急転直下


「おい道重、テメェいい加減にしろよ」


 教室に入るなり、僕はものすごい形相をした保村に胸ぐらを掴まれた。


「ま、まあ落ち着けって…………。こんな状態じゃビビって話もできないじゃない」

「やめろよ保村、何の理由もなしに友達を締め上げる奴がいるか」


 高行がすぐに間に入ってくれて助かったけど、突然締め上げられて、僕は思わず咽てしまった。

 しかしそうか……保村が突然突っかかってきたことといい、登校中に男子から恨みがましい視線をぶつけられるのも、例の件のせいだろうな。木竜館の人たちにしか話していないはずなのに、一体どうして次の日の朝に知れ渡っているんだろうか? あれか。駅前のモール街で目立ったのがまずかったか。


「道重……俺は君を見損なったよ…………」


 そう言って、幽鬼のように怒りを湛えて近づいてきたのは小渕だ。


「二人とも、いったい僕が何をしたっていうんだ?」

「正直に言え。九重さんにどんな手を使って取り入った」

「取り入った? 僕が? 紫苑さんに?」

「お前、あの時は興味なさそうにしてたくせに、騒ぎが収まった隙に全部持ってくとか、卑怯にもほどがあると思わないか」

「それとも何か裏工作でもしたのか? 道重ならやりかねないね」

「んなバカな」


 保村と小渕からものすごい勢いで糾弾の言葉が飛んでくる。

 甘かった……これは面倒なことになったぞ。

 クラス中の男子から妬まれるくらいのことは覚悟していたけど、どうも何か根本的なところを曲解しているっぽい。


「第一、道重はあの時「自分は興味ありませーん」って言っていただろう? 俺たちに嘘をついてたのか?」

「それに佐野も、分かってたくせに知らんと言ってたよな」

「あの状態で、何を言っても無駄だろ」


 高行が呆れたように言う。

 僕だって、別に騙そうと思ってそ知らぬふりしていたんじゃないし。高行の言う通り、あのとき正直に言っても誰も信じてくれなかったに違いない。

それを今になって騙したとか言われても…………困る。


「で、二人は僕と紫苑さんが―――――」

「道重! てめぇもう恋人気取りか! 名前で呼ぶとか九重さんに失礼だろう!」

「は?」


 先週まで友達だった保村の変貌ぶりに、僕は思わず背筋が寒くなった。小渕もそうだけど、反応がいちいち大げさ過ぎない? って言うか、失礼とか君たちこそ何様?

 ここにきておなかの底からふつふつと怒りがわいてくる。けど、高行が僕の声色の変化を感じ取ったのか、二人からかばうように僕の前に出た。


「あのな二人とも。お前らの姉貴や妹ならともかくとして、友達がどこの誰と付き合おうと勝手だろ。特に小渕、お前は彼女いるだろうが。それなのに、ふつうそこまで妬むか?」


 高行が代わりに僕の言いたいことを全部言ってくれた。

 今僕が何を言ってもきっと聞く耳を持たないだろうから、気持ちを代弁してくれるのはありがたい。


「妬む? 俺たちがそんなちゃちな理由で怒ってると思ってんのお前?」

「佐野、お前なら少しは分かってくれると思ったが……お前もやっぱり道重と同類のようだな」

「ふぅん……薄々わかってはいたが、嫉妬じゃないならあれか。お前ら本気で開が九重さんを騙して交際に持ち込んだとか思ってるわけ?」


 高行が僕の代わりに相手にしてくれたおかげで、少し落ち着けたから、ふと周りを見渡してみた。

 案の定僕たちはクラスメイト達に囲まれていた。男子の大半は、保村と小渕と同じく僕を恨みがましい視線で見ている。一方女子たちは、みんな不安そうな目をしている。時折ひそひそ話が聞こえるけど、何を話しているかは聞き取れない。そしてその中で、一人だけ「関係ない」とばかり読書にふける徳馬。

 いつも仲良くつるんでいる僕たちの仲間割れは、どうやらかなり見もののようで、気が付けばほかのクラスからも野次馬が来ている。

 すると、次の瞬間、小渕が近くの机に拳を勢いよく叩きつけたことで、場の緊張が一気に高まった。


「うるせぇっ!! 俺にとって……俺たちにとって! 九重さんは憧れの的…………『女神』そのものなんだ! それをよりによって道重! お前に穢されるのが、許せねぇんだ!」

