序章:道重開 その栄光と落日

最強の弱者 前編

 僕、道重開みちしげ はるはその日の夜、家路を急いでいた。


「残り10分……いけるか?」


 繁華街の喧騒はすでに遠く、すでにシャッターが降りきった商店街を足早にかけていく。いつもは駅からそんなに離れていないなと思っている道が、この日はやけに遠く感じたのを覚えている。

 だが、こういう日に限って、僕は見てしまった。


 路上で、一人の女性が三人の男性に囲まれている。

 遠目で見ても、明らかに只事ではない雰囲気だったが、案の定というか、見た目ガラの悪い連中が女性…………それも女子高校生に、下卑た笑みを浮かべて絡んでいる。


「な~よぉ、いいじゃねぇか、ちょっと俺たちとつきあってくれよぉ~」

「ひひひ、怖がることぁね~よぉ、たっぷりかわいがってやっからサ」

「ああ^たまらねぇぜ~」


「や……やめて、くださ……」



 おいおいおい、これまた典型的な「事案」だな。

 しかも、この通りは人通りが0っていうわけじゃない。僕も含めて通勤帰りの人たちがいるのにもかかわらず、誰も止めようとしない。見て見ぬふり。

 僕だって急いでるんだよ!

 タイムリミットはあと9分なんだよ!

 ここで下手に首を突っ込んだら時間が!


「オイ、もう我慢できねぇよ」

「さっさとヤっちまおうぜ!」

「ちゅーしようぜ! ほら、ちゅー!」


「いやぁっ! 誰か助けてっ!」


 女の子の悲痛な叫びが聞こえた直後、僕は口をすぼめて女の子に覆いかぶさろうとする暴漢の一人を、後ろから、着ているパーカーのフードを思い切り引っ張って地面に引き倒した。


「ぎゃぁっ!」

「おっとごめんよ」


 僕はわざとらしくおどけてみせると、瞬く間にもう二人のヘイトがこっちに向かった。


「ンだってめコラ! ヤンのかコラ!」

「テメこのガキャ! もう許せるぞオイ!」


 なるほど、敵の力量把握。

 3対1で素手ならなんてことない。

 スキンヘッドの巨漢のリーダー格は、構えから察するに空手の経験があるようだ。さっき引き倒して起き上がったばかりのパーカー野郎と、金髪怒髪天のバンドマンもどきの二人は、見事に隙だらけで武道の心得はおそらくない。


「死ねやぁっ!」


 問答無用で殴りかかってくるリーダー格の男。

 突き出された拳を僅かに動いて躱し、右手での顎を軽くつかみ、そのまま引き倒す。


「いっ…?!」


 そして膝関節に踵を落とし、動きを封じる。ここまで2秒。我ながらなかなか上出来の動きだ。

 残る二人は若干驚きながらも、数を頼みに左右からつかみかかってくる。


「テメッ!」

「コンニャロッ!」


 僕は素早く後ろに引くと同時に、バンドマンもどきの左手を、右手でグイッと引き込む。男が前のめりにバランスを崩したところで、米神こめかみに肘鉄をくらわせる。最後に、パーカー野郎に余裕をもって鳩尾にボディーブローを食らわせれば、3人とも戦闘不能だろう。


「よし! いっちょあがりっ! 君、怪我はない?」

「い、いえ……その、ありがとうございました」


 女の子は無事のようだ。暗くてよくわからないけど、結構顔は整ってて綺麗で――――――と、そんなこと考えてる暇はない。通行人たちがこっちを見てる。可能性は低いけど、増援や警察を呼ばれたら面倒だ。


