏さんは、思っていた以上に自分たちが長居したことに愕然とした。

 素晴らしい手際で配膳が進んじゃったから、断るという選択肢はない。まあ、この時間帯にご招待されたから、少しは期待してはいたんだけど……ここでまた予想外だったのが、出てきた食べ物の数々だ。


「焼き鳥だ!!」


 僕の一番の大好物、焼き鳥が大皿に山盛りになっている!

 ご飯はかやくごはんで、それ以外にも酢の物があったり、牛モツ煮込みがあったり、 庶民的…………というか居酒屋のラインナップみたいだ。しかも、さらっと奏さんの大好物、コロッケまである。僕は、おいしそうな食べ物を前にして、思わず唾を飲み込んだ。


(昔の総理大臣が、外国に赴いたときに、好物のアンパンやお味噌汁が出されたのを見て舌を巻いた……っていう話を聞いたことがあるけれど………)


 まさかそれを、この場でやられるとは思ってもいなかったよ! 雲上人ともなると、やっぱり発想が違うなぁ!

 あっはっは、僕たちはもうお釈迦様の掌の上で踊るモンキーと一緒。だったら、踊らにゃ損だ!


『いただきます』


 4人できっちり挨拶をしてから、食べ物を口に運ぶ。

 驚くことに、どれもこれも僕の好みの味に仕上がっている。いったい、どこからそんな情報が渡ったんだろうか…………気になるけれど、考えても無駄な気がする。


「開君には、ここ1週間非常に苦労を掛けた……そのお詫びがこの食事では足りないかもしれないが、遠慮なく食べてくれたまえ。余った分は、君の兄弟たちにお土産として持っていくといい」

「そんな、苦労だなんて!」


 紫苑さんも隆文さんも、きっともう知っているだろう。

 ここ1週間の僕の生活は、まるで戦場のようだった。

 かつての、紫苑さんを助けた謎のヒーロー騒動が再燃したかのように、学校中大騒ぎだった。男子は僕を見るなり恨み言や罵声を飛ばしてくるし、中には我慢できずに殴りかかってきたやつも大勢いた。友人の保村もそのうちの一人で、僕を囲んでいた女子を叩いてしまったものだから、より一層男子と女子の対立が根深くなるばかりだった。

 幸い、先生たちは殆どは僕の味方だ。中学の時の反省を生かして、大人に気に入られるようにあの手この手を使って根回しをした甲斐があったよ。汚いと思うかもしれないけれど、敵が増えるよりはましさ。


 でも、3日くらいたったころには、奴らはあきらめるどころかさらにエスカレートしてきた。

 一番驚いたというか、呆れたのが、外部の学校の男子生徒の集団が「九重様親衛隊」なる組織を名乗って、わざわざ僕のクラスまでやってきて「断罪する」と抜かしたことか。彼らはすぐに部外者ということで教員たちにつまみ出されたけれど、その後も授業そっちのけでデモ活動したりしてた。さらにその日の夜には、木竜館に放火しようとした学生が時間差で4組15名が、補導されるという珍事態まで発生。やれ犯行声明は出るわ、殺人予告は出るわ、出前テロが発生するわで、地域の治安が大混乱というありさま。

 金曜日にはもう、教室に男子生徒の3分の1がいなかったよ。


「お父様こそ、大変ご苦労なされたでしょう」

「なんの。我々金持ちは、こういうことには慣れているからな」


 まあ確かに……九重家って、最盛期の総会屋と地上げ問題で真っ向勝負したんだっけか。詳しくはよく知らないけれど、その事件以降にも九重家の利益が落ちなかったってことは、つまりそういうことなんだろう。


「娘の命を救ってくれたにもかかわらず、君の日常を壊してしまった」

「そうですね。確かに僕には、もう以前のような学校生活はできないと思います。でも、僕には木竜館の家族と…………紫苑さんという、命を懸けても守りたい人がいます。これだけあれば、ほかはもう何もいりませんから」