「……あ? いまなんて言った?」

「落ち着け開、この程度で怒ってどうする! それに小渕、お前も言っていいことと悪いことがあるぞ」


 怒り、というよりもショックだった。

 一年のころから一緒のクラスで、プロレスの話から仲良くなった掛替えのない友人が、凄まじい目つきで怒りをぶつけてくる。

 一緒にテスト勉強をしたことも、好きな子に告白する前にアドバイスをしたこともあった。そしてなにより、中学で友達がほとんどできなかった僕が、木竜館以外で何年かぶりに作ることができた友人だ。親のいない僕と高行のことを、偏見のない目で見てくれたのが嬉しかった。

 それなのになぜ…………


「道重、お前のやっていることは許されない行為……犯罪だ。素直に過ちを認め、九重さんと俺たちに謝罪しろ。佐野、庇うならお前も同罪だ」

「……………っ」


 僕は返す言葉がなかった。

 過ちを認めているんじゃない…………あまりの異常事態に、思考が追いつかないだけだ。

 保村……君は二年になったばかりの時に僕の一つ後ろの席だったから、よく話してたけど……それだけじゃなくて、やけに音楽について詳しくて、いろいろ面白い話を聞かせてくれたよね。おかげで、趣味のダンスで踊りたい曲の幅が増えて、この一年で踊ってみたの動画再生数がかなり伸びた。

 同級生なのに、ずっと尊敬していたんだけどな……


「そうだ、謝れよ」


 今の声は保村でも小渕でもなかった。周りにいた男子の一人が発したんだ。

 そして、それを皮切りに、他の男子も次々と口を開く。


「そうだそうだ! 保村の言うとおりだ!」

「澄ました顔しやがって、クール気取りか! ムカつくんだよ!」

「九重さんを騙すなんて、とんでもない奴だ!」


(こいつら、狂ってる)


 正直、目の前の光景を現実だと認めたくなかった。まるで中学時代の悪夢を見ているかのようだ…………

 大丈夫、目を開ければいつもの学校で、気取らない挨拶を交わして、取りとめもない話に花を咲かせる。だから、ね? これは、夢……? いや、いやいやいや、現実逃避している場合じゃない。


「そういえば道重……忘れているかもしれないが、九重さんを助けた人は、不良5人を倒したそうじゃないか」

「3人だよ。勝手に増やさないでよ」

「黙れよ、もしお前が本当に九重さんを助けたって言い張るなら、このクラス全員が殴りかかっても、余裕で倒せるよな? 試してみていいか?」


 そう言って保村が、ボクシングの構えを取った。

 保村は別にボクシングを本格的に習ってるわけじゃないけど、筋トレをしてるから、拳には十分威力があるし、喧嘩も強い。

 保村が構えたのを見て、小渕も拳を握りしめる。おびえた何人かの女子が先生を呼びに行き、他の人たちも巻き添えをくらわないよう自然に距離を取り始める。


 あわや喧嘩になるか、と思った時―――――



「ハウアーユーえぶりわんっ! どうしたのみんな、喧嘩はよくないぞっ!」


 元気あふれるボーイッシュな女子が、ハイテンションで教室に入ってきた。


「あっ、静歌さん! おはようっ!」

「オッスオッス! 私の半身にして最愛の人よ!」 


 そして真っ先に反応したのが高行。

 彼女こそ、高行の恋人で、一年上の先輩、鎌数静歌かまかず しずかさん。名前こそ「しずか」だけど、これほどウルサイ人は他にいない。でも、いつも無駄に明るいからやかましくても憎めない、そんな人。


「聞いたよ聞いたよ! 義弟おとうと君、九重のお嬢様と結婚するんだって? やるじゃんすごいじゃん!」

「ちょっ、まって! 先輩っ! 僕まだ結婚なんてしませんからっ!」

「ほほう……『まだ』とおっしゃるか?」

「いや、そーゆーことじゃなくてですね」

「みなまでいうな、みなまでいうな♪」


 先輩が僕を義弟君っていうのは、僕が高行と兄弟のようなものだから。当然、自分の義理の弟になるという非常に強引な理論だ。

 突然の登場で場を乱した挙句、真正面からとんでもない言葉を浴びせられて、すっかり萎縮した僕を後目に、先輩はまるで男装の麗人のような振る舞いで一気にクラス中の視線を集めた。正直、この人が踊ってみた動画に本気で出演したら、僕の存在なんて一気に霞みそうだな。