「ここにいると危ない。ついてきて」

「え? ……えっ?」


 僕は女の子の手を取って、路地裏を駆け抜けて何回か角を曲がる。路地を出ると目の前にコンビニエンスストアがあった。


「この辺を一人で歩くのは危ない。携帯で親に電話するか、さもなくばこれでタクシーに乗っていって」


 僕は、混乱している女の子に5000円札を握らせて、再び駆け出した。

 こんな時じゃなかったら、最後まで面倒を見てあげられるけど、もうそんな余裕はない。門限まであと5分……距離にして約1km。

 助けた女の子の無事を祈りつつ、絶望の中距離走が幕を開けた。



 ××××××××××××××××××××××××××××××


 町の一角に、小さな病院と道場が併設された珍しい家がある。

 それが、僕が住むグループホーム「木竜館もくりゅうかん」。


 僕が玄関に飛び込むと同時に、玄関にある大きな時計がボーンボーンと鳴り響く。


「ぎりぎりセーフ、何とか間に合った!」


 息を切らしながら靴を脱ぎ、ようやく一安心だ……と、思いきや、視線を上げるとすぐにそれは間違いだったことに気が付く。


「何が間に合ったんだって?」

「おふっ」


 玄関に入ったときは誰もいなかったはずなのに!

 僕の目の前に立っているのは、身長190cmを超えるメガネをかけた大男。黒ずくめの服の上に白衣をまとっていて、その容姿はさながらマッドサイエンティストだ。でも残念ながら、その正体はごく普通の三十代後半の町医者で、名前は竜舞寿実りゅうまい ひさみという。僕が世界で二番目に恐れる人物だ。


「開、とりあえず道場の方で言い訳を聞こうか」

「なんでだよっ! 僕、門限にちゃんと間に合ったよね!?」

「またどこかで殴り合いしてきただろ」

「殴ってないよ! ちょっと転ばせちゃっただけだから!」

「…………まあいい、先に風呂に入ってこい。ゆっくり言い訳を考えるんだな」

「はぁい」


 あいかわらず、なんでケンカしたことが分かるんだこの人は。


「でも、やっぱりそれだけ心配してくれるのかな。だったら嬉しいんだけど」


 出迎えてくれた親のような人の名字が違うのは、単純に寿実が僕の本当の親じゃないからだ。僕は本当の親の顔を知らない。僕の名前を付けたのも、その時の施設があった市の市長が名付けてくれたらしい。赤ん坊の時から施設で育って、今もこうしてグループホームで、同じ境遇の子たちと生活してる。


 小学校の低学年までの僕はどうしようもない暴れん坊で、親なしと虐められるたびに、相手を気が済むまでボコボコにしてた。顔にひっかき傷を負わせることもあったし、相手の歯を折ったこともあった。そんなわけだから当然友達もできない。

 担任も施設の職員もさじを投げ、もっと厳しいところに預けようという話になったときに、わざわざ僕を引き取ってくれたのが寿実だった。


「やられっぱなしでいろとは言わん。だが、そんな下手糞なやり方じゃ、誰もお前の味方にはならない。お前はまだ未熟だ。俺たちが徹底的に鍛えてやる」


 暴力に対して暴力で立ち向かうだけじゃ、相手と同レベルでしかない。成績で先生に気に入られ、舌先三寸コミュりょくで味方を増やせば、卑劣な相手は手も足も出ない。

 ただ、中にはそれでも親なしの僕を必死に見下して、屈服させようとしてくる連中もいたし、中学の時には一時期担任教師が完全に敵に回ったこともあった。

 親なしの奴は世界で最もどうしようもない存在で、生きる資格のない最低の人間だと言われたことは数えきれないほど多い。

 けれども、僕には大勢の味方がいてくれた。寿実をはじめ木竜館の兄弟たち、それにこの町の商店街の大人たちが守ってくれたんだ。だからこそ僕は、こうして普通に生活ができている。こんなにありがたいことはない。



 僕がお風呂から上がって、畳が敷かれている大広間に入ると、そこには寿実の奥さんである竜舞奏りゅうまい かなでさんと、寮生最年長の久水衣珠那ひさみず いずな姉貴がお茶を飲んでいた。