 そう、もう後戻りはできない。僕は進むだけだ。

 これは僕が決めたことだから、どんなことがあろうと、文句は言わない。


「紫苑さんとのお付き合いを……お許しください」

「開様っ!」


 これでいい。隆文さん相手には、余計な言葉はいらない。

 僕は頭を下げながら、隆文さんが口を開くのを待つだけ。

 人生で一番長く感じる数秒――――――


「開君、私からもお願いする。娘を、君に預けたい」

「本当……ですか!」

「お父様っ! 私……開様と!」

「よかったわね、開」

「だが、一つだけ……話をさせてくれないか」


 喜んだのも束の間、隆文さんは真剣な表情になって…………奏さんと紫苑さんの座る位置を交換した。


「君にはどうしても話しておきたい。紫苑のことだ……」


 紫苑さんが、僕の手の上に、自身の手を重ねてくる。きっと、紫苑さんにとって不安な話なんだろう。無意識に、僕に逃げないでほしいっていう思いが伝わってくる。


「実は紫苑は、私と血はつながっていない。紫苑は、今は亡き私の兄の娘なのだ。この子の両親は……10年前の大震災で命を落とした。ほかの兄弟たちも犠牲となり、兄の子たちの中で残ったのは、当時7歳だった彼女だけだった」


 ふと紫苑さんの顔を見た。とても悲しい顔をしているね…………今にも泣きそうだ。僕はそっと、紫苑さんの腰に手をまわして、ゆっくりとさすってあげる。安心してね、最後まできちんと聞くから。


「私自身……すでに2人の息子がいる。だが、紫苑のことも、自分の娘のように育ててきたつもりだ。思えば厳しい躾もしてしまったし、束縛したことも多かった。だから、そろそろ紫苑には、自分の自由に生きてほしいと私は思う。そこで…………開君」

「はい……」

「厚かましいお願いだが、君にしか頼めない。………………紫苑を、もらっては、くれないだろうか」

『!!!』


 紫苑さんを、もらうって………まさか、そんな……


「開君。君は人の痛みがよくわかる人だ。そして強くて優しい。正直、九重家の傘下の支配人の一人になってほしいほどだ」

「いや、そんな! 買いかぶりすぎですって!」

「私はこれでも人を見る目は確かだと自負している。君は、若いころの竜舞さんによく似ているな。敵に回すと恐ろしいが、味方になってくれれば、これほど頼りになる人はいない。この通りだ、どうか紫苑を………」


 ああ……こんなことが、本当にあっていいんだろうか。

 こんな…………嬉しいことが!


「紫苑さん……本当に、僕なんかでいいの?」

「勿論です、開様……不束者ですが、開様のために尽くさせていただきたく存じます」


 こうして僕は、いつの間にか紫苑さんと婚約することになった…………。自分でも嘘みたいだと思うけど、きちんとした現実だった。

 今後のことを、奏さんと隆文さんで話し合った結果、僕は1か月後をめどに九重家に里子に出されることになった。念のために、きちんと九重家に順応できるか見るため、そして親族たちに婚約する旨を知らせるためだそうな。

 正直、木竜館はいつか出なきゃならないとは思っていたけれども、なかなかビジョンが見えなかった。それが今日になって、急に未来がガラッと変わるんだから、人生は面白い。


「じゃあ開、私はそろそろ時間だから帰るわ」

「あ、うん……それじゃあ帰る準備をして」

「何言ってるの開。あなたは土日で九重さんの家でお泊りよ」

「お泊り!?」


 え、何それ!? 聞いていないんだけど!


「嫌とは言わせないわ」

「い、嫌じゃないし、むしろ急に泊まるなんて決めていいの!?」

「うむ。こんなこともあろうかと、私が準備しておいた。紫苑、部屋に案内してあげなさい」

「はい♪ 開様、お部屋にご案内しますね」


 ひょっとして、僕は隆文さんだけじゃなくて、奏さんにも嵌められたか!? もしかしたら僕の知らないところで、二人の間に何か密約みたいなのがあるのかもしれない。そうじゃなきゃ、流れがうまくいきすぎている!