「でさーっ、昨日駅前のショッピングモールで私も見ちゃったのよ! 九重さんが義弟君に大胆に迫ってたの!」

「え、あのとき先輩いたの? 知らなかった」

「そりゃそーよ、夕飯の買い物のついでに本を見ようかと思ったら、チビちゃんたちをつれてる義弟君が、リリアンの女の子と仲良さげに話してるの!」

「あー……開には言ってなかったけど、静歌さんがお前の姿を見たってメール、俺のとこにきてた」


 手近な机にドカッと腰を下ろしながら、まるで吟遊詩人になったかのようにしゃべり始める先輩。

 先輩の話に、周りの女子たちが思わず釘付けになる。

 ありがたいことに、先輩たちが僕と高行を自然に囲むように女子を集めてくれたから、保村や小渕たち男子からの防波堤になってくれた。


「まさか義弟君は、あのバリバリお嬢様学校のリリアンの子とデキてるのかと思った私は…………こっそり服屋さんの反対の入り口から入って、背後から脅かしてやろうかと思ったんだけどね」

「なにしてんすか先輩……」

「ところがよ! その直後に人ごみを切り裂くように九重さんが現れたからびっくり! 私も生の九重さんを見るのは初めてだったわ! あ、もちろん焼いた九重さんも見たことないけどね♪」

「先輩、いい加減怒りますよ?」

「ああすまないっ! その九重さんが私の見ている前で、義弟君の手をぎゅっと握ったの! いや、驚いたのなんの!」


 恥ずかしいっ! 女子たちの好奇心に満ちた視線が、微笑ましそうににやにやする顔が、困るっ!

 そして女子の壁の向こうから送られてくる圧倒的な殺気…………


 とにかく、一触即発の事態は避けられたか。

 先輩のおかげで、先生が来るまで男子が僕に手を出せない状況ができて、助かった。

 もしかしたら高行があらかじめ根回ししてくれたのかもしれない…………ありがとう、持つべきものは兄弟だ!



××××××××××××××××××××××××××××××



 護身術の基本は、自分が危険に陥る可能性を出来る限り下げることだ。

 君子危うきに近寄らず…………争いはできる限り避け、危機に直面した際はまず逃げることを優先する。例え腰抜けとあざ笑われても、股の下を潜って命が助かるなら、時には潜る我慢も必要になる。

 僕が暴力に訴えるときは、確実に僕に不利益がこうむる状況か、あるいは相手が殴られても文句を言えない場合だけ。不必要な暴力の応酬は敵を生むだけで、大抵の場合味方する人は減っていく。中学の時に僕はそれを身をもって知った。そして今でもその影響は残り続けているし、僕を殺したいと今でも思ってる人は、両手の指じゃ足りないだろう。

 その過ちを再び犯さないためにも、僕はあらゆる手を尽くして、暴力を使わずに自分の身を守らなければならない。


「道重くん! 朝の話もっと聞かせてよ!」

「それより私知らなかった! 道重が有名な踊り手の『ハルロッサ』なんだって!」

「踊ってる時、お化粧してるでしょ! 女子はそうゆーの見逃さないんだよっ!」


 放課後、僕はまたしても女子に囲まれて質問攻めにされている。

 ああ……女子ってこういう恋愛話というか、ゴシップ好きだから、僕は今恰好の標的なんだな。ハーレムとかうらやましいって思ったことくらいあるけれど、今の気分はハーレムというより熱愛が発覚した芸能人が、パパラッチに嬲られているようだ。

 とうぜん、保村、小渕たち男子からしてみれば面白くない光景で…………


「なぁ女子たち! 俺たちも道重に話があるんだ! いい加減こっちに開放してくれ!」

「そうだそうだ! そんなウソつきの話を真剣に聞くのもバカバカしいと思わないのか?」


「あっはっはっはっは! やーだね、そんなおっかない顔して解放しろだなんて! まるで珍走団がカツアゲしてるみたいじゃん! どーせ義弟君を早くみんなでリンチしたくてたまらないんじゃないの? そんなバカなことしてる暇があったら帰った帰った!」