「おそかったじゃんハル。喧嘩したんだって?」

「いや、喧嘩ってほどじゃないんだけど」


 パジャマ姿の衣珠那姉貴がそう言ってカンラカンラ笑う横で、和服を着た奏さんがにっこりと……笑っていない目で僕を待っていた。


「さ、言い訳を聞こうかしらハル

「いやだからね、僕はぎりぎり間に合ったんだってば。それに、喧嘩したわけでもないんだからね? ただ単に、商店街で不良に絡まれてる女の子をかばってあげただけだから」


 僕は必死になって、さっきまであった出来事を一部始終説明する。


「そんな、べたな少女漫画みたいな展開あるわけないっしょ」

「ないっしょって言われても、本当にあったことだし…………」

「ウソはついてないようね。変なこと言うようなら、明日から1週間『お稽古』してあげようかと思ってたんだけど」

「勘弁してください」


 奏さんは、僕が世界で一番恐れるお人です。

 この人の怖さは寿実なんか目じゃないです。

 あと、僕に武道を教えてくれた恩師でもあります。


「しっかし最近商店街も物騒になったわね。夜になるとほとんどお店閉まっちゃうし」

「たまに繁華街からよくないのが流れてきてるみたいね。ほら、開。あなたにもお茶入れたわ」

「どうも」


 奏さんが入れてくれた焙じ茶を一口飲む。

 安い茶葉を使ってるのに、奏さんがいれてくれるととてもおいしい。


「あっ! 兄貴、帰ってきてたんだ」


 そこに、弟分の寮生、円谷貫太郎が襖を開けて入ってきた。

 中学生の成長期真っ盛りで、若干きつくなってぴっちりしたジャージを着て、ミカンを一個片手に会話の中に混じってくる。


「生放送見たぜ兄貴。相変わらずスゲー人気だったな」

「よせやい、照れるじゃんか」


 自慢するわけじゃないけど、僕は昔から踊るのが好きで、木竜館に来た時から体の動きを鍛える練習と称して、流行のダンスを踊りまくってた。

 小学校高学年の時からは、寿実に借りたビデオカメラで所謂いわゆる「踊ってみた」にチャレンジ。今ではちょっとしたサラリーマンよりも収入が多いと自負してる。まあ、収入のほとんどは木竜館共同資金にしてるけど。いつもお世話になってるし、中高生がそんな大金を持っても使い道ないしね。


 で、今日出かけたのは、踊ってみた動画投稿者たちの集まりの生放送だったから。当然、寮生たちは僕のやってることを知ってる。


「それより貫太郎は生放送なんて見てる暇あるの? 4時間くらいやってたけど、受験勉強大丈夫?」

「ちょっとくらいへーきへーき。勉強なんていつでもできるけど、兄貴の姿を生放送で見れるのは生涯で一回だからな」


 言葉の通り、貫太郎は中学三年生で、受験日はもうすぐだ。おまけに貫太郎が受験するところは、つい最近できたばかりの超特殊な学園都市だ。学費が掛からない代わりに、試験が非常に難しいと云う噂も聞く。

 それなのに、よりによって奏さんと衣珠那姉貴の前で、堂々とこんなことが言えるなんて、この弟の心臓には毛が生えているに違いない。


「しかし、貫太郎があの学院に通うことになると、この家を出ることになるのよね。ねえちゃん寂しいな」

「学院は隣県だからな。リニアができたからと言っても、結構遠い。その上寮生活だし」

「ま、安心しな姉貴に兄貴。盆暮れ正月にはちゃんと帰省するからさ!」

「貫太郎? とらぬ狸の皮算用って知ってるかしら?」

「すんません調子のってました」


 いくら心臓に毛が生えてる貫太郎と言えども、やっぱ奏さんは怖いよね。


「でも、寂しいのは私も同じよ。今まで何人も寮生を見送ってきたけど、たまにでも帰ってきてくれるととてもうれしいの」

「奏さん…………」


 そう、グループホーム木竜館は、ずっといていい場所じゃない。ここは居心地がいいからついつい長居しちゃうけど、大学生になったらほとんどの兄貴姉貴たちはこの館を出て、自分たちで生きていくんだ。大学生の衣珠那姉貴は、特別に医学部に通う傍ら、寿実のところで修行してるけど、そう遠くない未来に独立しなきゃならない。里子に行った兄貴姉貴も何人も見てきた。

 僕もいつか……この館を離れる日が来る。

 赤ちゃんは何時か、ゆりかごを離れなければいけないのと同じように。

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