 まあ、でも…………


「開様…………」

「紫苑さん……いや、紫苑。僕たちはもう、上下の立場じゃなくなったんだ。だから……その、名前に「様」は付けないで、呼んでほしいな」

「は、はい! 開様……いえ、ハル…………ぁ、その、なんだか照れちゃいますね」


 この日の夜のことは、僕は絶対に一生忘れない。


 それから次の日も、僕は紫苑さ……紫苑と二人きりでデートしてきた。厄介なことにならないために、普段あまり使わない電車でちょっと遠くまで足を延ばしたけれど、ちょっとした旅行みたいでとても楽しめた。

 日曜日には、惜しまれつつも木竜館に帰ると、姉弟たちはまるで僕を凱旋した英雄みたいに迎えてくれて、結婚祝いパーティーだと言って、大いに盛り上がった。


「おめでとうハル! 姉として鼻が高いわ! ところでお泊りの間に何があったの? 隠すとためにならないわよっ!」


 衣珠那姉貴は執拗にお泊りのことを聞いてくる。九重邸のことはいろいろ話せるけれど、小中学生の妹弟のまえで話せないことも多くてね…………


「ちくしょうっ! 開に先を越されたか! 俺も早く自分で生計を立てて、静歌さんにプロポーズするんだ!」


 高行、君たちバカップルは何もしなくてもくっつくと思うけれど、力になれることがあれば、何でもしてあげたい。


「兄貴……俺と一緒に、月臣学院の編入を受けてくれるんだって聞いたよ! 兄貴が一緒なら、俺もさみしくないな」


 そう、貫太郎が言う通り、僕は今の学校では生活に支障をきたしそうだから、貫太郎が受験する予定の学院に編入することにした。試験はもう2週間後に迫っている……お互いに頑張らなくっちゃ!


「アニキ! これからも、たまには僕にダンス、教えてよ! アニキみたいなアイドルに、僕はなる!」


 陸がアイドルか…………木竜館に来た経緯を思うと、少し複雑な気分だけれど、陸は僕より素質がある。デビューするまでは僕がプロデュースしなきゃね!


「開兄ぃ、私は陸と結婚するから、ブーケ頂戴♪」


 榛名…………ある意味君が一番心配だよ僕は。でも、榛名は奏さんの後継者候補だから、姉弟たちの中で一番厳しい道のりを行くんだろうな。くじけるなよ!


「開。お前は今まで見てきた子供の中で、一番手がかかるやつだった。しかし、同時に、一番の出世頭でもある。この先お前は、俺たちの手を離れて、遠くに飛び立っていくのだろう。だが、この木竜館は最低100年はこの場所にある。どうしても前に進めなくなったときは、戻ってこい。頭をなでてやることくらいはできる」

「寿実……ありがとう。っていうか、僕が引っ越すのは3週間後だから、もうちょっと木竜館にいるけどね」

「バカヤロウ。3週間なんてあっという間だ。そんだけじゃ骨すらくっつかねぇよ」



 寿実の言う通り、紫苑と婚約してから、1日1日が目まぐるしく過ぎた。

 紫苑と僕が結婚すると聞いて、周囲の男たちは烈火のごとく怒った。同じ学校の人間だけじゃなくて、ほかの高校の生徒をはじめ、かつて過ごした中学の同級たちや、関係ない大学生まで様々な人間が、僕を非難してきた。

 とりあえず、変に暴れられても面倒だから、僕は放課後に学校の武道場を借りて、文句があるやつは武道で受けて立つと宣言した。空手部や柔道部の顧問の先生は難色を示していたけれど、どうせどっちの部の部員たちも僕を倒すって息巻いて、活動どころじゃないから、渋々OKしてくれた。


「僕と紫苑のお付き合いを止めたかったら、僕に勝った後、奏さんを倒すことだ! 話はそれからだ!」


 僕は、殴り合いで負けたからと言って婚約を破棄する気は毛頭ない。僕を倒せる人はきっと何人か入るだろうし、一人に限定していないから、複数人が相手になることも覚悟しなきゃならない。でも、奏さんなら世界チャンピオン級の人間を連れてこない限りは誰も勝てないだろうし、勝ったところで九重家が納得しなきゃ話にならない。要はただのガス抜き、見世物だ。