 そんな暴れ牛寸前の男子たちを、放課後真っ先にクラスに入ってきた鎌数先輩が、軽くあしらう。


「そーだそーだ! 男が寄ってたかっていじめるなんてダサイし!」

「道重君を殴ったら、先生に言いつけるもんね」


 女子たちも、先輩に乗る形で男子の集団に口撃をはじめた。

 男子の集団は、顔が怒りでみるみる赤くなってるけれど、さすがに今ここで女子をちょっとでも叩けば、自分たちの立場が一気に悪くなることくらいは、わかっているらしい。

 男子全員を敵に回して、代わりに女子に守ってもらうとか、男の風上にも置けない卑怯な振る舞いなのは百も承知だけれど、せっかくだからこの状況を有り難く利用させてもらおう。


 ただ、今はまだ授業が終わったばかりだからいいけれども、いずれは僕も高行も家に帰らなきゃならない。そうなると、いつまでも女子に守られているわけにもいかない。

 きっと、帰り道ではすでに、僕に喧嘩を吹っ掛けようとする不届き者が大勢いるはず。それどころか、下手をすると校門を出るまでに、いろいろと面倒なことがありそうだ。

 寿実はこの時間診察中だし、奏さんは念には念を入れて、榛名と陸を車で迎えに行ってもらっている。駅までどんなルートで行くのが一番楽か…………そう考えようとしていたところで、教室の窓の外―――――校庭の方からなにやら歓声が聞こえてきた。窓際にいた生徒の何人かが、気になって窓の外を覗くと


「校門に見たことのない黒塗りの高級車が止まってる!!」


 窓を見ていた男子が驚きの声を上げた。それを聞いた僕は、まさかと思った―――――その直後!

 教室の扉が開いたかと思うと、担任の先生が、見覚えがある警察官のような制服を着た、キリっとした雰囲気の女性二人とともに入室してきた。


「道重君、お迎えだそうよ」

「うっそでしょ!?」


 僕は思わず、裏返りそうな声で驚いてしまった。

 まさか紫苑さんが、わざわざ僕のために、送迎の車を!?


「うひょぉぉぉ! ちょっと義弟君すごすぎない!? 強そうな護衛が迎えに来たよ! 義弟君石油王になった!? うらやましすぎるんですけど!!」

「よ、よかったな開、帰りの心配はしなくてよさそうだな……」

「あ……うん」


 紫苑さんが派遣してくれたと思わしき女性警備員二人が入ってきたことで、教室は大パニックに陥ってしまった。女子は、かっこよすぎる女性警備員の姿に見とれ、男子は一様に青い顔をしている。

 僕だってちょっと、あまりにも急展開すぎて、ついていけてないんだけど。


「あの、僕を迎えに来てくれたということは…………紫苑さんが?」

「はい。九重様から、開様をお迎えに上がるよう仰せつかっております。開様だけでなく、大切なご兄弟の高行様も、ご一緒にとのこと」

「え!? 俺も!?」


 高行も、自分まで乗せていってもらえるとは思ってなかったみたいだった。

 けれども高行は何とか踏みとどまって


「あの……俺まで乗せていただけるのは嬉しいんですが、俺の彼女もいっしょにお願いしていいですか? 今日一緒に帰る約束をしてたんで」


 そうか、高行は鎌数先輩に下校の時の護衛もお願いしてたのか。先輩には頭が下がる思いでいっぱいだよ…………これだけ迷惑をかけたんだから、いつか恩を3倍で返したいね。


「開様がお望みでしたら大丈夫ですが」

「なら、僕からもお願いします、先輩も一緒に送ってあげてください」

「いいの! 本当にいいの!? いよっしゃあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっいえええぇぇぇぇっ!!」


 先輩は嬉しさのあまり、一度体をブリッジ寸前まで逸らすと、さながらどこぞの超絶怒涛の芸人の如く、歓喜の雄たけびを上げていた。





「開様! お待ちしておりました!」


 黒山の人だかりに囲まれた車の中から、紫苑さんが嬉しそうに飛び出してきた。

 僕たちが来るまで、ずっと車の中で待っていたみたい。


「ごめん待たせちゃって! 来てくれて助かったよ!」

「開様は、私の大切な人ですから…………私が微力ながら、お守りします」

「あ、ありがとう…………(女の子に守られるだなんて、なんだかむず痒いなぁ)」


 僕は紫苑さんに手を引かれながら、車に乗り込んだ。後ろには高行と鎌数先輩も一緒だ。


「これから毎日大変だろうな……」


 まずは今週の金曜日、九重家へのご挨拶のときまで。

 僕はなんとしてでも生き延びて見せる。

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