 が、自分でも意外なことに、2週間たっても僕は負けなかった。奏さんが鍛えてくれたおかげか、あるいは紫苑のことを思うと力が出るのか…………空手部員が4人でかかってこようと、剣道部員が襲って来ようと、僕は無傷だった。まあ、ぶっちゃけ、殴ってでも他人の結婚を止めたいと思っているような、精神が未熟な連中の実力なんてたかが知れてるってことか。むしろ、大勢のギャラリーの前で、一対多数で殴り掛かって返り討ちに合って大恥をかいていることだろう。


 それでも連中はあきらめなかった。


「道重開を訴える!」


 無謀にも、あることないことでっちあげて、訴える人間が何人もいたけれど、九重家から逆に名誉棄損で返り討ち。彼らはどうも、僕がもう半分九重家の人間だということを失念しているらしい。


「あいつは親なしだ! 最低な人間の屑が九重家に寄生する気だ!」


 ネガティブキャンペーンを展開するも、僕が孤児だなってことは、誰でも知ってる。いまさらそんなことで、僕の存在価値が揺らぐと思うなよ。



「とまあ、こんな感じでして」

「そうかそうか、それはつらかったな! だが、俺も紫苑の兄として、大切な義弟はしっかり守ってやる! お前は俺が男と見込んでいる、頼りにしてるぜ!」

「こちらこそ! お義兄さんがとてもいい人で、本当に良かった」

「なんだか開さんって、僕と雰囲気が似ている気がするね。いい友達になれそうな予感!」


 もちろん悪いことばかりじゃない。婚約した次の週末には、僕は生まれて初めて高級ホテルに招待されて、紫苑さんのお兄さん…………九重隆景ここのえ たかかげさんとその弟で、僕より年下の中学生、九重貴仁ここのえ たかひと君とお話をした。

 隆景さんは海外の大学に留学していて、いずれは親の隆文さんの後を継ぐために、世界の経営を学んでいるんだって。一方で貴仁君は、なんと僕が受験予定の月臣学院の中等部所属で、中等部の副会長をやっているそうな。貫太郎と同い年だから、貫太郎が合格すれば同級生になるかもしれない。


「紫苑、婚約おめでとう。紫苑にもやっと運命の人ができたんだな」

「すごいよね紫苑姉さん! こんないい人見つけてくるなんて!」

「ありがとうございます♪ 私は開と結ばれて、とても幸せです」


 僕が最後まで懸念していたのが、入り婿した僕をほかの九重家の兄弟がどう思うかだったけれど、お兄さんも弟も、想像以上にいい人だった。親戚の間でも、紫苑さんを助けた上に放課後に道場で無双している僕の評価は急上昇中らしくて、いろいろな業界のお偉いさんと話す機会もできた。


「君が開君か! 活躍は聞いているよ!」

「奏さんのもとで育ったそうだな! 道理で堂々としている! 君がいれば九重家は更に安泰だ!」

「あなたに似合う和服を思いついたわ! 今度私の行きつけのお店に顔を出してみませんこと?」


 今までの僕は差別されるのが当たり前で、本当の味方は木竜館の家族たちしかいなかった。それが一転して、こんなにも大勢の人が僕のことを評価してくれている。

 なんだか、動画投稿で名前が売れてきた時を思い出すなぁ。ネットの世界なら、僕の生まれつきのマイナスを気にする人はいない、完全に実力の世界。現実は、僕が孤児だと知れば大半の人は顔をそむける。小さいころにしでかした事件のことを知ればなおさら。いずれ僕は現実世界を捨て、仮想の世界だけで生きる人間になるんだって、密かに思っていた。

 でも、現実も悪くない。ほめてもらえるなら、僕は強くなれる。


「それじゃあ、僕の得意なダンスを披露するよ! ミュージックっスタート!」


 限られた世界だけれど、一躍時の人となった僕。


 けれども、好事魔多しという言葉もある。

 わかっていたつもりだけれど、僕はやっぱり舞い上がって油断していたんだろう。


 僕は「合理性」という観念で、人を見すぎていた。

 合理的経済人がバカの代名詞なのと同じように、人間はどこまでも非合理になれる。

 その非合理の限界を、僕は見誤っていたんだろう

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